依存≒共存≠寄生≒共犯。 Dear my accessory. ぱらりとページを捲ると、一面に春の花の色が広がっていた。美しいチェリーブロッサムとバイオレット。白いドレスを纏って微笑んでいる可憐な姫君。 ユーフェミア皇女殿下、EU外務協力大臣とご接見。 ちらりと視線を動かせばかしこまったイタリックで綴られた見出しと、その下に詳細な記事が載せられていた。つい数ヶ月前までは、皇室にありながら学生と言うことでマスコミの前に現れるような公務を極力避けていた皇女。最初は明らかに自分の身分について回る職務に、借りてきたネコのように緊張していたのに、今では随分板に付いたものだと思う。 「ずいぶんと慣れたようだな。この皇女も」 シーツの上でごろりところがると、長い髪がさらりと泳ぐ。 行儀悪くほおづえをついて、寝転がったまま雑誌を斜め読みしていく厚かましい女にルルーシュは溜息をついた。 「別に慣れたとかそう言うことでもないさ――良いからそこをどけ。邪魔だ」 いまさら注意をしようとも思わない。その分の体力を無駄に消費することは良く解っているのだ。 カバンの中から引っ張り出したノートパソコンを片手に、C.C.が占領しているベッドの端に腰掛ける。 パソコンを使うのには他に十二分なスペースはあるのだが、今机上にはデスクトップが点けっぱなしになっていて、組織からの連絡待ちの状態だ。同じ机でパソコンを二台も使うには流石に狭いと言わざるを得ない。ソファの上は資料やプリントアウトで一杯だ。だからといって床で作業する気もさらさら起きない。 ずうずうしく体を伸ばして、ベッドの上をのびのびと占領しているC.Cの頭をぐいぐいと押しやって壁に寄せると、空けたスペースに陣取る。膝の上に二つ折りのパソコンをぱかりと開いて電源を点けた。 OSが立ち上がる僅かな機動音のあと、白いあかりがルルーシュの横顔を照らす。目元に深い影を落とす陰影を見上げて、いつの間にか日が沈んでいることにC.Cは気が付いたが、何も言わなかった。集中し始めるとこの男は何を言っても聞こえなくなるし、いまさら視力が悪くなろうが超人的な身体能力でナイトメアフレームを駆って戦力になれる様なタイプでもないルルーシュは、基礎体力にあまり頓着する必要がない。殊更にC.Cが気にしてやることもないだろう。ただこの紫の絢が、少し遠くなるのか、とふと思った。メガネのレンズ一枚分の距離は自分とこの男をどう隔てるのだろうか。 鮮やかなバイオレットは紫電の色をしている。皇族の中でも飛び抜けて鮮やかな色だ。激しいと言っても良い。 「――”男は床で”と私が言ったのを忘れたか。嘆かわしい記憶力だ」 ゆっくり瞬いたC.C.は不思議な感情の色を瞳から掻き消すと、はん、と吐き捨てて、ルルーシュをちらとも振り返らずに肩をすくめてみせた。 「生憎、この家はランペルージの名義になっているんだ。つまりこの部屋の全ては俺の財産でどう振る舞おうが俺の勝手だ。文句を言うならさっさと出て行くんだな」 正確にはランペルージ名義の財産を護っているのはミレイの保護者で、その更に下に居る代理人が実質的な財産運営を行っている。ルルーシュは名義人に過ぎず、成年に達しないうちは後見人の監視を外すことは出来ないだろう。 「本気で出て行かれたら困るくせに強気なものだな」 嘲笑ともにつかない微笑みを浮かべながら呟いて、C.C.は手元の雑誌をまた捲った。戯れ言を無言で切り捨てたルルーシュは、彼女の手元を横目でちらりと見やって露骨に眉を顰めて見せた。 「……ところで、それは買ってきたのか?」 「拾った」 「……拾って持ってきたんだな」 「昼食のあとにでも置いていったんだろう。中庭に放置されていたのを回収しておいてやった。