ケース1.

「リンちゃん、どこ?」



では、新潟出身の知人の体験談からお話しましょう。

ある夏の終わりに起きた「実話」です。






◆  ◆  ◆





 「すずむし」って、いるじゃないですか。

 ええ。あの「鈴虫」ですよ。

 秋になるとよく、こう…庭先とか、道端とかでね。



   り ぃ ぃ ぃ ん … 。

    り ぃ ぃ ぃ ん … 。




 って…。鳴いてるでしょう。

 あの鳴き声がね。子供の頃から、私。大好きで。

 よく飼ったものですよ。

 かぼちゃを、くり抜いて。

 竹ひごでね。檻を作ってね。

 その中で飼うんです。

 こうすれば、ほら。餌がいらないじゃないですか。

 かぼちゃの虫かごが、そのまま餌になるんです。

 秋の夕暮れ、日差しが傾いてくる頃にね。昼間のあの、むわっとした暑さがようやく落ち着いてくる頃に。

 一匹、また一匹、と…。鳴き始めるんですよ。



   り ぃ ぃ ぃ ん … 。

    り ぃ ぃ ぃ ん … 。




 …ほら。聞こえるでしょう。

 微かに、遠くで。…聞こえるでしょう?

 涼しそうな鳴き声が。

 か細いけど、確かな鳴き声。…この声が、私は大好きなんですよ。



 あの日もね。

 こんな暑い一日でした。

 溶けるような残暑きびしい夕べ。…そして訪れる、ひとときの涼風が。

 庭の草木を、そっと揺らして。

 かさかさ。かさかさ、と。

 夕暮れ時のその風の音にね。鈴虫たちの、いつ果てるとも知れない輪唱が。

 部屋の隅々に、しん…と染み渡って。

 そして日が暮れ、夜のとばりの中にひそやかな星明りが灯る頃の。

 そう。あれは夜でした。



 一体、何匹くらい飼っていたんでしょうね。

 5匹か、10匹くらいはいたかも知れません。

 かぼちゃが食事に出るたびにね。母にせがんで、肉厚の皮をもらって。

 竹ひごは当時、文具屋さんで売ってましたからね。

 それでも足りなくなって、少ない小遣いで虫かごを買ったりもしましたっけ。

 緑色のプラスチックでできた、例のよくある虫かごをね。

 1つのかごに1匹ずつで。

 餌はナスとか、キュウリをあげていました。

 野菜くずだけではなく、かつお節や、煮干なども与えてね。

 鈴虫は、何でも食べますからね。

 それが他の鈴虫でも…。

 そうなんですよ。鈴虫は「共食い」をするんです。

 最初は、それを知らなくてね。捕まえるたびに、同じかごで飼っていたんですけど。

 ある日、様子がおかしいのに気づきましてね。

 鳴き声が、いつもと違うんです。



   ぢ ゅ ぃ ぃ ぃ … 。

    ぢ ゅ ぃ ぃ ぃ  … 。

    ぢ ゅ い い い ぃ … 。

     ぢ ゅ い い い ぃ … 。



 …それは鈴虫が、他の鈴虫を喰う音。

 鈴虫の死に行く声でした。

