私が意識を取り戻したのは全てが終わったあとでした。


巨星の墜ちた日



 
 霞が軽い敷きの中、あなたの名を呼んだはずなのに、あなたには私を振り向かず、慟哭していました。絶望の只中で。
 とても良くないことがあったのだと、ただそれだけは解りました。わたしはその予感が確信に変わると同時に、ふつりと意識を断ち切りました。
 とても、とても良くない物を見た気がしていたから。
 だから目が覚めたらいつも通りアルト君に笑って、そうして笑ってもらって、元気を出そうと思ったんです。
 消毒液の臭いが漂うベッドの上で私は目が覚めました。眠気の残る頭がぼうっとして、起き上がるのが億劫だったけれど、少しふらつきながら、私は枕から頭を上げました。
 あるとくん?
 ぽつり、零れた声に、何の返答もなく、恋焦がれた気配すらなく、白い空間を仕切っていたカーテンをシャッと開いて、白衣を翻した女性が私の元へ駆けつけてくれました。
 彼女はカナリア・ベルシュタイン。心的外傷と記憶障害を患っている、私の主治医をしてくれています。SMSの衛生兵さん。ただの衛生兵じゃあなく、宇宙(そら)じゃあ戦う衛生兵さ、とご本人はおっしゃいます。お兄ちゃんにきくと、重火器戦闘のプロフェッショナルだそうです。
 彼女は心から気遣った面差しで私を見つめ、褐色の暖かな手のひらを私の頬に滑らせました。
 熱はないようだね。
 困ったようにくしゃりと笑って、緑の髪を丁寧に撫でてくれます。
 それだけでした。
 私がこうなったとき、いつも傍にいてくれる気配がどこにも、どこにもないのです。ふらりと視線を彷徨わせ、私はゆっくりと瞬きました。乾いた視界には無機質な医療室が映るだけでした。
 大丈夫か?話を聞けるか?ランカ。
 ゆっくりとカナリアさんはおっしゃいました。私は呆然としたまま、肯きました。
 じくじくと痛む、喉の絶叫したあとの痛みの名残に堪えながら。
 ――どんなときも、無茶苦茶な発声をしたら駄目よ。喉を痛めたら大変なんだからね。
 私も使っているのよ、とてもいいの。笑ってシェリルさんは超時空ハイブリッド加湿器を歌手デビューしたお祝いにくれました。
 あなたの声を大事にしてあげて。あなたが持って生まれた神様からのギフトを。
 もうあなたはプロなんだから。
 ぱちんとセクシーに、でもどこか可愛らしくシェリルさんはウィンクして、その顔がとても嬉しそうで、私がデビューしたことを嬉しく思ってくれているんだと思うと、顔が真っ赤になるほど嬉しくなりました。
 それ以来、喉の調子にだけは身体の他のどの部分より、気をつかってきたのに何でこんなに喉が痛いの?まるで体中で泣いちゃったみたいに。
 聞きます、聞かせてください。おはなし。
 寝起きと傷みで掠れる声、私はぼうとしながらカナリアさんの瞳を見つめました。少し顔を伏せた彼女は、ドレッドヘアをゆらして、淡々と告げました。
 シェリル救出時に、敵――いや、ブレラ・スターンとの乱戦に巻き込まれたことは覚えているか。
 ぼやけた記憶の像の中、浮かんでくる光景があります。金色の髪、見上げるほど高い、身長、私と共においでと手を差し伸べた――止めたのは誰だった?
 あなたの声帯も、内臓も私に全移植する。
 インプラント。
 兄。
 飛来する弾痕の音、私を呼ぶ、私を育ててくれたお兄ちゃんの絶叫。
 ――おにいちゃん!
 おぼえて、ます。
 くらくらする頭で私の視界は焦点を結んで、カナリアさんを見つめ返しました。意識の混濁から目覚めるようにしてわたしは白衣の裾を掴み、続きを促しました。
 戦闘になってアルトと交戦中、オズマが援護に加わり、お前達をアルトが誘導した。しかし最終的に隔壁が破壊され、オズマとシェリルが宇宙に放り出された。我々SMSはMAIと、現在、判断している。
 ……MAI?
 戦闘中行方不明。(Missing In Action)確認されない、戦闘中の死亡と言う意味だ。状況を聞く限り、オズマは隔壁破壊前にも重症多数、シェリルは何の装備もなく宇宙空間に放り出されている。良いか、ランカ?
 すっと綺麗に息を吸い込んで、告知する意志のように、カナリアさんは言いました。
 オズマとシェリルは死んだ。
 鈍器で頭を横殴りにされたような衝撃のあと、恐慌が頭の中を占めました。銃弾を受けて倒れるお兄ちゃん、お兄ちゃんを殺そうとしているのはお兄ちゃん。絶叫して泣きながら飛び出そうとする私を止める、アルト君の腕の強さ。
 そして微かに甦る、護送船の中、私の最後の記憶は、壁を殴りつけ、悲嘆のそこに落ちた、私に気づかない、決して振り向かない、恋する人の背中でした。
 ここに、いつも倒れた私を心配するお兄ちゃんが居ない理由。
 助けたはずのシェリルさんが居ない理由。
 アルト君が居ない理由。
 全てが私の中でぐるぐるに混ざり、私は。
 あ。
 シェリルさんに、駄目よ、と言われていたのに。
 ぅそ。
 まだ、役目があるのに。
 ぃゃ、ゃだ。や、だ……あ。
 …………シェリルさんが認めてくれた、プロなのに。
 あああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!
 慟哭がはじけて涙が零れました。口元を押さえて蹲って、喉が壊れるほど、慟哭したのです。
 唯一の家族、たった一人のお兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃんおにいちゃんおにいちゃん!おにいちゃん、おにいちゃんをころさないでおにいちゃん!――シェリルさん!!!!私が助けるって、言ったのに、シェリルさんがなんでいないの!?
 