あとで生徒会の遺失物届けの箱にでも入れておくんだな」 しれっと悪びれず、顔を上げもせず答える女に、誰が入れに行くんだとは言わないでおく。少なくともC.C.でないことだけは確かだ。 ぱらぱらと捲る雑誌はポピュラーな週刊誌だった。時事ネタやコラムで賑わって雑誌の巻頭を年端も行かない少女が飾っている。派手なイタリックとは違って、彼女のイメージに沿った華やかで瀟洒な文字の紹介文。 コーネリアが圧力をかけたのか、ブリタニアの広報が手を回しているのかは知らないが、良い記事だった。この国で皇族に対して悪評を浮かせるような記事は掲載することは許されない。三流紙に貶められたいのなら別だが、二度と元のステイタスを得られることはないだろう。 しかしそれを抜かしても。 「……記者の受けも随分良い様だな」 以外だ、と呟く表情は無表情のままだが、彼女なりに感心がこもっているのが解る。 しばらくの間、頑なに背中を向けたまま手を動かしているルルーシュの叩く、キーの音が静かな部屋に響いていた。ふ、と息を吐きながら、頬杖をはずしてごろりと横に転がる。ぺたりと後頭部をルルーシュの腰にくっつけると暑苦しい、とやっと声が帰ってきた。 花の色を纏う少女と、血の色に頭のてっぺんから足の先まで身を沈めることを選んだ少年。 その差異を思うだに時間の神は中々に残酷な計らいをするものだと変な感心をした。 「――もともと。物怖じするような人間ではなかったからな。終始誰かに見られるような状況も皇族にとっては生まれたときからのことで、慣れる以前の問題だ」 ぽろりと零れた言葉に、背中越しに視線を動かしてルルーシュの様子を窺う。後ろの方から腰の辺りにぴたりと頭をくっつけているから、黒いカットソーを着た背中しか見えなかった。 「危険なものとかそうでないものとか、感覚的には解ってるくせにそのくせ人に対して警戒しない。脳天気なんだよ。よく言えば大物か?」 少しだけ笑った声にあざけりの色は感じられなかった。かた、とキーをうつ音が止んだ。C.C.は身動きせずにじっとして言葉の続きを待っていた。 「けれどなにも考えていないわけではない。彼女なりの信念に基づいて行動しているらしい。そこが輪をかけて厄介なところだな。考えが全く読めないから、行動の行く先が理解不能だ」 間違っても賞賛ではないが、貶しているわけでもなかった。ただ彼女はそういう人間なのだと認めている感覚で話している。ルルーシュがこんな風に誰かを語るのも珍しい。彼は誰かの内面を推理し断言できるほど観察眼を凝らしてして、自分に納得のいく結論を求める。あの枢木スザクにさえも。出した答えがルルーシュの傲慢な決めつけでないとは言わないが、大まかには正しいことをC.C.は認めていた。 だからルルーシュが「解らない」というのはとても珍しい。 「そこが特に問題なんだ。周りの人間は振り回されて、いつの間にか相手を自分のペースに巻き込んでいる。いつの間にか周りの人間が味方について居るタイプだ――敵も多いが」 シニカルな声で肩をすくめるが、見た目のように温度が低い声だとは思えなかった。ルルーシュの仕草に人間的な厚みや温度を持たせる人間は、C.C.が知る限り決して多くない。 さっきからルルーシュは雑誌を一度も見ないで、頑なに背中を向けていた。本の中でふんわりと笑う少女は、彼にとっては冷酷な憎しみの対象であっても可笑しくはない人間の筈だった。態度と声の温度のアンビバレンツ。ルルーシュに見えているものを想像する。 C.C.には、ただの温室の花にしか見えない。 「では、枢木スザクも手懐けられたくちか?」 悟られないようにちいさく溜息を零して、腕を伸ばしてぱらりと雑誌を繰ると初めてルルーシュが顔を上げた。 「スザク?」 