『オタクと恋愛』

〜奇跡を起こすための4つのお話〜




 先日、知人からこんな話を聞きました。
 『2次元は好きだけど3次元は嫌いという男がいる』。
 要するに、オタクさんのようです。
 その男が言うには、彼女が欲しいという事でした。

 ちょっと前にテレビで放映されたそうなので、ご覧になった方もおられるかと思います。
 オタクの男の子が彼女を作るまでの、なんだか電気ストーブができるまでみたいな実録バラエティだったらしいんですが。
 『3次元は嫌い』で『彼女が欲しい』。
 この矛盾した命題に立ち向かったそうでして。

 客観的に見ると、実に不思議な要求にも見えちゃいますね。
 嫌いなのに好きになる。
 好かれたいなら、まず好きにならないと始まりません。
 私は残念ながらこの番組を見ていないので、結果については不明です。
 よって、自分なりに考えてみたのですよ。

 ぶっちゃけ『彼女を見つける』という基本からセックスの事まで、思うままにつらつらと書いてしまいます。
 これを読んで実践すれば必ずできるという事はぜんぜんないわけですが、実体験なども含めつつ書いてみます。
 こんな私ですけど、今年はそろそろ二度目の結婚でもしてみようかと思います。
 やや必死です。
 まずは『棚の問題』について少し。



 「棚からボタ餅」という言葉がありますね。
 和菓子屋の地震ではありません。
 思いがけないきっかけが、後に大きな利益をもたらす。
 そんな様な意味に使われていると思います。

 しかしながら。
 そんなにおいしい話はそうそうありません。
 実際に棚を揺らして落ちてくる物の比率は、こんなもんだと思います。



ボタ餅的ないわゆる当たり<それ以外のどーでもいい物<ホコリ




 夢も希望もありませんけど、わりと現実はこんなもんです。
 その辺の棚を揺さぶれば、お分かりになられるかと思います。
 要はその棚にボタ餅があるかどうかが重要です。
 そして、そんな事は見りゃ分かるんですよね。

 まずはここです。
 彼女ができない方の棚には、そもそもボタ餅が装備されていないわけです。
 毎日同じ棚だけを相手にしているのであれば、口を開けていても永久にボタ餅は降って来ないのですね。
 買ってもいない宝くじは永久に当たらないのと同じです。

 これを解決するのは簡単です。
 違う棚を試せばいいのです。
 例えば世の中、インターネットという便利なものがありますが、毎日同じような所を巡回して満足してしまっている方も実に多いと耳にします。
 たまには違う所も試してみると、別の棚が見えたりします。
 ネットだけに限っても色々あるでしょう。
 フリーゲームの作者に感想のメールを送るなどはむちゃくちゃ喜ばれる事間違いなしなので、その辺から揺らしてみるのも一計です。
 ほ〜ら簡単。

 ただし注意として。
 いきなり突然に彼女ができるわけでは決してありません。
 この段階では棚を探しているだけです。
 勝手に人の家の棚を揺さぶると通報されます。
 そういう事ができるようになるかどうかの見極め、これをまず通過しないといけません。
 唐突に「好きだ」と言っても引かれるのがオチです。

 中には棚を揺らす努力もせずに、口だけ開けて待ってるような人もいます。
 アンコウですらピロピロするアレを持っているのに、霊長類たる人間様がそんな事ではいけません。
 ただ待つだけでは何も生み出さないのです。
 とりあえず揺さぶってみる程度の努力はしてみましょう。

 大して努力もしていないくせに「可愛くて優しい彼女が欲しい」と考える事は、大した努力もせずに「フェラーリに乗りたい」と言っているのと同じです。
 いや、極論ではないですよ。
 式にするとこんな感じです。



可愛くて優しい彼女>優しい彼女>彼女

フェラーリ>外車>車

努力>努力>努力




 一般人にフェラーリは遠すぎます。
 しかし、人間とは進化する生き物です。



 あなたが彼女を好きなら彼女は可愛いはずですし、彼女があなたを好きなら彼女は優しいはずなのです。



 かつて私の乗っていた75年式ミニクーパーは永久にフェラーリには化けませんでしたが、なかなか可愛い奴でしたよ(優しくはなかったですけど)。
 車は変わりませんが人は変われます。
 そういう事です。

 なお、『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』という言葉がありますが。
 この問題に関しては厳しいです。
 素人が銃を乱射していて近づく馬鹿は存在しません。
 棚というのは、釣りの用語でもあるのです。
 魚がいっぱい泳いでいる層を棚と呼びます。
 そうやって狙って撃つ事で、初めて当たりも出るわけです。