 生きながら仲間にむさぼり喰われる音です。

 断末魔の悲鳴…だったんですね。



 そんな事があってから、別々のかごで1匹ずつ飼うようにしました。

 せっかく捕まえたのに、いなくなったら悲しいですからね。

 この頃から、ちゃんと図鑑を見て飼育方法を勉強したんです。

 鈴虫の好む環境とか。

 寿命とか、卵の産ませ方とか。

 鈴虫は暗い所を好むので、なるべく日の当たらない場所を確保して。

 土を敷き、時おりそれを湿らせてあげて。

 隠れ場所も作ってあげる。

 こうすれば、けっこう長く生きるんですよ。

 かぼちゃで飼ってた時は、4,5日もすればすぐ死んじゃってね。

 鳴いたと思ったらすぐ、コロッと。

 1日部屋を空けて帰ってきたら、ほとんど死んでた事もありましたね。

 仰向けになって。6本の脚が惨めに縮んで。

 体から、白いカビが生えてたりしてね。

 小さなダニが、うじゃうじゃ湧いた事もありましたよ。

 仕方がないので、かぼちゃごと廃棄しましてね。

 それからは、もっぱら虫かごです。

 土を底に敷いて。植木鉢の欠片や、木切れで隠れ場所も作って。

 そのうち、虫かごも足りなくなりましてね。

 いとこから、プラスチックの水槽を分けてもらったんですよ。

 小さなやつを5つほど。

 いとこも色々と飼うのが好きでね。亀とか、メダカとか。

 だけど引っ越してしまうので、持っていた水槽を全部もらってきたんです。

 それから飼育も本格的になりましたっけ。

 卵を産ませて、たくさん繁殖させたいと思うようになって。

 もう、夜には大合唱です。

 いつもどれかが鳴いているんですよ。

 何しろ大所帯ですからね。

 親もいい加減、呆れた顔になりまして。

 最初は涼しげな良い声だったのに、これじゃ騒音だって。

 でもね。

 ここまで来ると、なかなか止められないものなんです。



   り ぃ ぃ ぃ ん … 。

     り ぃ ぃ ぃ ん … 。

      り ぃ ぃ ぃ ん … 。

       り ぃ ぃ ぃ ん … 。


       り ぃ ぃ ぃ ん … 。

        り ぃ ぃ ぃ ん … 。




 …そして、あの事件が起きたのです。



 あの日もやはり、鈴虫たちが鳴いていて。

 暗い部屋の中で。

 何匹も。何匹も。何匹もの鈴虫が。



 右の方で、   り ぃ ぃ ぃ ん … 。

 左の方で、   り ぃ ぃ ぃ ん … 。



 上でも、下でも。

 足元から枕元から、羽を震わすあの声が、暗い部屋に響いていました。

 とてもうるさい、と思うでしょう?

 ところが、人間不思議なもので。

 この頃には、もうすっかり慣れてしまっていたんですよ。

 勉強をしていても。テレビを観ていても。

 電話で話す時だって、ちっとも気にならなくなっていたんです。

 知ってますか?

