短編小説「戦」



 一歩一歩、敵陣に向け進み続ける。それが我らの役目だ。
 我らが殿はすでにはるか後方に。我は振り向くことをせぬ。ただ、敵を探し、そして斬るのみ。
 戦力はおそらく五分だが、我の後ろには、頼もしき大槍を構えた突撃兵が隙を伺っている。
 味方の騎馬が脇を走り抜ける。戦はまだ始まったばかりである。


 この広い戦場のあちこちで、剣戟の音が聞こえてくる。敵のものとも味方のものとも分からぬ悲鳴。そして不意に訪れる静けさ。
 どれも我が友よ。我はこれを求めてこの場にいる。
 いざ、参られよ。我が太刀の切れ味、とくと知るがいい。
 やがて日は西に傾き、かすかに見える敵陣を浮かび上がらせる。敵将の組み上げた矢倉が、戦いの熱気を通してゆらめいている。
 あそこまでたどり着ければ…。
 気配を察し、前の薮を思いきり斬りつけた。手応えあり。敵の歩兵が、鮮血をほとばしらせながらどうと倒れる。血がヨロイを染める。
 馬鹿者が。我の前には死あるのみ。ひと太刀で昇天したことを感謝するが良い。しょせんは未熟。
 しかし、それは我のことだった。
 突然、斜め後方から、銀色の閃光が襲った。
 痛みを感じる暇もなく、我は倒れた。


 どうやら、ここは捕虜の収容所らしい。敵に捕らえられたのだ。
 あの無双の槍持ちも、風のような騎馬兵も、みんなうなだれている。私にしても同じだ。
 ここから逃げ出さなくてはいけない。だがどうやって?
 その答は出ている。敵陣に加わるのだ。寝返るのだ。
 例え非国民と指をさされようと、戦を続けるにはこれしかない。生きてここを出るには。
 全身に、力がみなぎって来るのが分かる。今までにない方向にまで動ける。
 殿。味方であったのは先ほどまで。
 お覚悟。




 「…以上、139手を持ちまして、先手、白井八段の勝ちでございます」
 名人は、頭を下げた。



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