寄せ、託す感情と信頼。


,not in spirit.



 マズルフラッシュが車体のフロントグラスに弾けた。着弾音は乾いた発砲音と同時に聞こえる。
 耳が銃声を捕えた瞬間、スザクは後部座席に座る少女の頭を抱え込んで押し倒した。
 華奢な身体が勢いよく音を立てて柔らかなシートに沈む。遅れてふわりと長い髪がスザクの腕に舞い落ちた。
「襲撃です、動かないで下さい」
 言いながらスザクは臍を噛む。ユーフェミアのスケジュールは、特区設立の宣言と時期を同じくして、厳しい情報規制が行われていた。対外的には日本独立の原理主義者によるテロを警戒しての対策である。しかし、植民地支配を行う為政者側の猛反発も簡単に予想でき、これを機会にユーフェミア共々、コーネリアまでもユーフェミアの独善的、かつ断行的な恣意を押さえきれなかった失政の責任を追及すべきであると弾劾し、失脚させてしまおうという動きまで出て来ているために、ブリタニア国内でも非常にユーフェミアの政治的な立場は微妙で、暗殺がお家芸とまで言われるブリタニア皇族の悪しき慣習の餌食にならないように、妹姫は勿論、姉姫までも厳戒態勢が敷かれるのは当然のことであった。
 ぱららららと乾いた銃声が間断なく降りそそぐ音に眉を顰めて、スザクは前方を睨む。情報が外部犯によって持ち出されたならまだ良かった。しかし特区を快く思わないものが組織内部の者を内通者として買収したならば非常に厄介だ。現在彼女と敵対する、あるいはしそうな貴族、政治家、軍将校を頭の中で検索する。
 鳴り止まない弾幕の音は効果射撃ではないから、目的は暗殺でなく捕獲なのだろう。シートからユーフェミアを抱えこむように体を転がり落として、座席下部に仕込まれたボストンバックから機関銃を取り出す。マガジンは十二分。
 スザクが装備を確認している間にも、腕の中でがっしりと抱えられながら、ユーフェミアは髪にさしこまれたピンを次々抜き落としていた。足元に小さな金属音をたててぱらぱらとヘアピンが散らばっていく。美しく結われたシニヨンを惜しげなくほどくとしなやかに髪が肩へ雪崩れた。首元に巻いたスカーフをしゅっとほどくと頭の後ろで、少し癖の付いたふわふわの髪の毛を一つにまとめて縛る。鮮やかな色の絹で惜しげもなく髪をぎゅっときつく結んだユーフェミアはスザクを見上げた。一通り装備を点検し終えたスザクは、彼女の小さな肩にバックの中から引っ張り出した私物のコートをかけてやり、仕上げにキャップを頭にのせる。男物のそれはスザクの私物で小さなユーフェミアにはぶかぶかだった。
「タイヤの仕様が防弾ではありませんから、狙撃されるとスピンする恐れがあります。ショックに備えていてください。その後、もし車が使えなくなったらご自身で避難していただくことになるかと……手荒なことをいたします」
「許します」
 可憐な声はスザクの口上を二つ返事で許諾した。細い手が器用にユーフェミアを特徴付ける鮮やかな髪をコートと帽子で器用に隠す。その仕草は手慣れたものだった。
「スザクはどうするのですか」
 がたがたゆれる車体で舌を噛まないように気を付けながら、真剣な眼差しでユーフェミアがスザクを見上げた。
 視線の先のスザクの横顔は厳しい。翠の瞳は鷹のように前方を押さえ込む黒い車体を睨んでいた。
「とりあえず先行車の狙撃手を無力化します」
「十分、気を付けて下さい」
 はい、と肯くスザクの肩に、小さな指先が微かに触れる。スザクにしか解らないほどの震えが伝わった華奢な手を、スザクは柔らかく握り締めて笑った。
「大丈夫、心配しないで。すぐに戻るよ、ユフィ」
「はい、待っています」
 握りしめた手に力を込めて引っ張った。引き寄せられるまま、傾けられる首筋と近づく視線に反射的に目を閉じる。ほんの一瞬触れ合った唇に伝わる不安を拭い去るようにスザクはもう一度強く口付けて、ずっと触れていたい柔らかな身体から身を離した。
 マガジンをありったけ、がちゃりと鷲掴みながら久しぶりの二人きりの公務を邪魔してくれた連中に、鉛玉を目一杯食らわせてやるために前座席に身軽に飛び移ると、側部の窓を銃艇で打ち破り、構えた。
 前方に黒いバンが一台、後方にも一台ミラーで確認する。身動きを取れなくされていることに舌打ちしたが、彼女を傷つけるなど髪の毛先ほども思っていない。
 前方の車体からマズルフラッシュを視認、狙撃手は三名。防弾使用の車体。惜しげもなく弾薬を注ぎ込んでこちらを停車させようと弾幕を張っている。援護車が後方に更に一台現れた。なんとも豪華なことだ。しかし射撃の腕はそうでもないと見える。
「見本を見せてやるかな」
 どこの組織か知らないが、指一本触れさせる可能性は天壌無窮存在しないと思い知らせてやらねばならない。
「車体、そのまま真っ直ぐでお願いします」
運転手に指示を出しながらすっと翠の瞳が猛金のようにすがめられ、走行中の揺れにもぶれずに構える。叩き込まれた軍隊仕込み、八つ当たりと一緒に食らわせてやるとスザクは冷静に標準を絞り躊躇いなくトリガーをひいた。