 鈴虫の声って、電話だと聞こえないんですよ。

 波長の関係らしくて。

 だから、こちらがどんなにうるさくても、相手には一切聞こえないらしいんですよ。

 不思議ですよね。

 私、かえって静かな方が不安になるくらいで。

 いつもこの声が聞こえていないと、どうにも変な感じがして。

 それくらいですから、もちろん熟睡もできてしまうのです。

 こんなに盛大に鳴かれてもね。

 あの日もそうでした。

 本を読み終え、部屋を暗くしましてね。

 途端に合唱が始まります。



 部屋の隅から、   り ぃ ぃ ぃ ん … 。

 暗い奥から、   り ぃ ぃ ぃ ん … 。



 …そしていつしか、私はぐっすりと眠ってしまいました。



 まどろみの中…。

 時間は分かりません。

 真夜中過ぎか、明け方か…。

 ともかく、窓の向こうの空が、妙に薄白かったのを憶えています。

 相変わらず、薄闇に鈴虫の声が響く部屋で。

 なぜか私は目が覚めたのです。

 なぜ、目覚めてしまったのだろう。

 夢も見ず、ぐっすりと寝ていたはずなのに。

 …ぼんやりと考えました。

 鈴虫は鳴いています。



   り ぃ ぃ ぃ ん … 。

    り ぃ ぃ ぃ ん … 。




 哀切なようで、時に歌い上げるようで。

 鈴虫が。

 鈴虫が鳴いています。



   り ぃ ぃ ぃ ん … 。

    り ぃ ぃ ぃ ん … 。




 …その時。

 窓の外に誰かがいました。



 … ま ど の そ と に 。



 確かに。

 誰かが、何かがいるのです。



 それは、女の人のようでした。

 うっすらと影が見えました。

 長い髪の…女の人でした。



   り ぃ ぃ ぃ ん … 。

    り ぃ ぃ ぃ ん … 。




 …鈴虫が。

 鳴いています。



 女の人は。

 ゆっくりと。

 こちらを向いたようでした。



   り ぃ ぃ ぃ ん … 。

     り ぃ ぃ ぃ ん … 。

      り ぃ ぃ ぃ ん … 。

       り ぃ ぃ ぃ ん … 。


       り ぃ ぃ ぃ ん … 。

        り ぃ ぃ ぃ ん … 。




 鈴虫たちは鳴き続けます。



       り ぃ ぃ ぃ ん … 。

        り ぃ ぃ ぃ ん … 。

       り ぃ ぃ ぃ ん … 。




 そして。

 声が、聞こえました。








「リンちゃん、どこ?」









 ぴたりと声が止みました。

 …静寂。

 あれだけ鳴いていた鈴虫たちが、一度に鳴き止んでしまったんです。



 突然の静けさの中。

 窓の外には、もう…誰も。何もいなくて。

 いつしかまた…。眠っていたんです。



 次の日。

 起きてみると、何だか奇妙な感覚がしました。

 どうも、いつもと違うような。

 なぜだろう。何があったのだろう。

 私は、きょろきょろと部屋を見回して。

 …そしてすぐに理解しました。



 鈴虫の声がしないのです。

 かさこそ動く音も。あらゆる気配が。



 鈴虫が、消えていました。



 鈴虫が。

 あれだけたくさんの鈴虫たちが。

 …1匹もいないのです。

 ただの1匹も。

 どこかに隠れているわけでも、死んでしまったわけでもなく。

 ただ消えたのです。

 全部。

 1匹残らずに。



 鈴虫たちは、一体どこへ消えたのでしょう?

 あの水槽の中。枯葉の下や部屋の隅で。

 薄暗く、誰の目も届かない所にうずくまって。

 闇に触角を動かしながら…。

 鈴虫たちは、何を考えていたのでしょう。



 窓を開ければ、すでに日は高く昇り。

 眼下の庭で洗濯物が揺れていました。



 そう。

 私の部屋は、2階にあるのです。

 足掛かりになるようなものは…。もちろん、まったくありません。



 あの女の人は。

 髪の長い、あの女の人は。

 一体、何者だったのでしょう。



 子供の頃にこれを体験してから、一切鈴虫は飼っていません。

 あの鳴き声を聞くたび、ちょっと背中が…薄ら寒くなります。

 だって。

 もし鈴虫を飼ってしまったら。

 そして、もしまたあの女の人が来たら…。





◆  ◆  ◆





『ビッグマウス田中のお返事』







お〜い。ちょっと待てやお前。



これじゃ普通に怖い話じゃねぇか。



俺っちが求めてんのはよ。

そーいう話じゃなくてよ。



こゆい話なわけよ。オーライ?



こいつぁアレだ。

なんか長い上にオチが今イチ微妙っぽくね?

こんなんじゃデルモンテ平山だって振り向かねぇぞ。

俺っちならこうするね。



 …その日の夜。

 何気なく夕食の席に付くと。

 大きな皿に、母の自慢の料理が乗っていまして。

 ええ。私はこれが大好きなんですよ。

 若い方は、ご存じ無いかも知れませんね。

 『いなごの佃煮』。

 しかし、よく見ると…。



ごめん駄目だった。



これじゃ単なる気持ち悪い母の話だ。

明け方に息子の部屋のぞいて鈴虫を盗む母上様。



こんな女の股から生まれたら首くくるわ。



…こゆいけどな(笑)。




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