母論漫画論・名台詞編3』




「伝えておきます」




 のっけから私事で恐縮ですが、私にとって母親という存在は概念なんですね。
 抽象の海に浮かんでるモノなんですよ。
 ですから、姿かたちや触感、匂い、そうした一切が必要な時は、すべて想像によって補う事にしています。

 んで。
 多少なりともそうした概念にリアリティを持たせるべきなんでしょうけど、そこは妄想の世界ですからね。
 理想になっちゃうわけですよ。

 そうしてできた心の中の母は、欠点一つ無い完璧な女性です。

 エアマザーですから。

 スーパーの袋持ったまま電車に乗ったりしませんし、頭にカーラー巻いたまま買い物に出たりしないのです。
 笑い声がドリフと一緒なんて言語道断です。
 なんせ理想ですからね。
 現実にそういう人がいるかどうかなど、この際関係ないのです。

 なかなか漫画のお話になりませんけど、もうしばらくお付き合いください。
 こうして母(に限らず様々な人物像)を頭に思い浮かべる場合、その雛形となるのがテレビドラマや映画、あるいは本稿で取り上げている漫画となるわけで。
 商品見本を見て注文する行為と同じです。
 これには分類が大切なんです。
 例えば【ヒト属】という存在を分類すると以下になります(唐突)。



【ヒト属】

ホモ・フローレシエンシス
H. floresiensis
ホモ・ルドルフエンシス
H. rudolfensis
ホモ・ハビリス
H. habilis
ホモ・エルガステル
H. ergaster
ホモ・エレクトス
H. erectus
ホモ・アンテセッサー
H. antecessor
ホモ・ハイデルベルゲンシス
H. heidelbergensis
ホモ・ネアンデルターレンシス
H. neanderthalensis
ホモ・サピエンス
H. sapiens




 科学的ですね。
 我々は【霊長目】の中、ずーっと下ってヒトという種に属する存在です。

 実はこの手の分類法、母に限らずあらゆるキャラクターに適用できますね。
 性格で分けたり。
 嗜好や立ち振る舞いで分けたり。
 人によっては容姿も重要なファクターでしょう。

 という事で。
 「母」という存在をちょっと分類してみますと。



【母】

お母さん
母さん
お母様
かあちゃん
母上
母上様
おふくろ
ママ
森光子




 ぱっと思い付いただけで、これだけ細分化されました。
 中にはどうしてもシュブ=ニグラスじゃないと嫌とかいうツワモノの方もいらっしゃるかと思いますが(思わねぇ)、ともかく大いなる【母】にはこれだけの種類があるわけです。

 【母】とは母親を指し(当たり前)、家族における子供の親という立ち位置ですが、それは同時に夫の【妻】でもあるわけです。
 母と同じように、妻もまた色々とあるでしょう。



【妻】


女房
カミさん
奥さん

嫁さん
母さん
お母さん
かあちゃん
ママ
黒木瞳




 いかがでしょうか。
 かなりの部分、【母】と被っているように思われます。
 特に子供ができると、妻は同時に母でもありますからね。

 さてさて。
 な〜んでこんな事を長々と書いているかというと、すなわち母という広大な原野を実感していただきたかったからです。
 よろしいですか?
 世の中には、様々な母たちがいるわけで。
 映画やテレビや小説や漫画やエロゲーを見れば、それこそオランダにおけるチューリップみたいに多種多様な母。
 「優しい」とか「色っぽい」とか「血が繋がってなくて父親は単身赴任」とか、理想を言い出せば果ても無く。
 そして。
 呼び方によってこんなに印象が違うのに、すべてがやっぱり母なんですよね。
 母はやっぱり強かった。

 「理想の○○」という観点から考えると。
 母というのは、「男」「女」の2台巨頭のすぐ下に分類されるべき大きな項目なのでしょう。
 もちろん他の家族、父や兄や姉や妹もそうでしょう。
 家族とは、それだけ大きな存在なのです。



 今回お話するのは、そうした大きな大きな存在たる母の、漫画における理想とも言える台詞です。
 やはり「何気ない一言」がキーです。

 ちなみに。
 妹は…。「名前呼び捨て」「名前+ちゃん」が支配的でしょうか。
 姉は…。「姉さん」「姉ちゃん」「姉貴」「姉御」「姉や」「アネさん」「オネエ」「姉上」「お姉さま」…。
 豪腕頑張った。姉属性だから。
 さらに上を行くのは兄ですけどね。
 12人の妹から12通りで呼ばれますからね。
 どうでもいいですけど。



 それでは。
 いよいよ漫画のお話になるわけですが。

 冒頭のセリフ、「伝えておきます」について。
 …別に何でもない言葉です。
 こんなもん日常で聞けます。
 それどころか、変な業者に電話をたらい回しにされた挙句、最後の最後で捨てゼリフのように聞かされる事もあります(私怨入ってます)。
 では、どうしてこんなセリフが『名台詞』たり得るのでしょうか?

