「手伝おうか?」 …漫画の世界には、歴史に残る名台詞がいくつもあります。 されど、意外に知られていない(でもコアなファンなら「ああ、アレか」と思い出せる)隠れた名台詞も、探してみると実に多いものです。 例えば上記の台詞なんですけど。 日曜の午後のお父さんが、お尻をぼりぼり掻きながら台所のお母さんに言いそうな台詞です。 これだけでは何が何やら分かりませんね。てか、週に何度かは確実に、リアルタイムで耳にしそうな台詞です。 しかしそんな単純な台詞が、漫画という魔法のフィルターを通す事によって光り輝く瞬間があるのです。 「言葉」というのは、最も手軽で難しい、最も平和で凶悪な、最も射程距離の長い武器です。 その刃は、肉体を傷付けずに魂を貫きます。 巧の手に握られた刃の輝く瞬間を見てみましょう。 漫画界においては、名台詞の抽出率がインテル株より高いこの作品。 少年ジャンプ連載『ワンピース』からの台詞です。 初出・「少年ジャンプ2002年26号」 231話 「ハイエナのベラミー」(単行本25巻収録) ベラミーってのは敵役ですね。 キン肉マンの「スプリングマン」みたいな、バスケリーガーのトップジョイみたいな、スーパースリーのコイルみたいな奴でした(誰が知ってるんだ)。 まあ、これは関係ないんですが。 冒頭の台詞は、ゾロというキャラクターの台詞です。 有名なんで説明は不要かも知れませんが、主人公ルフィーの仲間で、海賊船ゴーイングメリー号の用心棒たる男ですね。 ジャヤという島で、船長のルフィーに言った台詞なんですが。 状況はこんな感じですか。 クリケット・ノーランドという男の率いる「猿山連合」と打ち解けたルフィー海賊団。伝説の「空島」へ行く手がかりとなる変な鳥を探すため、ルフィーたちは森の奥へと向かいます。 しかしそこで事件が。 ルフィーたちが留守の間に、猿山連合は他の海賊の襲撃を受けてしまうのです。 死ぬ思いで手に入れた黄金を奪われ、瀕死の重傷を負ってしまった猿山連合の面々。 ルフィーは、静かな怒りに燃えるのです。 たった一人で海賊団に報復しようと立ち上がるルフィーに、ゾロが一言。 「手伝おうか?」 …これが、実に素晴らしい効果を上げているのです。 この何気ない(ように聞こえる)台詞が、なぜ効果的なのか。 そこをじっくりと考えてみましょう。 まず、ゾロという男の立ち位置を考査します。 この男は用心棒です。 荒事を一手に引き受ける役目なわけで、普通なら当然、報復に向かうのはゾロの役目だったはずなのです。 されど。ゾロはルフィーが一人で報復に向かう事を止めないのです。 通常なら、ゾロは漫画的にどのような反応を見せていたでしょうか? 「あンの野郎共! ぶった斬ってやる!!」…と飛び出したでしょうか。 これはアリだと思います。 ゾロという男は一見クールですが、仲間の痛みを知る事のできる男だからです。 あるいは、不適に笑ってこう言うかも知れません。 「待てよルフィー。そいつは俺の仕事だ」 これもアリだと思います。 ゾロというのは自分の役目を知り尽くしている男なのです。 また、こう言っていた可能性もあります。 「俺も行くぜ。…まさか止めたりしねェだろうな?」 この展開もアリでしょう。 この男は、自分の腕に揺るぎない自信を持っているからです。 そして、自分には何ができるかをしっかりと理解しているからです。 しかし。 たった一言「手伝おうか?」と確認しただけで、ゾロはルフィーを一人で行かせてしまうのです。 なぜでしょうか? そこにこそ、この台詞の素晴らしさが隠されていると思います。 ゾロは用心棒で、船長はルフィーであります。 どれほどの力を持っていようとも、船長あっての海賊団。かつては「海賊狩り」として恐れられていたゾロが、ここを十分に理解している。 まず、これが分かります。 そして、ルフィーという一人の男に対する信頼が上げられます。 船長と用心棒という序列を超えた信頼です。 ルフィーの強さを誰よりも信じている仲間だからこそ、ゾロはルフィーを一人で行かせるのです。 実際、ゾロはルフィーの勝利を確信しています(その事は、この先のシーンで明らかにされます)。 この台詞をゾロが口にしたのは、あくまで職務上の必要からであり、そこに他意はありません。 この台詞で分かる事はここです。 怒りを仲間に託したという事。 艱難辛苦を共に乗り越えたルフィーになら、任せても大丈夫だと信じて疑わないという事。 そして読者に次の事を訴えかけてきます。 たった一言で分かる存在、仲間という存在を。 作者である尾田氏は、ナチュラルなクリエイターです。 『ワンピース』という作品には、こういった台詞がたくさん発見できます。 製作場面を見た事がないので私の想像なんですけど、この人はたぶん、こういう台詞を己の感性で描いていると思うのです。 練りに練った技巧ではなく、思うがままに軽やかに、そして自然に描き上げている…と、強く感じてしまうのです。 早い話が天然です。 音楽家で言うと、モーツァルトとかその辺に例えられるでしょうか。 最近のジャンプ畑には、荒木飛呂彦氏や『デスノート』原作の大場つぐみ氏など、ベートーベン側に位置するであろう技巧派も多くなってきました。 そんな中で貴重なこの感性。 たった一言の中に多くのイマジンを積み込む事のできる才能は、非常に貴重だと思えます。 これからもぜひ注目して行きたく存じます。 漫画という世界は実に多様です。 いずれまた、こんな形で思う所を記事にしてみたいと思っています。 連載止まって忘れられてる記事もけっこうありますけど。 back HOME |