 続いては、『出世魚』についてのお話です。
 これは、成長によって呼び名が変わる魚の事なんですけど。
 「ブリ」の子供は「ハマチ」ですよね。
 有名な例では「スズキ」もそうです。

 こんな感じで。



セイゴ→フッコ→スズキ




 こんな風にして、同じ魚でも呼び方が変わってゆくわけです。
 呼び名が変わっても同じ魚です。
 これは、人間関係においても似た事が言えると思います。
 例えば。



他人→友達→恋人




 呼び方が変わっても同じ相手です。
 ここを勘違いするとエライ目に遭います。
 稚魚のうちからスズキの洗いを食べようとしても無理なんです。

 大変下品なたとえですが。
 おなかいっぱい美味しくいただくためには、まずは大きく育てないといけないのです。
 それが現実というものです。
 空から白馬の王子が降って来たら避けるので精一杯です。
 突然あなたにベタ惚れの義理の妹ができる確率を考えてみると分かりやすいかと思います。
 道にたまたま宝くじが落ちていて、なおかつそれで1億当てるようなもんです。

 こうした育てる努力、ちょっと面倒だと思われるかも知れませんが。
 わりとそうでもないです。
 何故なら、魚だって成長したがっているんですよ。
 魚の種類、与える餌、水質その他で、成長のスピードもぜんぜん変わってきます。
 水質で言うなら、学校内や職場よりもお酒の席なんかの方が俄然ビッグに成長するでしょう。
 与える餌ですか?
 魚の喜びそうな話や雰囲気などが相当するでしょう。
 まったく食いつかない?
 趣味がぜんぜん合わない?
 なんでそんな人をわざわざ好きにならにゃいかんのですか?
 あなたという人がいて、あなたと同じような趣味を持った知人やお友達、同じサイトを閲覧している多数の人、その他その他、たくさんの人がいるはずです。
 だったら逆にあなたのような女性も確実に存在します。
 彼女の周りには、彼女と同じような趣味を持った多くの人がいるはずなのです。
 その意味で孤独というのは有り得ません。



 この話をかつて知人とした時に、こう言われた事があります。
 「だが俺はエロゲーが趣味だ。エロゲー好きな女がそれほど多いとは思えない」
 なるほどね。
 男らしい勇気ある発言です。

 でもあなた、エロゲーが好きなんですよね?

 要するにエロいんですよね?



 世の中エロい女性などエロい男性と同じくらいたくさん存在します。



 学校や職場、あるいは何かのイベントなどで集まりがあるとしましょう。
 カラオケでも飲み会でもピクニックでも何でもいいんですが。
 当然えっち目的ではないです。
 そこで初めて知り合う女性がいるとしましょう。

 その日のうちにラブホテルという展開は、けっこう多くあるものです。
 決して極端な例ではないのです。
 まどろっこしいエロゲーよりよっぽど早いです。

 まあ所詮はセックスなわけで、真に重要なのは好きになった相手と長く幸せに過ごす点にあると。
 セックスして終わりだったらゲームと一緒ですから。
 現実は、もっともっと素晴らしいものです。
 ここから先が実は本当に険しい道なんですけどね。



 ではさらに進んで、『逆もまた真』について書いてみます。
 あなたや私の思っている事は、他者も同じように思っているかも知れない。
 逆の立場で考えて、そこから見えてくるものに関してのお話です。

 冒頭、ある男の例を出しましたね。
 『2次元は好きだけど3次元は嫌い』という。
 2次元好きという事で、とりあえずここをオタクとしてみましょう。
 3次元の所は現実の女性と話す事、とします。
 両者をイコールで結ぶとこうなります。



オタクだから現実の女性と話すのは嫌い。




 これは大変危険な考え方だと思います。
 この考え方で行くなら『現実の女性だからオタクと話すのは嫌い』とも変換できちゃうからで、なおかつそれを事実として認めているという事になるからです。

 オタクは怖い人間ですか?
 ある意味その通りなんですけど、別に話しただけで害になるとか病気になるとか(←妖怪ひょうすべ)、そんなにひどいわけじゃないと思います。
 だったら現実の女性だって同じです。
 現実の女性を相手に、嫌な思いをした事があるんでしょうか。
 ではその女性も、オタク相手に嫌な思いをした経験があるのかも知れません。

 なぜ嫌だったんでしょうね。
 一方には普通の事でも、もう一方にとっては異様な事に感じたのでしょうか。
 こういう事例は、文化や暮らしてきた環境が違う場合によく起こります。
 それならば歴史の証明する通り、対処の方法もあるわけです。

