usagiの話 総集編

(ツッコミ・当時の詳細入りバージョン)




 かつてYahoo掲示板”将棋”カテゴリに存在した『USAGI倶楽部』というトピックはご存知だろうか。
 2002年2月ごろに立てられ、その後同年10月初めに落ちたトピックである。
 その前身は『初心者で強くなりたい人』(うろ覚え)というトピックだった。

 えばぁは、その設立者「usagi236」のそばにいた人間のひとりである。
 ※ 上級にkame236と言うのがいた時期があった。関連性は不明。236は、師匠が235だから236にしたらしい。じゃあ師匠の235ってなんだと言うと、皇帝の178504(=これで「稲葉浩志」と読む。B'zファンにこの数列を見せると一目でわかるらしい。)と一緒で、師匠の、はうわっなにを;lkじゅh 
 usagi236(以下 『うさぎ』と呼称)とは2001年の10月に知り合い、付き合いが始まった。
 ネットでの友人だと言って間違いない間柄だった。
 初めて会ったときから将棋・・・というかきちんとした定跡の普及に熱心で、「四間飛車VS居飛車急戦・斜め棒銀」や「四間飛車VS居飛車急戦・早仕掛け」などなど、基本的な定跡の解説会を開いていた。
 そのころのえばぁは定跡を知らず思いつきで指していたころで、その解説会によって「定跡を覚えよう」という考えが初めて浮かんできたという、いわばうさぎはえばぁが将棋にのめりこむ「きっかけ」を作ったと言える存在だ。
 ※ あるときえばぁはこの定跡解説会で相手役を務め、全く違う定跡をやらかした(笑) 今その場面を知る人は「あれは酷かった」と語った。これが恥ずかしくて、定跡を勉強しようと思ったのである。
 その頃のうさぎの交友関係(の一部)が、現在のえばぁのYahoo将棋における交友関係になっている。
 誰とでもすぐ交友関係を築けるのが、うさぎのよさだった。えばぁなんかでは1ヶ月かかるところを1日でやってしまう。

 しかし、2002年11月現在、えばぁはうさぎとは距離を持っている。
 ※ 今では距離どころかニアミスもない。
 3月ごろからうさぎの周囲が、えばぁには「荒らし」にしか見えない連中で固まりはじめたことがひとつの理由である。
 また、その前後には、大きく見出しを打って『usagi236 VS makemeijin』という対局を行った。
 ※ makemeijin=めいじん。「ひどい」をわざわざ変換するので「酷い」とタイプしてくる。端からはこれが「むごい」に見えるので、「ひどい」のワンランク上の印象を受け、ショックで涙を流した人は数知れない。
 1勝1敗で終わったものの内容的にはmakemeijinの2勝に近い、うさぎにとっては敗北とも言える結果に終わった。
 ※ えばぁは2局ともリアルタイムでは見られなかった。1局目はめいじん先手で矢倉、2局目はうさぎ先手で▲藤井システムだった。第2局は「ひどい」ではなく「むごい」の意味で、酷かったらしい。
 そういうことがあって、うさぎは当初掲げていた「将棋・定跡の普及」から「自己の鍛錬」というほうにスタンスを変えることを宣言し、Yahooから将棋倶楽部24へと場所を移すと語った。
 そのとき「上級でトップを張る」と言い残していった。

 ここで、えばぁとのスタンスの違いが出た。
 えばぁは「24じゃないと本気で指しませんよ」というのが嫌いで、24に対しては、おおよその棋力判定ができるくらいだという価値観しか持っていない。
 「そんな風になるくらいだったら24は行かないよ」と思っている。24嫌いと言ってもいい。
 ※ 実際、未だに行ったことがない。近将と同じシステムらしいが、そっちも片手で足りる程度の対局数。
 (そんな風になってしまいそうな人間だと自分で思ってるからだが(笑))
 そう思っていても「言うなよ」と。

 えばぁは24に行ったことがないし、当時既にYahooへの愛着もあった。
 仲間と楽しく将棋が出来ればそれでいい、縁台将棋的なものをえばぁは求めている。
 うさぎがいなくなるのは確かに寂しかったが、「強くなって戻ってきてまた遊んでね」っていうのもどこかにあった。

