* こひしくとぞ君は思ゆる




* * * *









*羽衣ひとひらかけられた
更にひとひら落とされた
重なる浅葱を拾っては
みなこひしくとぞ君はおぼゆる。
 
 
 
 


 序 漣


 土方陸軍奉行並が小姓を侍らしたらしいぞ。

 ああ、何だか細っこいのがうろちょろしているのをよく見かけるようになったなあ。

 すがたなりは、なよなよしていて、いかにもおなごのようだが、大鳥陸軍奉行の召還要請でわざわざ本土から呼ばれたらしい。本土と言えば、いつも奉行並の傍に小さいのが居たな?確か名前を雪村なにがし。ああ、多分それだろう、大鳥陸軍奉行がわざわざ呼ばれたんだ、そこそこ使えるのだろうよ。

 大鳥陸軍奉行は、榎本総裁、松平副総裁と、蝦夷共和国のために米国、和蘭、英国に、あとは仏蘭西とも外交や折衝を続けてなさるからなあ。実質、軍の大半を支えている土方陸軍奉行並の仕事は並大抵のものじゃないだろう。海軍は上の判断で開陽をむざむざ沈没させたからなあ。

 いやあ、あれは下からの陳情を入れたものらしい。
何にしろ、松前の陸軍の功績は眩いばかりのものだったからなあ。焦った海軍の士官らが総帥に嘆願したそうだ。

 土方隊が江差に向かって、大滝峠を落として十五日には塩吹まで進んだ頃だろう?

 陸軍が松前を江差から追い出したおかげで何の労もなく江差を占拠したと意気揚々と報告した後だったか。地元の民に辺りの波や海底の様子をなんにもきくことしないで、その晩には時化(しけ)で海底に座礁だ。あの時は陸軍の士気が下がるわ、海軍は青くなるわで、見ていられなかったなあ。

 松前攻略がもう少し送れれば江差になんぞ、入れなかったものを、土方陸軍奉行並が有能すぎたのがいけなかったのか。海軍はわざわざ足を引っ張りに行ったようなものだ。そうでなくとも陸軍は連戦連勝、それは下も上も、海軍じゃなく、陸軍を信頼しようとするだろうさ。

 陸軍奉行は海外との折衝もおありだからなあ。やっぱりそこで仕事は陸軍奉行並に任される。

 まあ、それを見越して、総帥は陸軍奉行並に加えて海陸軍裁判役頭取、箱館市中取締の肩書きを付けて、陸軍奉行と同格の扱いにしたんだろう。

 しいっ、滅多なことを言うもんじゃあない。海軍にはどう見繕っても面白くないことばかりだからなあ。

 まあ、土方陸軍奉行並が繁多になるのは当たり前のなり行きか。小間使いか小姓も必要になるだろうさ。


 まあなんにしろ、あのなりじゃあ、色小姓には変わりあるまいのだろうよ――。










* * * *







たまたま千鶴は立ち会って、激しく移り変わる時代の変遷を、土方の背中、ただ一つを目指して走って走って走り続けて。
 ――今はこんな所まで来てしまった。
 もう、京都や江戸のようには行かない。時代の変遷を駆け抜ける最中で、土方の手足は一つずつぼろりぼろりと欠けていって、最後に近藤を失い、斎藤が会津と殉ずる覚悟を決めて新選組を離れた時、千鶴はこれが一つの節目だと思った。
 近藤を敵に引き渡して逃げ去った時、土方の背中に縋り付いて泣いたのは千鶴だった。土方は決して千鶴を振り向かなかったから、泣いていたのか何て解らないけれど、あの掠れた声の慟哭は、一生涯千鶴の記憶に残るのだろう。
 そしてその時決めたのだ。形だけの小姓ではなく、これからもっと厳しくなっていく戦況の中、手足を失った土方を助けていこうと。凛と前を向き進み続ける歩みの一助となるように、その背を支える手伝いをしていこうと。
 千鶴が思ったとおり、手足が欠けていく度に、土方の負担は大きくなっていった。斎藤が会津に微衷を尽くし殉じた時、戦略的に新選組は大きな戦力を失った。仙台でもそうだ。山南と平助は羅刹として灰に還り、策謀、折衝面の他にも実際の戦場での土方の負担は倍増した。
 もう、生きている試衛館時代の同士はおらず――だから会津が新選組にとっては、一度、新選組の大切な何かが壊れ、失われた場所であったり、節目であったりしたのだろうと思う。
 仙台に残され、大鳥から辞令をもらい、千鶴は今一度覚悟を決めた。今までは千鶴の身を守るためのお飾りの小姓だった。雑用しかできず、体調を気遣ったり、土方の身の回りを整えるのが関の山。――しかし、大鳥の辞令書は正式な小姓。雑用、身の回りの整頓は元より、取り次ぎや文の仕分け、土方に関わる役職ある人達の顔を覚えること、その方々に土方の代理で書類を提出しに行くなど、多忙な土方に付き従って仕事には枚挙に暇がない。辞令書は千鶴が破り捨ててしまったけれど、千鶴は小姓という立ち位置を形骸化させるつもりはなかった。
 ここに土方の右腕となって働いた斎藤や山崎が居たら、きっと千鶴より役立ってみせただろう。けれど千鶴はどちらにもなれない。だから、彼らが常日頃、どんな風に仕事をしていたかを思い出して、土方や島田にも指示を仰いで、どんなことなら千鶴に任せてもらえるかを図っている。だからこの頃は京都の頃を思い出すことが多い。
 土方さんを頼む。副長を頼む。簡潔に言われた言葉。土方を案じる言葉。それを大切に、千鶴は胸の奥にくるんで温めている。言葉を託していった沢山の人達――彼らこそ、今の千鶴のように、この場にいて、新選組として土方の助けになりたかっただろうと思うから。
 五稜郭の建物の中でも、全体会議に使う場所の次に広い部屋の前で千鶴は気負いなく扉を叩いて訪問を告げた。西洋式の訪問の際の礼儀であり、合図だと言うが、未だに慣れないのには苦笑する。それでも慣れないなんて言っていられる状況ではないから、しゃんと背を伸ばして千鶴は中からの応えを待った。