 「これは自分にとっては普通なんだよ」という点を納得してもらえばよろしいかと。
 もちろん自分の方も、相手の同じ主張を普通の事だと受け入れればいいんです。
 ここでワガママになってしまうと難しい。
 相手の立場で考える、という転換が必要になると思います。
 「俺にとってのこれは普通だが、お前のそれは異常だ」という考え方をしている限り、両者の溝は絶対に埋まりません。

 だからこそ。
 こちらが考えるような事は、逆に相手も同じように考えているのではないか。
 このように考える事で、相互理解へと向かう事ができるようになるのではないかと思います。

 これは「俺があいつを好きだからあいつも俺を好きに違いない」というのとはぜんぜん違います。
 「こっちが嫌なのに向こうが寄ってくる」という状況を考えてみましょう。
 ストーカーとか、いじめっ子が相当するでしょう。
 そういう人が好きですか?
 多分違うと思います。
 あなたがそういう人を嫌いなのと同じくらいに、相手もそういう人を嫌っていると思います。
 短絡的に考えるあまり、日に何通もメール送ったりするのは留まった方がいいでしょう。
 日に何通も来る迷惑メール、好きですか?
 そういう事だと思います。



 例えばのお話。
 多少早く生まれた程度で若い人の事を馬鹿にするなら、若い人から年寄りだと馬鹿にされてもいるわけです。
 二次元は好きだけど三次元の女なんてどーでもいいなら、三次元の女性はそういう人をどーでもいいと思っているかも知れません。

 かつて私はバンドをやっていたのですが、音楽という世界にもこういう事例がよくありました。
 特定のバンドやジャンルは認めるけど他は認めないという。
 百歩譲って、様々な経験から打ち出された結果であるなら、それも当人にとっては真実なのでしょう。
 されど、よく聞いてもいない音をけなすのはよろしくないと思います。

 「なんかみんな聞いてるから嫌い」
 「古そうだから認めない」
 「よく知らないから駄目」

 知りもしないで切って捨てるのは、大事な経験の機会を捨てているように感じます。
 特定の人としか話さないとか。
 特定のジャンルしか話さないとか。
 もったいないので、吸収できそうな所は乗っちゃって吉だと思うのですよ。

 新しい知識や経験が必要ないのでしょうか。



だったら彼女も必要ないでしょう。




 そうでなければ、未知のものに対する反発を少〜しだけ抑えて、逆の立場から考えてみるのが有効なんじゃないかと思うのです。
 無知は恥ではありません。
 無知である事に気付かないのは、ちょっと恥ずかしいです。
 そしてそれに気付いているのに知ろうとしないのは罪であると。
 昔の人の言葉であります。

 無知である事に気付かない恥と似た事例で、逆の立場で考えていないのが分かっちゃうのも恥ずかしいです。
 まあ、多くはネタなんですが。
 中には本当にビリーバーな方々もおられるようで。

 例えば、冒頭のオタク君ですが。
 番組中にこんな事を言っていたそうです。
 「キャバクラ嬢は遊びだから嫌だ」。

 もう決め付けちゃってますね。
 キャバ嬢さんが聞いたら何と思うでしょう。
 裏を返せばこう言っているのと同じです。
 「オタクは不潔だから嫌だ」。

 アニメや漫画を好きな方は多いと思います。
 そういう方々を全部オタクという名前で一括して不潔と決め付け邪険にするという風潮になったら、どう思われますか?
 まるでナチスのユダヤ人絶滅計画みたいな思想だとは思われませんか。
 オタクにも、キャバ嬢にも、いろいろな方がいるんじゃないでしょうか。
 たまたま私は両方に知り合いがいるので、これだけは断言できます。
 漫画が好きでもお風呂には入ります。
 水商売の方でも恋愛は真剣に考えます。
 それを彼はみずから全否定しちゃったみたいです。

 こんな事例があります。



 「巨乳好き」と公言しているくせに「男は顔よ」とか言う女性を馬鹿にしている。

 こういう方は現実におられます。
 されど一方では。

 そういう女性たちはそういう男を馬鹿にしている。

 こんな事も有り得るわけです。



 どっちもどっちです。



 外見で判断する場合、あなたも外見で判断されているわけです。
 趣味もしかり。
 肩書きしかり。
 何かをボロクソにけなす場合、自分がボロクソにけなされても仕方がないのです。
 批判には批判が返ってくるものですし、批判するなら批判される覚悟が必要であると。

