短編小説「尼寺」



 「いいかげんに通さぬか!」
 叫んでいるのは、まだ年若い武士である。竹の葉も揺らぐかという大声で、今にも太刀に手をかけようという勢いである。
 「ここは、殿方の参られる寺にございませぬ。どうかお引きください」
 涼し気な声で答えるのは、どうやらこの寺の尼僧のようだ。
 「まだ探しておらんのはこの寺のみ。よいか、敵国の姫をかくまったとなると、並の仕置きでは済まんのだぞ!」
 まさに山門を蹴倒す勢いの武士に、尼僧はただ花のように笑みを浮かべて下がらない。
 山の雀も、何事かと成り行きを見物している。
 「我が殿の仇敵、その忘れがたみを逃がそうものなら、この腹かっさばいても申し訳が立たぬわ!」
 「いけませんよ。仏様は、命をそのように…」
 「やかましい!!」
 やかましいのは武士の方だが、ともかく太刀を抜き放った。木もれ日に白刃の峰がつと光る。雀もこれにはびっくりして、あわてて空へと逃げ去った。
 しかしてなお、尼僧の顔には微塵の脅えもない。まるで春のおだやかな陽光が、人の形をとったがごときである。
 「ここで問答しても時の無駄。よいか、止めだてするなら、この刃がお前を仏の元へと…」
 ところが終まで言うこと叶わず、尼僧が思いもよらぬ素早い動きで右手を上げたと思うと、すぐに山門からなぎなたを手にした尼僧たちがあふれ出たのだ。
 その数、十は下るまい。
 「お引きなさい。武士が散るには、あまりにも暖かな春の日和にございますれば」
 いよいよ武士は目を見開き、開いた口が塞がらない。
 仕方なしに数歩下がると、よせばいいのに、精いっぱいの虚勢を張ってこう言った。
 「わ、我が殿は、百万石の大名なるぞ。ひと声かければ、それこそ何百という侍が殿の元に集まるのだ。こんなさびれた寺など一夜のうちに打ち壊してくれるわ」
 言ってはみたものの、刃の先の震えるのはどうにも隠しようがない。
 尼僧は聞き分けのない子を諭すがごとき、優しくも厳しい口ぶりで言った。
 「千騎、万騎もいかように。これは小さな山にありますれば、ほれ」
 ぽん、と足で地面を叩いた。
 びく、と武士がすくむ。
 見れば、尼僧の足から蟻がわらわらと逃げて行く。
 「すぐにも知れましょうぞ。ここより先、道を知るのは私たちのみ。お侍さまは、誰もおらぬこの寺を打ち壊すことになりましょう」
 そうして尼僧たちは、さもおかしそうに、だが頑なになぎなたの先を武士に向けつつ、ころころと笑った。
 ここで武士は大きく息を吐く。かなわぬと見るや、おとなしく太刀を鞘に納めた。
 「確かに、そうか」
 「ええ、それはもう」
 暖かくも冷たき笑い声の中、武士は、ふところの物を取り出した。
 どうやら金子のようである。
 「おやおや、今度はお金で通られようとおっしゃいますか?」
 「馬鹿にするでないわ。おなご一人、この金で足りるであろうか?」
 そして背にした地蔵の社に声をかける。
 すると、一人の高貴な衣をまとった、うら若き娘が現れた。
 「姫。ここなら安全にございます」
 今や、あっけに取られる尼僧たちの前で、武士は深々と頭をたれた。
 「数々のご無礼、お詫び申す。どうか姫をかくまっていただきたい」
 高貴な衣の娘もまた、鈴のような声で言った。
 「よろしくお願いします」
 その細い顔立ちには、確かに父、秀吉公の面影があった。



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