もう一度会いたい、と思った。
 あの美しい人魚に。
 あの甘美な歌声に。


短編小説「マーメイド幻想」


 「信じるわ。私」
 午後の風は穏やかに、彼女の髪を揺らしている。黄金色の海。
 遠くに、珊瑚礁に囲まれた島が見える。
 「だって、とても神秘的な海だもの」
 彼女はグラスを傾ける。スプリッツァーが海の色に溶けこんでいる。揺れるマストの向こうに、夕日が海と触れ合っている。
 私はクーラーを閉じ、彼女の横に座った。
 「不思議な人だね、君は」
 彼女の髪は絹のような手触りだ。
 「今日こそ、人魚に出会えるような気がする」
 そう言って、彼女の体を抱き寄せる。折れてしまいそうな肩。
 彼女はローブを落とした。夕日も色あせてしまいそうな、鮮やかな赤のビキニが眩しい。
 「素敵ね。とっても」
 唇を重ねる。ヨットを撫でる風と、波の音の中で、私たちは一つに溶け合った。
 そう。彼女こそ人魚だ。
 プレゼントは、銀色のブレスレット。きっと彼女はびっくりするだろう。そして、顔をくしゃくしゃにして抱きついて来るに違いない。
 船の先端に留めてある鉄の輪が、にぶく光った。
 夕日が沈む前に、私は手錠を取り出すのだ。そして彼女の細い手首にそれを飾ろう。
 そろそろ、鮫たちがやって来る。
 さあ、歌ってくれ。甘美な声で。
 私の愛しいマーメイドよ。



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