「あっ…はっ…はぁっ」
 肩で息を切らせてついに膝が崩れたのは、ビルの路肩になんとか身を寄せた瞬間だった。くずおれそうなユーフェミアの肩が頼りなく揺れていてスザクは腕を伸ばして支える。膝が崩れかけたユーフェミアは玉のような汗を浮かせながらも、スザクの腕に手をかけてにこりと健気に微笑んだ。
 先行車輌の火器を無力化し、後続車を容赦なく効果射撃で退けた間隙を見計らい、スザクは強引に車輌を建築物の密集する狭い小道に滑り込ませた。市街地に入り込んで問題はないのか、と返す運転手に、逆に幅広い車道では見通しが良すぎて良い的にしかならないと指示をすると、その危険を重視すべきだろうと判断したのか、ナビに詳細な地図を出させながら器用にステアリングを操った。今回の随行員に含まれていたのはブリタニア本国からコーネリア直属の部隊に従軍した大尉官だが、さすがに皇族につけられた人材だけあって良く訓練されたものだと感心しながら、スザクは無線を取った。入り組んだ道を右に左に、後続を撒きながら無線で政庁に連絡を取り、付近を巡回している警邏の部隊や、軍施設に応援を回して貰う旨を要請する。後方から断続的に続く発砲にもユーフェミアは悲鳴も上げずにじっと我慢していた。
 応援を受ける基地近くの路地に入り込んでから間もなく、タイヤに被弾したのか車体が激しく揺れた。流石に悲鳴を上げた声に、とっさに座席を倒すと、伏せたユーフェミアの上から細い体を抱え込んで衝撃に堪えた。上手く車の側面をビルの壁面に擦りながらスピードを殺して、スピンすることもなく停止する。銃撃戦やハンドリングの熟練度から、運転手の従軍経験の豊富さが伺われた。ナイトメアフレームで戦うより、市街戦に熟達している人員なのだろう。スザクより一回り以上は年嵩の軍人は非常事態にも全く動じていなかった。完全に停車を確認してから、スザクが小銃を手渡すと心得たように、先に自分が敵を惹きつけますので、姫さまを頼みますとほとんど打ち合わせもなく、後を追う発砲音にせき立てられるようにドアを蹴り開けて走り出していく。少佐官で、ユーフェミアの騎士であるスザクが彼女を護ることはブリタニア軍人であるものにとっては当然で、役割分担など話し合う必要すらないのだ。自分より年嵩の人間が危険な役目を買って出るのに微かな呵責を感じながらも、今一番に護るべきも、危険なのも、ユーフェミアであることをスザクは一呼吸の間に叩き込んで、小さな手を取った。シンジュクゲットーにほど近い、戦時中や、先のテロの爪痕が復興の兆しすら垣間見せずに広がっている市街地へ、小さな影を伴って駆けだした。
 おとり役を買って出た軍人は、相手を攪乱するように的確な射撃を続けてスザク達の追跡を一秒でも遅らせようと良く奮闘してくれたらしく、かかった追ってはスザクにも対処できる人数だった。崩れかけたビルの影で、ぱたりと汗を零しながら、大丈夫だと笑う少女が自分たち二人の安否を最も気にしていることがすぐに解ってしまって、スザクは微かに目を伏せる。
 しかしユーフェミアは辛いとか、苦しいとか、そう言うことを一切零さないことを自分に課して決して弱音を吐かないと決心していた。
 放棄した車から彼女をかばって走り詰めのスザクは息一つ乱さず、銃撃からも身を呈してかばってくれている彼らが居るからこそ自分の安全があるのに、なぜ守ってもらっているだけの自分が弱音を吐けるというのか。
 すみれ色の瞳に時折、発砲音に不安そうな色を載せるが、それは民間や自分を庇ってくれた者達の被害を気にしてのことだ。こういう時のユーフェミアは彼女は弱音を吐かず、動揺せず、スザクを信頼した余裕のある態度を崩さない。