 
 ばしゅっと圧縮された空気音、閉鎖された医務室に駆け込んでくる慌ただしいハイヒールの音、かつかつかつかつと無遠慮に響く足音。
 ランカさん!
 開け放たれたままのカーテンの隙間から滑り込んで、走り寄る。亜麻色の髪から軍帽が床にころんと落ちた。長い髪を揺らして美しい女性がわたしを抱き締めました。
 かたかたと震える身体をぎゅっと抱き締めて、小さな身体を包み込む体温が温かくて、シェリルさんに抱きしめられたみたいに。
 泣いて良いわ、私も今は泣くから、そしたら、頑張りましょう?
 耳の中に滑り込んでくる声はとても優しくて甘やかで、ほろりと私の上に降る涙はとても静かで、哀しくて。
 きっといつか私のお姉ちゃんになってくれるはずだった人。お兄ちゃん、キャサリンさん、待っていたんだよ、私がそうだったように、この人も、お兄ちゃんに、いっぱい、いっぱい、恋して、愛してたの。どうしてここにいて上げないの。かわいそうだよ。私のお兄ちゃんならどうして私とおんなじに恋してたキャサリンさんを抱き締めてあげないの?こんなに、泣いているのに。それでも、やることが残っているから頑張れる強くて、きっととても脆い人なのに。
 私がアルト君のこと好きだったみたいに、キャサリンさんもお兄ちゃんのこと大好きだったのに。
 シェリルさんが、アルト君を、好きだったみたいに、恋していたのに。
 ――どうして二人とも、ここにいてくれないの?
 とても理不尽な思いを抱えたまま、私はキャサリンさんに縋り付いて泣きました。ずっとぎゅっと抱きしめられたまま、長い時間か、短い時間か、解らなくなるほど泣きました。頭が痛くなるほど。
 今だけ。喉が壊れても良いって、思ったの。ごめんなさい――シェリルさん。
 


 
 お互い酷い顔よ。
 顔を上げた第一声がそれで二人して泣き笑い。ヘアゴムできゅっと長い髪をゆって医務室の水道で手早く顔を洗って、綺麗に化粧を直したキャサリンさん。もう一寸の乱れもない大人の女の人――違う、プロでした。この人も、この船の艦橋で戦う人です。
 私もベッドから飛び出して、冷たい水で思い切り顔を洗って、ぐいとタオルで涙混じりの水滴を拭いました。洗ってスッキリした顔をあげて、カナリアさんとキャサリンさんにお礼を言って、医務室から飛び出し、駆け出します。
 自分に与えられた狭い部屋に辿り着くと、大急ぎで次の新曲の衣装を引っ張り出しました。
 紺色のカーディガンにきゅっと頬を寄せて目を閉じます。
 泣き止んだあと、キャサリンさんに作戦の大まかな部分は帰化されていました。お互い泣いた顔をつきあわせて、ぐしゃぐしゃのまま、馬鹿みたいに真剣な顔で私たちの存亡をかけた戦いの話をしました。
 お兄ちゃんが恋しい。シェリルさんが居ないなんて信じられない。信じたくない。キャサリンさんもきっと同じ。ぐしゃぐしゃに蹴飛ばされた恋心を抱えたまま、それでも泣きながら、でも冷静に私たちの生存の可能性を示した作戦を言って聞かせてくださいました。
 だから、私は駆け出すことを決めました。
 生きているから。
 私は死ぬの。シェリルさんはそう言ってた。だからいつだって全力全開で私の歌を聴けと叫んで、歌ってた。だから私も、歌おう。
 ぎゅっと衣装を抱き締めて、今着ている服を思い切りよく脱ぎ捨てます。畳んでる暇も惜しいくらい。適当に椅子の背にかけて手際よく衣装を着込んでいきます。ホログラム装置を仕込んだ衣装を、姿見の前で移してくるりと一回り。プリーツスカートが揺れます。今回のテーマは制服。カーディガンを羽織っているときはおとなしめ、でも脱いで腰に巻けば元気いっぱい。どっちも恋する女の子の内面。化粧用のケープを巻き付け、鏡の前に向かって、ななせちゃんに教わったメイクをします。化粧水、乳液、下地は明るく、泣きはらした顔をファンデーションの色で誤魔化して、腫れた目蓋のアイメイクに気合い、チークは明るいオレンジ、笑ってるように見えればいいな。
 ピンクのヘアピンを前髪に二つ。ブラッシングしてスタイリングスプレー、花の香りが気に入っているの。いつもみたいにリボンを結ぶ。
 さらっと蝶々結びのひもを解いて姿見の前に戻ってくるりと一回り。鏡の前にはランカ・リーがたってる。わざとくしゅっと崩したリボンと開けたボタン。
 大好きな人を歌う、こいのうた。
 鏡の前で笑顔を作って、もう一度私は来たときと同じ扉を潜り、駆け出しました。
 


 
 
 
 
 
 
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