『ARIA The ANIMATION』

2009.06.08




 アニメ感想2撃目ですけど、まさかこの作品を持って来るとは当の私がビックリでした。
 前回がパンツだったので今回はおっぱいではないかと予想してくださった方もおられるようですが、そっちはそっちでいずれ書く事になりそうなのでご安心を。
 実はその手の作品も(無職をいい事に)相当数を集中して観ており、その合い間に観たのがこの作品でありました。
 焼肉の合い間にサラダ食いたくなったんです。
 人間、脂っこいものばかり食べてると太るのは当然でして、実際そうした方々は今でも通風に悩んでおります。
 通風というのは読んで字のごとく痛い風と書きます。
 わたくし豪腕はりーも例に漏れず「揺れるおっぱい」が大好きな肉食系男子ではありますが、そんな私が名作劇場の5年後バージョンみたいなこの作品をレビューする事のギャップをぜひお楽しみいただきたく存じます。

 ※肉食系男子の使い方は間違いです。念のため。

 少しおっぱいから離れましょう。
 この作品については以前から情報を仕入れており、曰く「なかなか良い姉が登場する」「程よい百合的展開あり」との事でしたので、私の心は観る前からボスポラス海峡のように澄み渡っておりました。
 こんな阿呆な豪腕ですが、長年サイトをやっていると良い事の一つや二つは存在するのです。
 それは例えば黙っていても勝手に姉や百合やメイドさんの情報が手に入るという事であり、まだ姿を見ない全国の諸兄に深くお礼申し上げる次第であります。

 以前どこぞの飲み会にて、「姉を斬らせたら日本最高レベル」という履歴書には絶対に書けない評価をいただいた事もありました。
 恐縮ですがこの場を借りて訂正いたします。
 「斬られたら」が正解です。
 以降、バッサリと斬られる予定なのでチャンネルはそのままにお願いいたします。




早く本題に入れ。




 寸止めルールでもあるのでしょうか。
 まるで伝統派空手のような今回のレビューです(毎回ですが)。

 初見でかなり焦ったのが、この作品の設定でした。
 以下のようなものがあります。


 ・主役が新米女性である。

 ・組織のトップが「猫」である。





好評DL中です。




 もし当サイトをあまり知らない方がアリア世界を期待してダウンロードしたら大変な事になりますけど、今回の作品における舞台はなんちゃって中世ではなくなんちゃって地球でした。
 かといってSF的な要素はあまり無く、基本的には上記の「世界名作劇場の5年後」みたいな牧歌的な展開が待っています。
 本当は地球ではなくテラフォーミングされた火星が舞台です。
 ただし、この設定が本当に必要だったのかどうかは分かりません。
 たぶんウンディーネとかサラマンダーとか言いたかったんだよという理由があるのかもしれません。アドリア海でそんな事言ってたら電波ですからね。



 ストーリーについてはこの辺でもう止めます。



 何一つ語っておりませんが、そういう感じが好みの方には合うとだけ書くに留めます。
 この作品に関しては、それ以上に周辺の騒ぎの方が気になったからです。
 豪腕はりーに対する巨大な釣り針、言うまでもなくこの作品の主要な姉的成分の一人「アリシア」というキャラクターの事であります。
 最終回だか何だかで仕事を寿引退し、後輩の主人公にその役職を譲るという王道展開だったらしいのですけど、一部のキリスト教ファンダメンタリストみたいなファンにはそれが異常に不評だったようなのですよ。

 どういう意味かと申しますと。




結婚



非処女



ビッチ認定




 …という事で、要するに処女だと思っていたのに裏切られたという次第のようです。まあ勝手な思い込みらしいのですが。

 なかなか素晴らしい論法です。
 この論で行くとお前の母ちゃんは全員ビッチなわけですけど、そういう当たり前の現実から目をそむける事だけは狡猾な種族も存在するのです。
 ぶっちゃけこのキャラや他のキャラの関連には百合的妄想を想起させる展開もあったようで、そんなファンの連想する幸せな結末からは遠く離れた結果と言えるでしょう。

 豪腕の見解をここで述べさせていただきます。
 レズが嫌いな男なんて大量にいるので自身の好みを押し付けるのは善意ある悪であり、されど大上段に斬って捨てるのも印象による反射のような気がします。
 内面まで分析する事が大切です。
 そうした嘆きを語るファンの中ではおそらく、「アリシア」というキャラはその瞬間に死んだのです。

