短編小説「バリー・スパンキング」



 俺様はバリー・キング。
 なぜバリー・スパンキング(平手打ち)って呼ばれてるかって? あんたは大事な客だ、話してやろう。
 おーい、マイラヴ。客にコーヒーをいれてやってくれ。俺様はブランディだ。
 なに、昼間は飲まないって誓った? そうだったか? じゃあ仕方がねえな。せめて、ブランディにコーヒーを垂らしてくれよ。
 分かった分かった。コーヒーに、ブランディを垂らしてくれ。ちょっと言い間違っただけじゃねえか。
 さて始めよう。ありゃ、もう10年も前さ…。


 その頃の俺様は、この辺りじゃ知られたブローカーだったさ。世が世なら、カポネやルチアーノだって俺様に一目置いていたはずだぜ。
 今じゃメキシコの阿保どもがヤクを仕切ってるが、当時はまだ俺様たちの右に出る奴はいなかった。
 あの日は確か、この通りの先にあるブラック・ローズっていう店で、引き渡しがあったんだ。当然、店は俺様のシマよ。
 …なんだって? あれはリザードのシマ? どうでもいいじゃねえか、ほら、湯が沸いてるぞ。
 ま、それでだ。俺様は時間に厳しいのがモットーでな、その日もだいぶ早めに着いてたんだ。
 前の晩から雨が降っててな。しとしと、しとしと、この街名物の、ケツの穴からカビが生えそうな雨よ。おっと失礼。
 ただカウンターに座って、灰色の通りをぼんやりと眺めていたのさ。
 知ってるか? 雨の夕方は、取引がうまく行かない場合が多いんだ。ああ? そりゃ雨の明け方だって? うるせえな、いいから黙ってコーヒーいれてろよ。
 まったく、無駄にぶくぶく太りやがってよ。
 いや? 何にも言ってないぜ?
 まあ、とにかく。俺様もユウウツな気分になってたとこよ。そこに突然! …もうちょっと寄りな。
 突然、絶世の美女がお出ましになったわけさ。
 それがもうあんた、花なんかに例えるのがもったいねえや。とにかく見たこともない、魂まで抜かれちまいそうな美人なんだよ。
 もちろん俺様は、すぐさま横に立ってドアを押さえたね。そして、とっておきの渋い声で言ったのさ。「お嬢さん、奥の個室なら、ゆっくりとくつろげますよ」ってな。
 するとびっくり。ちゃんとついて来るじゃねえか。こうなりゃもういただきだ。俺様はヤクのことなんざすっかり忘れて、天にも登る気分だったね。いい女は見る目があるよ。
 さあ、個室に二人っきりだ。いい女ってのはお高くとまってるもんだが、彼女はそうじゃなかった。これがまた話好きな女でね。インフレの話からドジャースのチーム打率まで、そりゃもう多彩な話題で盛り上がったもんさ。
 当然俺様の興味は、彼女がいつの時点で服を脱ぐか、これだけだった。当たり前だろ? 健全なる男子としては。
 ところが、妙なことになったんだ。彼女が、ヤクを持ってるか、と聞いてきたんだな。
 おいおい、勘違いするな。今でこそヤクは娼婦と不良学生のものだが、当時は上流階級の密やかなる楽しみの一つだったんだぜ。
 だから答は一つさ。ハイ、持ってます。
 そしたら彼女は手錠を出して、俺の手首にガチャン。あとで聞いた話だが、取引相手のブッチの奴が、俺様をハメたんだな。
 こんな不条理な話もないだろ。だから、俺様はお代を頂戴したのさ。
 勝ち誇る彼女に近づいて、その可憐な唇を、キョーレツに奪ってやったというわけさ。


 2年もくらい込んだあと、世の中はすっかり変わっちまってた。
 俺様の事業は水ものでな。もう下地を作るコネもない。だから、親父の後を継いで不動産屋になったんだ。これが当たってね。今じゃ、こうして俺様の前にあんたが座ってる。
 さあ、書類を見せてもらおうか。
 おお、やっとコーヒーが来たな。
 今まで何度もブン殴られて生きて来たが、あの時のおまえの一発が、一番キョーレツだったぜ。
 愛してるよ。マイラヴ。



back

home