* * * *



「何故雪村君が君を庇ったか、なぜ土方陸軍奉行並があの場で引いたか、その理由が分かっているのか。ただでさえ開陽沈没で海軍と陸軍の溝は深い。我々が一丸となって戦わねば、新政府軍の猛攻を防ぐなど夢のまた夢。あそこで雪村君が君のしたことを訴えれば、それは完全に土方陸軍奉行並を筆頭とした、新選組を敵に回すことになる。即ち、海軍は陸軍を敵に回すことになるんだ。解るかい?この意味が。これ以上海軍、陸軍の溝を深めたいために、決定的な亀裂になら無いように雪村君は君を庇い立てた。江差での開陽沈没の一件から来る海軍と陸軍の間に降り積もっている不満を君より一回りも二回りも年下の子どもが察して止めた。蝦夷共和国の一員として相応しい行為だ」
 その千鶴の行為を無駄にするつもりは大鳥にも土方にもない。情報や軍部内の亀裂、軋轢、千鶴が守ったものの大きさは計り知れない。
 しかし彼らを許すつもりも毛頭無い。
「さて、もう一度訊こう。君らの目的について、だ。総裁の留守を任されたことを笠に着て、雪村千鶴を部屋に軟禁し、扉には見張りを立て、君らは何をしていた?何が目的だった?雪村君はね、あれでも池田屋、から鳥羽伏見、甲府に会津と常に前線を渡り歩いてきた。その雪村君が、あれ程動揺する何をしたか。まず答えてもらう」
 池田屋から鳥羽伏見まで、新選組の最前線を走ってきたと大鳥からきかされて、飾りばかりの小姓ではなかったとようやく思い至ったのか三人の顔色が明らかに変わる。池田屋はそれだけ日本中を騒がせた大事件だった。
「本人も――言っておりましたとおり、具合が悪くなったと……」
「雪村君の父上は蘭学を修めた蘭方医だ。そこいらの町医者と違って幕府にも仕えたご経歴を持つ。そんな親を持つ子が真冬に換気もせず、火を焚いて具合を悪くするなど、有り得るはずがない」
 断言は鋭く、舌鋒は激しい。これが最後の機会だった。しかし、彼らは足掻いた。
「しかし――あれが、おなごである事実には変わりない」
「口を慎むと良い。あの子がどれだけの死を見てきたか、どれだけの同士を失い、末期の想いを託されてきたか。その上で、新選組の一員として一番多忙な土方陸軍奉行並の仕事を立派に支えている。知りもしないでいうものではない。ついでに付け加えると、新選組の入軍規定には性別の有無はない。僕が作成した辞令書にも、雪村千鶴を蝦夷共和国土方歳三陸軍奉行並の小姓と任ずる、としか書いていなかったはずだ。そして、人事権に君らが口を挟めると思うな。僕が雪村君の力が、蝦夷共和国に必要だと思ったからわざわざ本土から招聘したんだ。雪村君は実のお父様の墓前と別れ、真っ先に戦場になる箱館への渡航を志願してくれた。……さあ、そろそろ良いかな。僕は十分に機会を与えたつもりだ」
 顎の下で腕を組み、睨み据える瞳が細くなる。
「上官の命令も聞けないのか。何度聞いたら解るんだい?君たちの目的は何だ?」
 恐ろしい沈黙が降ってくる。誰も彼もが口を閉ざして、大鳥の前に突っ立っている。――本当は、ここにいるのは土方だったはずだ。千鶴の為に土方を帰したことは土方にとっては憤懣やるかたないだろう。それでも彼女のために堪えてくれた。そして千鶴は、自分に出来る最善を頑張って選び抜いた。






* * * *






「大丈夫ですから――私は鬼ですから。直ぐに治ります」
 もう片手で、醜いあとを隠すように手を当てて、そんなことを千鶴が言うから。
「…………誰が怪我のことを言っている」
 思ったよりも低い声が出た。掛かり落ちる千鶴の髪を払って、土方は骨の浮かぶまろい肩に、千鶴の手の甲の上から唇を押しつける。熱いものを押しつけられたように千鶴の身体が硬直した。指の先まで力が入る。白くなったつま先を甘噛みして、土方は千鶴の顔をすくい上げると涙を零す目蓋にも唇を落とした。
 両目、額、鼻頭、涙の伝った頬、顎の先、喉、鎖骨。男の手形の着いた肩の上から、痛くても我慢しろと一方的に宣言すると、食い荒らすように痕を付けた。
 びくりと千鶴が身体をよじるが、唇を噛みしめ、首を竦めて土方の暴挙に必死に堪える。
 白い上着が無防備にはだけられ、千鶴の柔らかな線を露わにする度、細い腕に残る肩の痣が殊更に目立った。ぷつり、もう一つ釦が外されるのが解る。完全に肩を露わにされて、供血でもこんなに肌を曝したことはない。肩に、腕に、辿るように痛みを伴いながらもや甘やかに触れて、まろやかな膨らみに土方が唇を寄せた。
「…………んっ」
 脈打つ鼓動の上、一際濃い痕を付けられて、千鶴は涙に濡れた双眸をゆらした。
 泣き声のような、それとは違う声のような。

 
 
 
 
 
 
 
    文責 柳瀬  二〇一一年八月