 悠久の昔、さる敵役の美形キャラが作中で死んだ事を皮切りに、製作会社に批判の投書が溢れた事件がありました。
 カミソリを内封した手紙や脅迫文を送るツワモノも多かったようで、これは立派な威力業務妨害とも言える行為でしょう。
 また某女性声優が結婚した折、その声優を裏切り者扱いする投書が多く寄せられたという事もありました。
 それが言えるなら彼女と少なからず接点を持っていたと考えるのが普通ですが、投書した人間のすべては単なるファンであるようでした。
 きっとその瞬間にファンではなくなったのでしょう。

 以上、二つの例を出しました。
 どっちも同じに見えるでしょうか。




ぜんぜん違います。




 今からその理由をご説明いたします(気付いた方は読み飛ばしていただいて構いません)。

 まず前者、好きなキャラクターの死に対して製作側を批判した例ですが。
 その怒りは行き過ぎではあるものの、キャラへの愛は以後も不変であるという点が挙げられるでしょう。
 ここが後者と決定的に違う点です。
 どちらもキャラ(というか後者は声優ですが、彼らが愛していたのはその声優が有する「キャラ」に相違ありません)を愛するが故の行為なのだと思われます。
 しかし、後者の言い分には非常に自分勝手な、わがままで幼稚な主張を感じます。




ストーカー殺人の言い訳と
次元的には同じです。




 彼女の未来に犯人の出る幕は永久に無いのです。
 妄想だけなら何をやっても許されますけど、それを押し付けるのは迷惑以外の何ものでも無いでしょう。
 前途のような主張は、好きな相手の幸せすら祈れない心の小さな人間の負け惜しみに過ぎません。

 この作品を批判する動きは二派に分かれるようです。
 すなわち作者を否定する派、そして「アリシア」というキャラそのものを否定する派です。
 作者を否定するのはある意味、好きなキャラを殺した製作会社を否定するのと心情的に同一と見て取れます。
 問題なのは後者です。

 前者にとって好きなキャラを殺したのは作者や製作会社です。
 しかし後者における「キャラの殺害者」は、まぎれも無く否定している本人なのです。
 そう。まるでストーカー殺人なのですよ。

 とは言うものの。

 同時に彼らは、そんな意見など灰燼に帰すほどに「純粋」なのかもしれません。
 彼らのような存在に対し、アニメに詳しくない人々は、彼らを理解するためのアプローチを敬遠する傾向にあります。
 実はそれこそ印象による反射です。
 私は私よりも造詣の深い何かを持つ人々に対して、ある一定の尊敬の念を常に持ちたいと考えています。
 それが自分の興味のあるジャンルかどうかは問いません。
 それが例えばアニメであろうと何であろうと、まずは先入観を持たずに相手の話に耳を傾ける所から始まるのではないかと思います。

 「たかが絵に何を本気になっているんだ」という意見もあるでしょう。




「たかが絵」などと語る人は親から絵本や図鑑を買ってもらった事が無いのでしょうか。




 PCの壁紙を変える事すら試みた事が無いのでしょうか。
 自分の顔や家族の顔、好きな人の顔や仏様の印刷されたトイレットペーパーで平気でケツが拭けるレベルの勇者なのでしょうか。
 ドラクロワとかの原版にメモ書きできる勇者でしょうか。
 そういう方がもしおられたら、あなたの持つ福沢諭吉の絵が印刷された日本銀行券は私が100円で買い取りますよ。
 たかが絵ですし。

 そうなのです。
 同じ1万円札でも、あなたが持つのと私が持つのとでは違う価値が生まれるのです。
 例えば【ブラックロータス】のサインドカードなど、興味の無い人にとってはただの紙切れに過ぎません。
 そして彼らは「アリシア」という1枚のカードに対し、自己を捧げるだけの強い価値を見出していたのでしょう。
 彼らの悲しみは、それだけ深いものだった。まずはそこを理解したいと思います。

 だから正直。
 けっこうな事を書いちゃいましたけど。




「心の小さな人間」とか言う権利は
考えてみたら誰にもねぇわな。




 俺だってせっかく集めたレアカードが、レギュレーション変更で使えなくなったら悲しいもん。
 偉そうに言ってごめん。

 だからさ。







泣けばいいと思うよ。




 世界に絵は1枚だけじゃ無い。
 きっとどこかに、あんただけの絵があんたを待っているさ。

 という事で、2撃目は『ARIA The ANIMATION』でした。
 内容には1ミリ程度しか触れなかった事をお詫び申し上げます。





感想・突っ込み等お願いします。



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