ヒーローといえば、藤岡弘氏や宮内洋氏を思い出す人が多いかもしれません。もちろん私も両氏のことは大好きです。しかし、お二人以上に忘れられない人がいます。同じ気持ちの方もけっこういらっしゃるのではないでしょうか。そう「宇宙刑事ギャバン・一条寺烈」こと大葉健二氏です。
たぐいまれな運動能力に裏打ちされたスタント。鋭く無駄のないアクション。自然なセリフまわしで喜劇から悲劇まで演じわける役者としての幅の広さ。「一流」とはこの人のことを言うのだろうと私は確信しておりました。
当然大葉氏の影響は大きく、「伊賀のカバ丸」「里見八犬伝」「コータローまかりとおる!」などは、なけなしのこづかいから工面して、それぞれ二回づつ観に行っておりますし、宇宙刑事の玩具や書籍は段ボール二箱に分けて、いまだにきちんと保管してあります。
一時は本気でJACに入り、弟子にしてもらおうとも考えていたのですが、生来の虚弱体質ゆえに未遂に終わったという過去もあります。
「好きな俳優は?」との問いに「大葉健二」とためらうことなく答えられる。そんな私が大葉氏のご活躍を拝見することができくなって随分たちます。最後にお見かけしたのは93年の「仮面ライダーZO」でしょうか。
ヒーロー物は主役の成長過程もドラマとして描かれるため、大葉氏のような完成しているかたよりも若く発展途上にある人が求められる。そう解釈していた私は、特に第一線でお見かけしなくても、きっとJACで後進の指導をなさっているのだろうと思っていました。いくつかの特撮番組でゲスト出演されているのも知っておりましたし、まさか故郷の松山に戻っていらっしゃるとは思っていなかったのです。
事実を知るのは98年10月のことでした。コンビニで弟が買い物をしている間に、普段あまり手にすることのなかった扶桑社の「週刊SPA!」をたまたまめくったのです。「あの特撮ヒーローたちのその後」と題された特集に大葉氏がいらっしゃいました。その記事を読み、私は目を見開いたまま固まってしまいます。「母の急病で看病のために俳優をやめ、故郷の松山でイベント会社に入社」と太字で書かれていたからです。私の様子がおかしいことに気づき、弟が何度か声をかけたみたいですが、ショックに打ち震える私の耳に入ってくるものはありませんでした。
大葉氏の選択に関して、あれこれ言うつもりはございません。母親のことを第一に考える方だからこそ、「宇宙刑事ギャバン」における、父との再会シーンなどの感動的演技ができたのだと思っているくらいです。しかし、大葉氏のような優れた役者のことが、人々の記憶から消えていくことはどうしても我慢なりません。そこで、俳優「大葉健二」を顕彰していくホームページを作ることにいたしました。
みなさんの脳裏で「大葉健二」が躍動する。そんなページにしていきたいと思っております。
トップへ