 ばたばたと足音がそばを駆け抜けていく。ビルの影に滑り込み、機敏に目を走らせたスザクがざらりとしたコンクリートの壁面にユーフェミアをおしつけて身を潜めた。
 撒いたと思ったがやはり甘かったらしい。
 上がった息を必死に潜めて身を小さくし、物音を立てないようにするユーフェミアの負担を考えればやはりゲットーとは反対の市街地に逃げるべきだったかとちらりと過ぎった。警察機構や軍部隊はイレブンによるテロを警戒してブリタニア人が多く住む市街地付近を巡回している。ここはどちらかと言えばスラムにほど近い、治安の低い地域だった。
「駄目ですよ、市街地で銃撃戦の危険は侵せません」
 スザクの思考を読んだように、ユーフェミアはそっといい聞かせた。初撃で先行車輌の火器を沈黙させた際に、市街地に近い最寄りの軍部隊に保護を求めるように進言したスザクの提案を却下したのと同じ口調で。
 時折、ユーフェミアは最善を選択するのだ。未熟さを感じさせない自然さで。
 ナリタでの攻防も、結果的に民間への被害を最小に押さえ総督を奪還したのはユーフェミアの決断の功績によるところが大きい。
 彼女は、自身の危険はいとわない、責任を本能に刷りこまれた皇族の娘であり、同時に、誰かが傷つくのを深く憂う普通の女の子だった。
「スザク?」
「……いえ。申し訳ありません。自分がついていながら」
「いくら私の騎士が強くても対戦車用の武器を持ち出されて生身で戦ったら怒っちゃいますよ」
 彼らを追ってきた敵の装備の中に、対戦車榴弾が持ち込まれていたのを目敏く発見していたらしい。旧自衛隊装備でもあったパンツァーファウストは爆風が大きく、発射には十分な距離を必要とする。あのまま公道を走っていたら威嚇として容赦なく使われていた危険があった。車体ではなく、道路側に深刻な被害を与えられて、走行不可能となったところを囲みこむ算段だったのだろう。もちろん、そうなった場合も対策は幾つか考えていたが。
 ユーフェミアにはそんなことは良く解らない、しかし対戦車用の武器に十分な火力もなく突っ込んでいく無謀は解る。
 めっと人指し指を立てながら上目使いでにらんでくるすみれ色の瞳に苦笑して、頬についたほこりを払おうと手を伸ばす。暖かい、固い掌に頬を淡く染めてぱちぱちとまたたきしたユーフェミアは、触れられたときの少しの間の緊張を解くと、そっと頬をすり寄せてきた。猫の仔みたいな仕草で安心したように息をついて、そっと笑う。身を投げ出してまで責任を無自覚に全うしようとする皇族の血筋がときどきスザクには歯痒かった。こんなに信頼をよせられても、彼女は自分の腕をすり抜けていってしまう気がするのだ。
「ねぇ、スザク」
「なんですか?」
 気遣わしげに眉を寄せてユーフェミアはそっと掌をスザクに重ねた。
「……気にしないで下さいね、今回公用車を外注したのは私の都合です。……ナナリーとルルーシュを見せてくれてありがとうございます」
 揺らぐ紫瞳の思慕があまりに切なげでスザクは視線を伏せた。
 学園近くを回る際に襲撃に対する万全の体制が整った皇族専用車が出せなかったのは仕方のないことだった。学園祭での興奮もまだまだ醒めていない中で、生徒の混乱が容易に予想されるため、迂闊に皇族が近寄れる場所ではない。
 ユーフェミアが自分に会いに特派に来るのと同じくらいに、すぐ近くの学園を気にしていたことくらいずっと見ていたスザクにはすぐにわかった。
 邂逅とも呼べない一瞬の擦れ違い。午後の授業がない日、ナナリーの定期検診が終わった後、必ずルルーシュはナナリーと一緒に過ごしている。学園内の人気の少ない中庭や温室をナナリーの車椅子を押しながら、咲いている花や小鳥の飛ぶ様子、空や雲の形を話しながらゆっくりと時間を流れるままに、穏やかに過ごす。
