ガン
ガシャ
ガシャン
「きゃああ!!」
盛大な騒音と高いソプラノが、静寂を切り裂く悲鳴となってリビングの方へと響き渡る。
おそらくは陶器製の物体がある程度の高さから落下した事による衝撃によって砕け散り、それに乗じて慌てた彼女が悲鳴を上げたのだろう。
既視感―― 違う。自分はつい最近、これに非常によくにた状況を経験していた。ただ、確かその時に聞こえた何かの砕ける音は一つきりで、そして少女の悲鳴が無い、という違いはあったのだが。
ナルは掛けていたソファからゆっくりと立ち上がると、添削中の論文のプリントアウトをフローリングに放り出し、低い高さの硝子テーブルに万年筆を置いた。
カツンと硬質な音を立てて、深い藍色の万年筆が硝子の上を転がった。ガラスに映る虚像も一緒に転がる。そんなものを闇色の視界の端に写しつつ、ナルは騒音の源―― 音源のあるキッチンへと向かう。
視線の先に座り込んだまま呆然としている少女は、わたわたと慌てて散らばった欠片を集めようとしていて思わず溜め息が漏れる。
タータンチェックのミニスカートから華奢な足を無防備に投げ出して鳶色の瞳がふらりと彷徨う。
そして最後に、少女―― 麻衣は、ナルを見つけた。
思わず固まる小さな体を無視してナルは鳶色の瞳を悠然と見下ろした。
「―――― ナル」
気まずそうに彷徨っていた麻衣の瞳が、闇色の瞳を見上げる。明らかに呆れの色を滲ませて、ナルは深く溜め息を、本音半分皮肉半分で白皙の無表情をしかめたまま吐いて見せた。
「本当に、学習能力がないな」
「………………」
明後日の方を向き明るい色の色彩を宿す鳶色の視線を彷徨わせて麻衣は沈黙した。白い手がふらふら途中を行き交い、結局はしゅんと小さく胸元に引っ込む。片手は短い栗色の髪をいじっている。
今自分が見下ろしている少女は、先日まで風邪、捻挫、切り傷一つに軽傷の火傷を背負っていたがその内の風邪は今はほとんど治り、今は僅かに喉に痛みが残る程度となった。
切り傷にしても、かすり傷程度で、火傷共々痕も残らずすっかり治った。今残るのは、足首の捻挫―― 意外なまでにしつこい痛みは、結構重度の捻挫であったらしい。
そしてその捻挫のためだろう。以前と、ほぼ、全く、同じ状況の中、今また彼女は何かを破壊したらしかった。見覚えのある濃い青の陶器の破片と、散らばった欠片の中から細長い、何かのとってのようなものが見える。先日買ったマグカップだろうか。
猿の方がまだ利口だ。
きっぱりと、心の中で断定の形でナルは呟き、散乱した破片を踏まないように麻衣の方へと近づいていく。長身がかがんでナルの顔が近づくと、麻衣は何か言い訳しそうに鳶色の瞳を会わせてきた。が、その視線をきっぱりと今度は無視してナルは軽い体をひょいと抱き上げる。
「ナ、ナル!?良いよ、歩ける!」
急に浮き上がった視線に、麻衣はナルの腕の中にいることを固まりかけた思考の中から認識して腕の中から少女らしい高い声で叫んだ。
「歩くな、また何か破壊するつもりか」
「―― そんな怪獣みたいなことしてないっ」
「変わらないだろう?」
悠然と、闇色の瞳がキッチンを見回し―― その惨状に、麻衣は反撃を忘れて一瞬黙り込む。まあ、確かに。これは酷いかなって、思うけれど。
「で、でも、リビングまでなら一人で行けるし、ここもかたさなくちゃなんないし、大丈夫だから!」
往生際も悪くじたばたと腕の中で暴れる少女を無視してすたすたと漆黒の長身は歩みを進める。
麻衣としては、この迷惑かけまくり、頼りまくりな現状を打破したくてたまらないのだ。いつでもとなりを歩いていたいと、思うから。
