いろとりどりの終焉 sample





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 つい先日のことだったか、茶を入れる際に火傷をした痕だ。熱湯を被って白い肌は見る間に痛々しい水膨れと、ただれた皮膚の跡を残した。この馬鹿、と叫んで井戸から汲んだきんと冷たい水に千鶴の手を突っ込ませて、その場で説教三昧だったことは、未だ記憶にも新しい。
 肩をすくめて身を小さくし鬼の副長の怒号に堪えていた千鶴は、でも私は鬼ですから……火傷は時間が掛かってしまいますがけれど、きっと治りますから、と小さな声で言って土方の火に油を注いだ。即ち鬼の血でも重度の熱傷を治すのには、時間がかかると白状したようなものである。その日から手先を使う作業を、千鶴は土方直々に一切禁じられたはずだった。
 包帯を巻きながらもこんこんと説教の止まない土方と、肩を縮めてしゅんと黙って堪え忍ぶ娘に、笑って助け船を出したのは井上だったか。
 ――そのくらいにしてあげてくれないか、歳三さん。安静にしているのも確かに大事だが、手作業の一切を禁じられてしまっては、千鶴ちゃんのお茶が飲めなくなる。それは寂しいからねえ――。
 涙目でこの世の仏を拝んだ千鶴の頭を、よしよしと撫でながら、仏頂面で土方がきつく包帯を巻き終えるのを見届けると、後は任せろ、行って良いとばかりに、井上は千鶴の肩を優しく叩いた。
 ぺこんとお辞儀をして、ご迷惑をおかけしましたと泣きそうな顔でその場を辞した娘に、まだ機嫌が直らないまま土方は、薬箱を片付けてよっこいしょと立ち上がった井上を見る。
 ――源さんも近藤さんも、他の連中もあいつには甘すぎる――
 その一言に、不意に目を見開いた井上が楽しげに笑った。
 ――解ってないねえ歳三さん。……千鶴ちゃんに一番甘いのは、なんだかんだ言っているあんたなんだよ――
 言われて、思わず返す言葉を失った土方に、年長ならではの余裕を見せて穏やかに井上は、しょぼくれてるだろうからねえ、あとで甘い菓子でも持って行ってあげようかと、優しく笑っていた。
 
 
 柔らかな月明かりが照らし出す、手のひらは小さい。包帯は日を経るごとに、どんどんと薄くなって、人の身ではあり得ない速さで傷痕を消していっている。
 それを見つめる射干玉の瞳は闇を孕んで暗い。自身は人だろうか、鬼だろうか。そう、何度も心の中で問いかけては自分の問いで傷ついている。
 「千鶴」
 「……すみません」
 もう、謝ることが癖になっている娘に、盛大に溜息を吐いて、解いた包帯から覗く、爛れた火傷を僅かに残すばかりになった小さな手に軟膏を塗布した布をぺたりと貼り付けた。
 「何をすまないと思って、謝る?」
 眇めた紫苑の瞳が、僅かな茶味を帯びた大きな黒い瞳を見下ろす。ぱちりと瞬いた瞳が、不安そうに伏せられて、迷うように口が開かれた。
 「お手間を、取らせてしまって」
 日々激務に励み、巡察に出払っている幹部連中の代わりに、書状を待つ間など、手隙になった土方が千鶴の怪我の手当を見ることになって久しい。確かに手間を取らされている、やるべき仕事は山とある。――だが。
 「違うだろうが、嘘付くんじゃねえ」
 「え?」
 「もう一度だけ聞いてやる。すまないと思っていることは何だ?悔いているのは、なんだ?」
 呆然と怪我をした手を差し出したまま、大きな双眸が土方を見上げた。黙然と娘の利き手を診ている土方はわざと視線を合わせないまま、包帯に手を伸ばす。ふと、手の中にすっぽりと収まる小さな手が、震えた。
 「お手間を、取らせたことをすまないと、思っているのは本当です。……あと……あと、は」
 小さな声が、震えながら紡がれていく。上げていた千鶴の視線が段々と落ちて、白い包帯が丁寧に巻かれていく、自身の手に落とされた。この手のひらが、利き手でなかったら、自分で手当が出来たのに。こんなもの、自分でさえ――。
 「こんな、傷を……見せてしまって、ごめんなさい」
 吐息をするような小さな声が、涙のように零れ落ちた。
 「不気味だって、自分でも解ってるんです、だって、こんなの、人じゃないって一目で解ってしまう――あんなに熱いお湯を目一杯被ったんですよ、土方さんもあの時、見たでしょう?なのに……も、あと、にも、のこってなくて……火傷の、あと、すら、のこらなく、て……だか、ら」
 ――ごめんなさい。
 「人じゃなくて、気味が悪くて、解っているんです。ほんとに、そんなものを見たら気味が悪いって、わかって、いるんです。……だから、ほん、とう、に――」
 言葉はほろりと零れた、涙と一緒だった。
 すみません、ではなく、ごめんなさい、と繰り返される言葉は、今までの人生で繰り返し繰り返し、千鶴が傷ついてきた証だった。
 傷を負って、心配を掛けて、大丈夫だと傷痕を見せればあり得ない速度で跡形もなく、治癒した傷に誰もかれもが良かったと言う前に、違和感を感じて眉をひそめた。幼い千鶴はすぐにそのことに気がついて、『普通』に治る速さで――例え快癒していても患部に包帯を巻き続け、傷口を決して誰にも見せないように気を張っていた。千鶴に怪我の様子を尋ねてくれる人に、もう大丈夫だからと本当のことを言えないままに、いたずらに心配を続けさせることしかできなかった。
 だから、と続けられた言葉は痛みにあふれている。きっと手の傷痕なんかよりも千鶴にとっては、痛い。
 「だから、こんな不気味な傷(もの)を見せてしまって、ごめんなさい」
 「…………なら俺は、人でなしの謀り事で人を殺して、襤褸布にした羽織の始末をお前に頼んだことを、すまないと言わなければならないのか?」
 息が止まりそうなほど、小さな身体が固く強張ったのが解った。引き抜かれそうになる手に巻かれていた包帯が乱れて落ちる。その手を引き留めて、真っ向から娘の瞳を見据え、今にも泣き出して逃げ出しそうな様子に頓着せず、笑った。
 「女が痕残すような傷作るんじゃねえ。……丈夫に産んでくれた親御さんに、感謝しておけよ」
 呆然と見開かれた瞳から、はたりと零れ落ちるものがあった。
 それに気付かないふりをしたまま、土方は小さな手のひらに、丁寧に包帯を結んでやった。
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