短編小説「それぞれの道」


    「…このマオロン、命に代えても、不老長寿の妙薬を持ち帰る所存にございます」
 帝にそう伝えたのが、今朝。
 いかつい顔の男は今、妻たるフェイリンの肩を抱いている。
 この髪の匂いを感じるのは、今日で最後になるやも知れぬ。
 「必ず、生きて帰ってくださいましね」
 フェイリンの優しい言葉が痛い。
 「ああ、必ず帰るとも」
 そしてマオロンは旅立った。


 「これでやっと、邪魔者が消えてくれよったな」
 帝の笑みに、側近たちが頷く。
 その中の一人がたずねた。
 「して、どのような罪状に?」
 「そうさのう。宝物庫より、我が宝を盗んだことにせよ」
 「御意に」
 宮殿の主の高らかな笑い声が、階下にまで響き渡る。
 その笑いは、翌日になってかき消されることになる。


 「た、大変でございます!」
 血相を変えて駆け行くのは、よろいをまとった兵士長。
 そのまま、帝の玉座に登る。
 帝はまだ就寝の衣を着たまま、美しい側女も肩をはだけたままである。
 「何事か。騒々しいことよ」
 「報告いたします。宝物庫より、竜の紅玉が…」
 唾を飲む兵士長。
 「…消えております」
 「なんと!」
 途端に、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
 「おのれマオロンめ。あっさりと我が使命を飲むかと思えば、このような…」
 帝のその表情、鬼も逃げ出すかというほど朱に染まる。
 「誰ぞ! きゃつを捕らえて参れ!!」
 「私が志願いたします!」
 答えたのは、先ほどの兵士長。今こそはっきりと胸を張っている。
 「おお、それは心強い。どれ、何百でも手の者を…」
 「いやいや、私一人で十分にござります」
 「なんと。たった一人であのマオロンを…」
 「だからこそ。多勢で押しかけ、気づかれた時をお考えになられたし。きっと自害は明白。紅玉も共に」
 帝の周囲は、しばしの沈黙となった。
 側近たちのひそひそ声を一喝するように、帝は立ち、
 「あい分かった。今すぐに行け!!」
 大きな声で兵士長に告げた。


 ようやく静かになった帝の玉座。その髪をなでているのは、美しい側女である。
 「あまり興奮なさらないでくださいまし」
 「うむ。すまなかったな。お主の前で」
 そして帝の手が、しっかりと側女を抱く。
 「あんな宝石など、くれてやればよろしいのですわ」
 「わっはっは。しかし、お主は気丈な女子よの。あのような話を聞かされて、眉ひとつ動かさぬとは」
 側女の顔に微笑みが浮かぶ。妖艶な瞳に帝が写る。
 「夫は、とうに死んだのでございます。ようやくこうしてひとつになれたのですよ」
 「うむ。そうであったな。フェイリンよ」
 二人は固く抱きしめ合った。


 「して、何用か?」
 マオロンの問いに、兵士長はゆっくりと近づいた。
 「くだんの使命をあなたが受けた時に、もうあなたとは二度と会えないものと思いました」
 「だが、こうして会っている」
 二人の距離が、触れそうなほどに近くなる。
 「あなたは、分かっていたのでしょう?」
 マオロンは、寂しそうに笑う。
 「あなたを越えるために、来ました」
 そして兵士長は懐に手を入れる。
 「もう、退職金ももらってあります」
 竜の彫ってある赤い宝石を見せた。
 マオロンの笑みが広がる。
 「所詮、血塗られた道よ」
 「お師匠様。いざ」
 二人は同時に剣を抜いた。



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