 しかし。
 そのちょっと後、うさぎは24に行きつつYahooに来るという荒業を始めた。
 本人はそれで鍛錬しているつもりだったのかどうかはわからないが、24の人をYahooに連れてきてえばぁの前で24の話をするなど、えばぁとしては神経を逆なでされるような出来事が多くなり、うさぎへの不信感は大きくなっていった。
 ※ 24でも『出張うさぎクラブ』をやってたらしい。名前だけ書くと怪しいお店みたいだ。

 さて、ここでである。
 えばぁと同じくうさぎの周りにいたある人が、2ヶ月ほどのブランクのあとひょっこり現れた。
 ※ WinMXで捕まるのが怖くて、MXをアンインストールどころか、OSまでクリーンインストールした人。
 彼もまた、ブランク以前はうさぎに教えを受けていた。
 ※ 教えを受けていた・・・と書くと微妙。何も教わってないかも(笑)
 彼はブランクの間に大きく成長していて、PCの扱いはともかく将棋に関してはえばぁがかなわないほどになっていた。
 ※ 今では現れないし、その辺りからも『負けるのはいやだな』と思って指さなかった。
 その彼が、うさぎをあっけなく破ったという出来事が、うさぎのYahoo離れを決定付けた。
 ※ 確か横歩取りみたいな将棋。「全然わかんねーや」みたいな気持ちで見ていた。その後、えばぁは(確か)三間飛車、師匠は四間飛車、殿は矢倉みたいな将棋で初めて勝った。

 うさぎはこの出来事をきっかけにあまり現れなくなった。
 ※ 直接の原因がこれだったかは本人にしかわからないが、この出来事を境に見かける頻度ががくんと減った。
 そして、掲示板で「〜月まで来ない」という発言をして、掲示板のみの活動を始めだした。
 しかしあるときひょっこり現れて「〜〜っていうID知ってる? 俺なんだけど・・・」という発言。
 ※ そのころちょうどよく見かけたIDだった。
 うさぎへの不信感は最大に。

 結局、うさぎは口にしたことを完遂したことがなかった。
 (「USAGI倶楽部のHPを作る・・・」「上級でトップを張る・・・」などなど)
 ※ HPは「作っただけ」なら作ってあって、隊長が発見した。メールアドレスが全角英数で書いてあったりなどと、「酷いな」の一言が返ってくる出来だった。これを見て、「専門学校生って言ってたけど、さすがにコンピューター系の学校ではないよな」と思ったものである。
 それが、えばぁがうさぎに不信感を抱いた最大の原因である。
 八方美人、中途半端、焼肉定食(?)・・・四字熟語でも挙げようと思ったらかなり挙がる。

 うさぎに一度聞いてみたい。
 いきなりテーブルに入ってくると意図的に会話をやめてるのわかってる?
 うさぎに味方する人、ほとんどいないんだってことわかってる?
 将棋は強くなったかもしれないけど、人間関係はかなりやばいよ。
 今周りにいるのだって、えばぁと同じ理由で嫌ってるかもよ。
 それとも、「将棋に飽きた」?

 以上、乱文でした。





 12月の初め、Yahoo掲示板将棋カテゴリに「新USAGI倶楽部」なるトピックが立てられた。
 発起人は、前身のトピック「USAGI倶楽部」にてうさぎと交流を行っていた方である。
 彼はどちらかというと24志向で、えばぁとうさぎにスタンスの違いが生まれ始めたころからうさぎと接触していたと思う。
 (うろ覚え)
 ※ kssさんとか言う人。今Yahoo掲示板で言うとNightさんみたいな感じだった。時々現れて集中的に書き込んではいなくなる・・・みたいな。


 まず、その「USAGI倶楽部」から説明する
 前回でも語ったように、「USAGI倶楽部」の前身は「初心者で強くなりたい人」トピである。
 その目的はタイトル通り『初心者の底上げ』で、つまりのところ『普及』と言って差し支えないものだった。
 また、いわゆる「徒党を成す」「群れる」トピックが現在乱立状態にあるが、その走りと言ってもいいだろう。
 ※ うそ臭いだろうが、えばぁも昔は徒党を組んでいたのである。
 そういう意味では「USAGI倶楽部」はYahoo掲示板将棋カテゴリにおいて画期的なトピックであったと言える。
 (本当は「へぼ将棋の会」が最初だと思う。が、実質的活動(ラウンジでの活動)を行ったと言えるのは「USAGI倶楽部」だと思っている。「へぼ将棋の会」が頻繁に活動している話は聞かない。)
 ※ 「へぼ将棋の会」にナンバー制を導入させたのはえばぁ・・・と言っても誰も信じてくれないんだろうなぁ。トピもなくなったし。隊長のみ知る事実。隊長も忘れたかな(笑)