 ボロクソにけなしたゲームレビューを書いたなら、自分のゲームをボロクソに言われても文句が言えないわけですね。はい。



 それでは最後に、『壁の話』をしてみましょう。
 『物理的な壁』と『精神的な壁』、この2つの違いについてのお話です。

 物理的な壁は単純です。
 何しろ高さが登る前から見えています。
 登っている最中でも、自分が壁のどの辺まで登ったのかが分かります。
 こうした壁は、人生において数多く存在します。
 借金返済とか。
 受験とか。
 宿題とか出世とか貯金額とかヒロインの攻略人数とか、これらは全部『物理的な壁』と言えると思います。

 対して、精神的な壁は大変です。
 高さがまったく見えないからです。
 そして、その先に何があるのかまったく分からないからです。
 この精神的な壁には、「登っている最中」というのは存在しません。
 登るか登らないかの2つに1つしかないのです。
 これは…怖いですよ。
 怖いですけど、人生にはこの壁が嫌がらせのように数多く立ちはだかるのです。

 この壁を登るには、言葉にすれば簡単なんですよね。
 ただ一歩を踏み出せばいいんです。
 その瞬間に壁の向こうが見えるのです。
 登ろうと決意した瞬間に、必ず向こう側の景色を(たとえ望んだ景色でなくても)強制的に見せ付けられてしまうのです。
 これが実に怖い。
 たった一歩で登れるこの壁、その一歩が踏み出せないばっかりに、その先の風景は何があろうと絶対に見る事はできません。

 しかし。
 されど。
 男として生まれたからには、この壁を乗り越えて進まねばならない。
 そういう場面にきっと出会います。
 もちろん女性もそうだと思います。
 人間は次の山を求めるのです。
 険しい山を越えて見えるその先は、さらに険しい山であるかも知れません。
 そうして壁を乗り越えてゆく事を挑戦と呼ぶのです。

 心のザイルを持ったなら、いよいよ先に進みましょう。
 壁を越える一歩を踏み出すにはどうするか?
 これには残念ながら、明白な答というものは存在しません。
 しませんが、私が常に考える事をここに記載いたします。



やって今後悔するか。
やらないで後から後悔するか。




 まるで確実に失敗するような事を書いてますが、これには理由がありまして。
 常に最悪の結果を想像する、という事が一つ。
 そして、その最悪の結果に対して覚悟を決めてしまうというのが一つです。

 今、ある一言を言えば、未来はバラ色になるかも知れない。
 でも言ってしまった事で…。
 何が起きますか?

  特に何も変わらない?
  恥ずかしい?
  笑われる?
  馬鹿にされる?
  噂される?
  嫌われる?
  殺される?
  人類が滅亡する?

 まだまだあると思いますが、それらの中で一番最悪な事態を想像します。
 その上で、「それはそれで仕方ねぇよな」と思えてしまうだけの力を呼び起こすのです。
 これには開き直りも必要になるかも知れません。
 「こっちが駄目でも俺にはアレがあるし」という逃げ道、命綱、落下防止ネットを準備しておく必要があるかも知れません。
 別にぜんぜん卑怯じゃないです。
 壁を登ったわけですから。

 ただし。
 壁を登りもしないでそんな事を言っては単なる負け犬です。
 失敗を前提としてつい言い訳を考えてしまう。
 よくある事だと思います。
 それでも登っちまえば勝ちなんです。
 逃げ口上を考える暇にとりあえず一気に登る。
 これだって立派な方法です。

 真っ逆さまに叩き落ちても、あなたはすでに覚悟していたはずです。
 笑ってまた次の壁に挑戦しましょう。
 それが男ってもんです。



 恋愛って、奇跡なんですよね。
 世の中には30億人も女性がいるんですよ。
 その中の、たった一人を好きになる。
 これはすごい事なんです。

 そしてやっぱり、世の中には30億人も男がいるんです。
 その中の、たった一人を彼女は好きになる。
 それがあなたです。



 30億人に一人しかいない彼女を好きになり、その彼女が惚れた男は30億人に一人のあなたなのです。



 30億の、そのまた30億分の1なんですよ。
 恋愛が成立するには、これだけの奇跡が必要なんです。
 そして奇跡は毎日起きています。
 分かります?



奇跡は起こせるのです。




 奇跡は神業ではありません。
 この奇跡を起こすのは人間です。
 他でもないあなたです。

 逆に言うと、あなたが一歩を踏み出さない限り、永久に奇跡は起こらないのです。
 いかがでしょう。
 ちょっくら奇跡でも起こしてみませんか?




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