「見た限りでは上手いこと、共存と依存が両立しているように思えるがな」 「……どこが?」 「枢木スザクが安定した。お前感じないのか?」 一瞬止まったキーを叩く音が再開された。何の興味もないと言うポーズを取りながら、ルルーシュは敏感にスザクの変化を察している。 「お互いの理想やらを語り合って手を取り合い困難に打ち勝っていこうとでも言うところか?悲しいときは傍にいて支えてやり共に助け合う。枢木スザクは手を差し伸べることには疑問を感じないタイプだが、差し伸べられた手を選ぶタイプではある」 だろう?と目をやるが、ルルーシュは答えない。だが、命を助けたゼロの言葉を躊躇無く一刀両断したからには、差し伸べられる救済を彼自身は望んでいないと言うことだろう。 「枢木スザクはユーフェミアに手を差し伸べさせることを許した。そうするには、やつの心の中を幾ばくかでも赦し共有しなければならない。共有部分が多いほど共生とも依存とも言い換えられるようになる」 まあ、何処まで心の内を許したのかは解らないがと付け加えれば、先ほどとは違った沈黙でルルーシュが黙り込んだ。 「気に入らないか?」 「俺には関係ない。だいたい、あいつ等にそうそう接点なんてあるものか。しょせん皇女とイレブンだ」 はっと吐き捨てる声に思わず笑い声が漏れた。 「ああそうか、お前嫉妬して居るんだろう?この皇女が受けた恩恵はお前のものでもあったはずだからな。しかし昔の思い出が邪魔をして憎みきれない妬みきれない。お前はつくづく女々しい男だな。過去の思い出がそんなに大事か、ルルーシュ?」 「なに?」 「そうだろう?枢木スザクへの執着も結局はそれだ。幸せだった頃の記憶、不可侵の時間への憧れ。何が起ころうとも変わらないと思ってる親友という関係に甘えて「ずっと」なんて言葉を容易く使う」 黙れ、と潰したような低い声が這うのも気にせず、金の瞳が綺麗に笑って見せた。 「そのくせ相手への理解は不十分で、なのに自分は理解して欲しいと願ってる。だから騎士団に入れようと画策する――なあ、まるで恋に恋する乙女のようだな?」 ルルーシュ、とあかい唇だけで囁くと同時に、もう一度、黙れと烈火の怒りが鋭く落ちた。上から叩きつけてきた手のひらにがつりと首を捕まれた。シーツに縫い止められぎりぎりとクッションの中に沈んでいく。 乱れる人工色の自分の髪が視界にばさばさと入り込んできた。雪崩れ落ちてくる髪の毛の向こう側に激しい紫電のむらさき。 「いい加減にしろよ?C.C.」 「それはこちらの台詞だな。満足に反論できないくせに、今度は力に訴えるのか?お前が一番嫌うやり方だろう?」 スマートになりたまえ、とルルーシュの口調を真似てやればぎりっと更に腕に力を込められた。眉一つ動かずそれを受け止めながらC.C.は瞬きもせずルルーシュを見上げていた。ベッドに乗り上げたルルーシュの膝から滑り落ちたパソコンが、シーツの上に放り投げられてる。アタプタに繋がるコードがC.C.の白い素足に絡まった。 ぎりぎりと首を締め付けられながら、怒りにきらめくルルーシュの瞳は美しいと場違いなことを思っていると、その顔からだんだんと憎しみと烈しさが抜け落ちて、首に掛かる手からも力が抜けていく。ゆるゆるともたげていた頭を落として、とても苦しそうに目を閉じるルルーシュの顔が近づいてくるのを見守っていた。 ごつっと鈍い音がしてC.C.の頭にルルーシュが額を落としてた。辛そうに目を瞑ってしまえば、激しい意志が憤怒となって煌めく瞳が消えて、繊細な顔立ちが際だつばかりだった。 「――過去が大切で何が悪い」 生身から、皮を剥ぎ取って。血を、搾り取るような声だと思った。 彼の中で片親だけ血の繋がった妹に向かう思いは暖かな家族愛と積年の嫉妬心だとC.C.は思っている。