「ナル!おーろーしーてー!」
叫ばれる声に―― 何故か歩みが止まる。ぴたりと制止した周りの景色を見て、麻衣は一瞬ほっとした。が、それはたったの一瞬。
真っ直ぐ見下ろしてくる漆黒の闇が一瞬視界を掠めたかと思うと、そのまま小さな少女の唇が僅かに動いた瞬間に青年のそれにふさがれた。
呆然とする柔らかな感触。反射的に強く瞳を閉ざして、麻衣はナルのシャツを握りしめた。小さな頭が振られて逃れようとする唇を、栗色の髪に埋めた綺麗な長い指を持つ手が許さない。
「ん、ふ」
微かに離れた唇に、酸素を求めて小さな唇が喘いだ。けれどその瞬間を逃さずに、ナルはもう一度濡れた唇に口付けた。
危なげなく麻衣を抱きかかえたまま、ナルは深く唇をあわせる。
濡れた唇が開いた瞬間、異質な熱を持つ舌に絡め取られ、反射的な逃げも押さえ込まれる。犯され、蹂躙されて、ただそれが柔らかく熱い熱を持つものだということを霞む頭の片隅で呆然と感じていた。
ただ、熱を感じて。
熱く、融けて、落ちていく。
何度も何度も、繰り返し繰り返し、丁寧に、そして強引に濡れた唇を幾度もあわせて―― やっと離れたとき、麻衣は思わず深く色づく溜め息を付いた。
「黙ってろ」
こともなげに冷たい声が落ちてくる。自分の抵抗をこうまで簡単にねじ伏せてしまう美貌の青年に腹が立って、真っ赤な顔をしたまま麻衣は力の入らないこぶしをナルに叩きつけた。そんな儚い抵抗は、思った通り全く無視される。
そのまますたすたと黒衣の長身はリビングの背の低いソファまで戻り、華奢な体を降ろした。―― 以前と全く同じ状況である。
離れていく青年を、未だ赤い頬のまま睨み付けて、微かに潤んだ鳶色の瞳で闇色の瞳を、麻衣はきっと睨み付けた。
「馬鹿ナル!」
「馬鹿で結構」
白い右手が漆黒の髪を掻き上げる。しらりと言ってのける不遜な態度に、ますます腹が立つのは気のせいではないだろう。
とっさに何かを言い返してやろうと麻衣は口を開いたが、開きかけた唇にまた軽い感触を感じて、ますます顔を赤らめた。鳶色の睨んでくる瞳を意にも介さず黒衣の長身はすらりと立ち上がる。
「煩いならまたするが」
言葉の隙間に見え隠れする不遜な、それでも綺麗な笑みにいろんな意味で体の熱が上がった気がした。
「―――――――― もうしてるでしょー!?」
思い切り叫ばれた麻衣の声を無視してナルはそのままキッチンへと向かう。
絶句した後に続いた言葉は、紛れもなく絶叫だった。悔しそうにナルの背中を見送って、それでもまたあんなキスをされると今度こそまともに歩けなくなることを危惧してか、それとも言葉も出ないのか―― 取り敢えずは沈黙した。
ソファの上に転がっているクッションに取り敢えず八つ当たりして、ぼすっとそれに小さな顔を埋める。
「―――――――― もう絶対に怪我なんかしてやらない」
ぽつりと呟かれた言葉は、彼女の職業柄、ものの見事に破られることになるのだが―― 今はそれを忘れていることこそ、麻衣の幸せだっただろう。いや、それこそが不幸なのか。
それは誰にも解らないまま、麻衣はクッションに顔を埋めつつ再び深く溜め息を付いた。
―― たまにはこんな休日もある。
‖home‖novel?‖ □後記
馬鹿話です。超馬鹿話です。構成三分、執筆1時間(かかってない←添削入れて)。書いてる間凄い楽しかったんですけど・・・何てダメさ加減なんだろう自分(遠い目)
時期としては「言えない言葉」から数日後って感じです。ナル、性格悪すぎです。何でよそ様の書くナルはすっごく格好いいうえに麻衣に優しいのに私の書くナルはこんなに根性悪なんでしょう(遠い目)