たーにし、たーにし、コートコト。 いやまのまちに、いかねえか。 いいやの、いいやの、コートコト。 きょねんのまちに、いったらば。 さんしょのみそで、こねられた。 いいやの、いいやの、コートコト。 風の色が変わる。世界が回る。夕日が今、燃え上がる。 祭の歌が野を越え、遠く山を望み、私はその中で風の一部になる。 ああ、なんと懐かしいことか。 縁日に明かりが灯る。うす紅色のちょうちんが、子供の頃に遊んだ神社まで続いている。 これはただの道ではないのだろう。一歩行くたびに、私の体に溜まった時間がほどけて行く。 わたあめを高々と掲げ、人混みを縫うように駆けて行く女の子がいる。笛の音に重なる歓声。男は腕を組みながら、ずらり並んだのれんに視線を遊ばせる。女は男の袖を引き、子供に向かって何やら叫ぶ。 紺色の浴衣の若い娘が、両手でヨーヨーに挑戦している。恋人らしき男の笑い声。その手には、戦利品の金魚が2匹、せわしなく泳いでいる。 太鼓の音が近づいてきた。 砂利を踏む音。笛の音。派手な呼び声。子供たちの高い声。それらに混じって、確かに太鼓が聞こえてくる。 不思議な感覚だ。祭は、暖かい海のようなものだ。私はそれを漂うクラゲのような感覚でいる。 ラムネを飲もうか。店主は商売そっちのけで、近所の奥さん連中と陽気に話している。 射的をやってもいい。学生らしき若い集団が、身を乗り出して互いに競っている。 小腹が空いたら、いくらでも選択枝がある。やきそば、たこ焼、お好み焼。チョコバナナにりんご飴。 祭の音が聞こえるだろうか。浴衣にうちわ。腰から下げた手ぬぐい。息を吹けば、3方向にくるくる伸びるおもちゃの笛。くねくね動く竹のヘビ。そして、お面。 「お面」だ。 ふと気づいた。全員、お面をしている。 音が止まった。 みんな、私を見ている。 いくつものお面が。 私を。 時が止まった。 私は、お面をしていない。 小さな男の子が、私にお面を差し出す。 狐のお面を。 いやだ。 かぶりたくない。 囲まれている。 ゆっくりと、みんなが近づいて来る。 静寂。 みんなが、一斉にお面を外した。 走った。 妻の声がする。 ただ走った。 そう、私には妻がいる。 がむしゃらに。 子供も。 横道を。 家も。 暗い横道を。 仕事も。 どこへ続くか分からない、暗い横道をそう確かに妻の声だ、あいつが泣く声が必死になって走った、悲鳴をあげて頭に響く、私に向かって帰って来てと後ろも見ずに、振り向いたらもう二度と叫ぶ声がだんだん大きくなって、手にあいつのぬくもりを帰れなくなると分かっていたから、真っ暗な中を感じた。走った。 私は、生きる。 おぼろげにしか覚えていない祖父の顔。幼稚園の頃、裏山の高い木のてっぺんを目指していた友達の顔。肝臓の病気に苦しんでいた母の顔。酒に酔って車を運転した先輩の顔。子供を堕ろしたと、いつも噂されていた女子社員の顔。痴呆が進み、家族も分からないでいた近所の老人の顔。 祭は、彼らのものだ。 泣き崩れる妻の手を、力強く、弱々しく、握った。 確かにこのぬくもりだ。 確かにこの声だ。 頬に伝う熱い涙。この愛する者のために、私は生きる。 祭囃子は、もう聞こえない。 back home |