 しかし、実際の活動になると、うさぎのいるところに人が集まると言うくらいのものだった。
 また、この頃既に定跡解説はあまり行われておらず、『初心者底上げ、将棋普及』のスタンスから『群れる』スタンスに変わっていく過程の下にあったトピックである。
 (それはえばぁたちが「おだてた」せいも少しあるだろう。反省・・・。)

 この「USAGI倶楽部」は、出来て1〜2ヶ月はえばぁたちの書き込みもあったが、その後生まれたえばぁその他との不和や、荒らしの相手等で疲れたうさぎの(とりあえずの)「ネット離れ宣言」によって、トピ主代行を立てて細々と続いた。
 ※ 代行は知る人ぞ知るうさぎの師匠『key_factor2000』。ところが勝負を挑んだ師匠(当時1500すれすれ)があっさり勝ってしまい、えばぁたち・・・と言ってもえばぁと師匠の2人だけ・・・の間では、その実力に疑問符がついた。
 今年7月の「とりあえずの復帰」によってトピ主はうさぎに戻ったが、うさぎにこのトピックを続ける意欲はほぼ見られず、また、うさぎに掲示板上における自作自演の疑いもあり、9月には書き込みも1週間に1回ほどになった。
 ※ 女の子っぽい書き込みが数件あった。うさぎのネタだったらしい。

 あまり知られていないことですが、『ルールと戦略』における「USAGI倶楽部」がそのような状況に瀕していたとき、
 うさぎは『待ち合わせ』において同名のトピックを作成していた。
 「ルールと戦略の方では荒れすぎて話ができないから」と言うのを人づてに聞いた。
 ※ こうやって話を放り投げることが多々あった。
 しかし全体のトピック数が少ない『待ち合わせ』では本人が気張らない限りトピックが続くわけもなく、
 結局、『ルールと戦略』『待ち合わせ』の両方が10月初めには仲良く消えていった。
 本人の弁では、「意図的に書き込みを行わず消した」らしい。
 ※ 上にあげた例を参照。


 さて、本題の「新USAGI倶楽部」である。
 「新USAGI倶楽部」の構成は、なんのことはなく、「掲示板で感想戦」「▲▽ 次の一手考えてください ▼△ 」「定跡研究会」の構成メンバーの一部。
 ※ これらのトピックを盛り上げていたのはyowaidarを中心とした集まり。あとで『真剣勝負の会』に発展したが、それも半年ほどで解散に至る。ネット将棋に幻滅したらしいyowaidarはその後「俺の落書き帳」トピのトピ主(rakugaki_yarou)になったと思われる。
 今後の展開としてえばぁは、この4トピックが彼らによって状況により使いまわされるだけになると思う。
 最近の書き込み数の伸びるトピックはほぼ、

『当初はトピ主によってレス供給が行われる』
 ※ これは今でも真理。「当初は」は外してもいいかも。トピ主が気張らないとレス数は絶対に増えない。自らネタを供給したり、反応した人に一人一人レスをつけたりと、常連が増えれば増えるほど忙しくなるようだ。

『常連さんができる』

『常連同士で仲良くなる』

『常連の誰かがHPを作成する』
 ※ 最近はHPを作ってからトピックを作るのがいる。時代は『HPありき』で進んでいるらしい。

『HPと掲示板両方での、新規が入りにくい雰囲気作りが行われる』

 というルートを辿っているが、えばぁはこの過程が複数のトピックに渡って行われるだけのものだと予想する。
 また、このルートでは新規は自ら入っていく必要がある。
 これは『普及』には至らず、普通の『自己満足的』なトピックで完結する。
 ※ 最近思うのは、『書き込むやつはよく書き込むが、書き込まないやつは何があっても絶対に書き込まない』こと。この差はかなり激しく、書き込む人は他のトピックにも出かける傾向がある。