 閉ざした目に幸せそうな微笑みを浮かべて兄を見上げるナナリーと、ナナリーの車椅子を押すルルーシュの穏やかな顔を一目、車窓から遠く、防弾硝子越しに見たユーフェミアは、突然止まった車に不思議そうにしていた顔をはっとさせてスザクを見上げた後、ほっこりと花が咲くように幸せに、少しだけ泣きそうに笑うのだった。
 未熟ながらも皇族としての意識の中に、確かに当たり前の少女としての感情をおりまぜるユーフェミアは、強引さや我が儘、健気さや優しさの不思議なバランスを保ってスザクを導いては癒す。だから彼女の癒しに願わくばなりたいと、思うことすら罪深い自分に蓋をしてスザクは泣きそうに笑ったユフィに、出来るだけ穏やかに笑いかけた。この切なくてささやかすぎる祈りや、幸せが、ユーフェミアを少しでも安らがせることを祈って。そして、嘘偽りなく、スザク自身の願いであることを噛み締めて。
「……いつか」
「なに?」
 そっと重ねた掌を握ると柔らかくて、暖かかった。頬のよごれを拭うと仔猫みたいな仕草でユーフェミアが片目を擽ったそうに細めるのが可愛らしくて思わず笑みが零れて、その台詞は存外幸せそうな響きになった。
「いつか日本もブリタニアも――皇族とか、身分も、関係なく隣を歩けるようになるよ」
 大きなすみれ色が瞬いて、微かに潤んで声を滲ませた。
「その時はスザクも一緒にですよ」
「うん、ユフィ」
 約束だと言って微笑む表情の美しさとか可愛らしさとか、それは色褪せたスラム街やゲットーの中でも負けずに、健気に咲く花のような、ささやかな未来への希望だった。彼女が作ろうとしている未来へのきざはしの小さな一端。その一助になれるのがこんなに嬉しくて誇らしい自分がいるのが信じられない。
 こつんとあわせた額の距離で密やかに笑いあった。
 その二メートル頭上にちゅんっと弾痕が刻まれる。
 顔もあげずとっさにユーフェミアを抱き締めて路上を転がり奥の雑居ビルに座り込んだまま銃を構えてホールド。迂闊に発砲できるほど残弾はなかった。ビルの影で息を潜めながら気配を探る。しかし足跡すらも無い。
 不吉な予感に、スザクは腕の中のユーフェミアを固く抱き寄せた。
 ちゅいんとコンクリートの弾ける音。
 さっきの初撃は測量か。
「狙撃……っ」
 まさかこの密集地帯で狙撃の技量を持つ人員が敵方に紛れ込んでいようとは思わず、致命的な事態に思わず舌打ちする。スザクの攻撃範囲は通常と比べると常識はずれに広く、例え相手が重火器を持っていて、此方がユーフェミアを庇いながら対処しなくてはならずとも、どうとでも切り抜けられる自信があった。しかし狙撃手にはそれが通用しない。百メートル以上離れた場所からでは物理的に攻撃手段がないからこそ、応援がないときには狙撃技量を持つ敵兵は驚異以外の何者でもないのだ。弾道で相手の位置を見極めようとするが、密集したビルのせいで上手くいかない、そして此方が目測をつけるほど相手が試射をするとも思えず、位置を把握したときには、此方が負傷しているか、狙撃手の教本どおりに反撃を警戒して射撃ポイントを変えている。
「スザク!」
 とっさに抱き寄せた腕のなかで今まで我慢強かったユーフェミアがとうとう叫んだ。
 痛みではなく灼熱の針金を高速でひっかいたよう。
 痺れが走った手から拳銃だけは離さないように、腕の中のユーフェミアごと強く抱き締めた。

 
 
 
 
 
 
@ユフィ拍手祭りより加筆修正。

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