明日、生きるか死ぬかに怯えないのは、戦乱を生き抜いた子どもにとって何不自由ないと言って良い。国主の子ども達として、本当はその恩恵をこの男も得ていたはずだ。そして、雑誌の中で笑う少女と同じように、花のように着飾って居たのは彼の妹の筈だった。でも、憎い憎いと妬む一方で、それだけでは通用しない愛情が確かにある。その愛情に根付く記憶をC.C.は知らないし知ったことではない。 枢木スザクに対する心情には多分に憧れと甘えがある。幼い頃を過ごした大切な親友は、いつまでもいつまでも自分が変わっても周りが変わっても親友なのだと思っている。一方で不可侵の幸せな時間への憧れ。ルルーシュはスザクへ理解を求めているが、スザクを理解しようと思っていない。そしてそばに置くことで理解と受容を得られたと安心したがっている。一方的な思いは酷く恋に似ているではないか。恋に恋する乙女のようだ。 彼ら二人に対する二つの感情が複雑に絡み合いルルーシュを形成している。 投げ出された腕を持ち上げて、ルルーシュの黒髪に指を絡める。梳いてやれば引っかかるところもなくほどけていく。幾度か繰り返しながらC.C.もルルーシュと同じように目を閉じた。 「解らない」 「なにが」 「私には最初から特に何もないから。ただ真っ白なだけだ」 ただ、と黒い頭を抱き寄せながらC.C.は子どものようにまるくなる。 「ただ、そんなに大事な過去を持っているのは苦しくはないか?」 ことんことん、と心臓の音を聞きながらルルーシュは薄く目を開く。薄い肩。広さの無い胸に頭を抱えて丸まっているC.C.は何かに似ていると思ったら、ぬいぐるみを抱きしめてる幼い頃のナナリーにそっくりで幼く頼りなく見えた。 「苦しいに決まっている。いっそ捨てたいと思わせるのに、どうしても捨てられない過去なんて持っていて肩が凝る。――俺には憎むだけの方が簡単で、楽だ」 「そうか」 小さな指先はルルーシュが思うよりも柔らかくて、暖かかった。ひんやりとした長い髪がさらさらさらさら白い波間を泳いでいく。 「なら言ってやろう。お前の望む言葉を。非情になれルルーシュ。お前に必要なのは途方もない怒りと冷酷と悪魔に相応しい残酷。その悪魔に相応しい力を持て」 瞬いた瞳がうっすら光を孕んで、薄く細められた。 「私たちに必要なものは共生でも共存でも相互理解でもない。契約と寄生だ」 相応しい凶器を与えた魔女に返すのは愛情や信頼などと言う甘ったるいものであるはずがない。与えたものは世界を壊す魔法の鍵なのだ。どこに親愛なる感情が生まれる余地がある。 「寄生とはよく言ったものだな、お前に相応しい言葉だ。しかし、寄生虫の方がお前よりまだ高等だと理解しておくんだな、宿主に利益を返還する分お前より有能だ」 「お前には立派な利益をやっただろう?それこそ百年以上を返済に充てても返しきれないものをやったつもりだがな」 はっと口元をシニカルに歪めてルルーシュは嗤う。その通りだ、この力は万金にも変えられぬ。 「その力を持て。そしてお前のナナリーのために、お前の敵になるもの全てに裁きを」 声の響き愛情を込めて、指先は優しいままに、斬りつける非情な言葉がルルーシュを裂く。 そうだ、今自分に必要なのは理解ではなく、ただひたすらに力であり、支えではなく、共犯者だ。最後まで言葉の刃を余さず受け止めてから薄く紫電の瞳を瞬かせて、唇を柔らかな胸に押しつけた。 「――好きなだけ寄生するが良いさ。過去なんてそのうち出来る。その間はずっと共犯者として側に置いてやる」 離さずに。まるで愛を囁くように憎悪を思い切り込めてルルーシュは優しく額を預ける。 小さな指先が優しく撫でた黒髪の上から、ルルーシュの頭を強く強く抱きしめた。 それは、彼の紡ぐ愛にも似た激しさを籠めて。 プリーズブラウザバック。 |