 さて。
 うさぎのいる「USAGI倶楽部」と、うさぎの(今のところ)いない「新USAGI倶楽部」双方のトピックを比較すると、
 うさぎのYahoo将棋における(まともな面での)歴史的意義は、

『チャットで知り合いを作る』

『その知り合いと群れる』

『それからトピックを作る』
 ※ 今は『トピックを作ることが一番大変である』(『ルールと戦略』に限れば)ので、この順番が多くなった気がする。

 というチャット・対局中心の文化(言い過ぎか(笑))を一時期ではあるが作り上げたことにある。
 ※ 今見直すと、自分でもかなり美化している気がした。
 うさぎは積極的に現れ、ラウンジでしゃべり、交友を広めた。
 定跡解説をするだけの棋力も気力もあった。
 ※ これは大切だなぁ、と思う。ちなみにうさぎの棋譜は手元に残っていない。棋譜送信前の出来事だったからだが、今、『少しは強くなったはずの自分が見る、あのときのうさぎの力』に興味がある。今のえばぁは、”あのときのえばぁ、あのときのうさぎが作った将棋”にどんな評価を下すのだろう・・・って。こういうの、なんかかっこよくない?(笑)
 だから一時期であれレスが伸び、そして参加者の棋力もアップしたと思われる。
 それがややもするとチャットで暴れる荒らしになるんだという捉えも出来るのだが。
 (「女の子に、やさしくしようの会」の成立過程もこれだと思われる。えばぁはあれをまともなトピックとは捉えていない。)
 ※ そのトピ主romijirouがここを見たらしい。ちょっと怒ってた。でも「もっと人がきてもいいと思う」とか言ってくれた。ありがとう凍犬、もといromijirou。ちょっと大人になってラウンジで暴れなくなってからは、ちょっとはまともだと思ってるよ。

 将棋普及に関しては一定の成果を挙げたと思われるうさぎ。
 それにはうさぎの類まれなる単純さが貢献しており、そしてこの単純さはYahoo将棋界において今後二度と現れないだろう。
 では、そもそもトピックを倶楽部化しようとしたのが間違いだったのだろうか。
 ※ そうかもしれない。普及とは、枠にはまらないのが大切なのだろう。


 そして。
 現在のYahoo掲示板将棋カテゴリにおいて、『将棋の普及』を理念に掲げているトピックは、ない。
 うさぎが「新USAGI倶楽部」にひかれて戻ってきたとしても、『普及』を行えるのかどうか怪しいと、えばぁは思っている。
 ※ うさぎもその後yowaidarと同じ道(ネット将棋に幻滅)を辿ったようで、ネットで知り合った大阪圏の人たち(うさぎは大阪に住む)とOFFで将棋をしているらしい。「俺の落書き帳」に登場するkunio01jpはうさぎのことである。


○1・2回のまとめ○

1.「えばぁ」はうさぎと会ったことで将棋にのめりこんだ。
 ※ もし大学で将棋部に入っていたら、今より強くなったかもしれないが、ここまで将棋・将棋界にのめりこんだとは思えない。
2.初期のうさぎは、Yahoo将棋における将棋普及の面では偉大な存在であった。
3.当初から、うさぎの対局態度には時々変なところが見られた。
 ※ 負けそうな局面で偶然(?)落ちたりした。
4.うさぎは自分の棋力を「過大評価」していたと思われる。
5.うさぎは「将棋・定跡の普及」と言うスタンスから「自分が強くなる」というスタンスに変化して、24志向を打ち出した。
6.そのころ出来たトピック「USAGI倶楽部」は現在乱立する「軍団系」トピックの基本である。
7.ネット離れを宣言した後からは、断片的な情報しか手に入っていない。
8.また、トピックを落とすなど、現在のうさぎにはYahooで将棋をする意欲は見られない。
9.本人はうすうす(チャットの仲間からは)孤立していることに気づいている。
10.こんなことを書いているえばぁは、「昔の方が良かった」というL'Arc〜en〜Cielファンと同じではないかと悩んでいる(笑)


 Nov.2004  以前書いたものをくっつけ、文体を変え、注釈を追加。要は、焼き直し。