短編小説「伝説」



 「ライカ124C、到着しました」
 背中の手術痕が気になるが、ともかく敬礼をした。まだ上司はおらず、先輩の「旅行者」だけ一人でそこにいた。
 ソルがまともに目に入る。スクリーン越しとはいえ、強力な光に圧倒されそうだ。
 「楽になさい。30Mも前じゃないの。すこしお話をしましょう」
 「光栄です」
 勧められるままに席についた。先輩の肌が、逆行の中でますます黒く感じられる。
 自分だって同じだ。この世はニグロイドしかいないのだから。
 「まず聞くわ。あなた、どの程度「オトコ」を勉強したの?」


 ポッドの中は暗く、心の中も似たようなものだった。練習の通りに脚を抱えて丸くなると、背中の疑似細胞から出た薄い膜が体を包み込む。
 はるか昔にライブラリで見たことがある…コウモリ、だったか。今の自分はそれにそっくりだ。
 「秒読み開始」
 私は穴に落ちて行く。時間という穴に。
 木星の鉱山衛星と同じ名前の土地に、2万年の時を落ちて行くのだ。
 人間という種族がまだ生きて行くために。
 体の中のマヒ薬は、帰る時には、この時代ではもう手に入らないものに変わっている。
 「射出」
 体から重力が消えた。感情も。すべて。


 2世紀ほど前まで、この世界にはまだ「オトコ」がいた。
 男。異性。XYという劣悪な遺伝子を持った存在。
 太陽…ソルの異常な活動によって、この種族(違う! 同種の異性だ)は絶滅してしまった。女を含むすべての白人や黄色人種も共にだ。
 それでも、人間はその生を諦めなかった。
 クローンによる大量のコピーが失敗した時、残された道は、オトコの遺伝子を手に入れることだった。
 歴史そのものの改ざんが不可能なことは証明されている。ポッドも、同じ質量の生体しか往復させることができない。
 だから、遠く時間をさかのぼって、オトコそのものから遺伝物質を手に入れるしかないのだ。
 歴史に抵触する恐れのないほど古代で、遺伝子の形質がわずかでも変化しないほどの近代に。
 自分は母になるのだ。


 きこりのハンスは、汗だくになって目が覚めた。
 「で、出た…」
 夢魔が、ついに現れたのだ。



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