 その秘密に迫るために、まずは出典をご紹介いたします。
 こちらからです。



『ヴィンランド・サガ』
2巻P57 第8話「旅の始まり」




 ヴァイキングのお話です。
 世代的には「小さなバイキング・ビッケ」とか思い出されるかも知れませんね。
 私もそうでした。
 しかし、歴史に伝わる真のヴァイキングとは、北欧の海を駆け抜けた勇猛なる時代の覇者でありました。

 主人公の少年、名前をトルフィンというのですが。
 胸に渇望を秘めています。
 それは復讐です。
 大好きだった父を殺された恨み。
 父を殺した相手は、ヴァイキングの頭目でした。
 その恨みを晴らすため、トルフィンはみずからヴァイキングとなるのです(ヴァイキングの仲間になったのではないという点が素晴らしい)。

 いつの日か、一騎打ちでその頭目を倒す。
 それだけがトルフィンの望みです。
 彼の成長、葛藤と苦しみ、出会いと別れを、前作『プラネテス』にて星雲賞を受賞された幸村誠氏が描いています。
 とても週間連載なんか不可能だったので掲載誌を引っ越すという、ものすごい正直さが素敵です。
 伸びやかで精密な筆致が光ります。

 私、思うんですよ。
 読むたびにね。
 ああ、この人は本当にしっかりと勉強して描いてるんだなあと。
 そこかしこに、そうした作者の努力が散見できる良い漫画です。



 あらすじの続きを書きましょう。
 その、殺されてしまったトルフィンの父親なんですが。
 これがまた良いです。
 この人が艦長だったら私は人間魚雷「回天」で出撃してもいいです。
 今回は母のお話ですけど、やっぱり父も良いんですよ。
 ぶっちゃけ人間が良いんです。
 子供が自慢できる父親。
 いつか父になる日が来たら、この高いハードルをクリアしてみたいですなあ。



 されど。
 されど父は、帰らぬ人となりました。

 妖計により、一度は捨てた剣を取り。
 そして父は、戦地に赴きます。

 それを静かに見送る母。

 この時は。
 これが今生の別れになるとは誰もが思わず。




細かい事はどうでもよろしい。

読めば一目で分かる。

それが漫画です。




ご覧ください。











 …そうです。
 口にせずとも分かるのです。

 母だから、妻だから分かる事がある。
 幾百幾万の言葉を重ねなくても分かる。
 そんな、当然のようでありながらとても難しい事を。
 さらには。
 父の強さと母の優しさ。
 口下手でボクトツだけれど誰よりも家族想いの夫、おとなしく従順に見えて実はしっかり者の妻。
 行く男と待つ女。
 この、はるか昔から存在するモチーフを。
 漫画ならではの手法で表したのがこの1ページなのでしょう。

 この間。
 この表現こそが、漫画の武器だと思うんですよ。



 このお母さんですけど。
 作中、あんまりしゃべりません。
 アニメになったら声優さんも楽だろうなぁと思います。
 別に無口をことさら強調する演出、ではないんですよね。
 それが自然だから。
 わざわざ言葉にしなくても、お母さんは分かってるんだね。
 そんな感じがするんですよ。

 だからね。
 セリフそのものが「名台詞」というわけではないんですよ。
 この場面で。
 この瞬間に。
 この見せ方で言うからこそ、名台詞と成り得るのです。
 映画でも小説でもなく、漫画だからこそ。
 その理由は、漫画が大好きなあなたならすでにご存知のはずですね。
 これこそ漫画の持つ力なのです。



 一時は筆が滑ってどうなる事かと思いましたが、何とか豪腕にまとめられて良かった良かった。
 また気が向いたら書きましょう。



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