捧げる祈りは尊いけれどとても遠く遠く、おそらくは見たこともない海原に浮かぶ月のような。とても美しく、決して届かず。
Prayers. 迎賓館と離れを結ぶ宮殿の渡り廊下を季節の花のにおいを乗せた風が渡っていく。空を見上げれば鳥の声が高く響いて消えていった。 「部屋に戻りましょう、それまで少し待ってください」 「アーサーを連れてきてくれたのですか?」 「うーん、アーサーはいつでも会おうと思えばあえるから。だからそれよりちょっと……凄く、稀少かもしれないです」 「まあ、なにかしら?」 ほわんと無邪気に微笑む姫君は、いつもながら見ていてこちらが嬉しくなるほどだ。 ユフィの小さな歩幅に合わせて、歩くのにもすっかり慣れて久しい。見上げてくる視線を見下ろす角度も。大きく開いた薄紫の瞳の光彩も。 この建物はまるまるユフィにあてがわれている。数日の滞在から、談話によく使う部屋にユフィを置いて、スザクはあてがわれた自室に戻る。その際に不審物のチェック、警備のポジショニングなど目を配らせるのが習慣になって既に久しい。 特区日本の設立。殆どのものが、ひれ伏した顔の下、愚行に等しいとあざけった。彼らのその嘲笑こそがこれから設立する『特区』への最大の障害になるだろう。法律上の問題が例え解決されたとしても、人々の道徳観念や意識へは不干渉なのだ。全ての差別はブリタニアの大義名分、国是より生み出され、そして人間の間で育っていく。一度芽吹いたものは根を根絶するまで決して取り除かれ得ない。 ユフィとてそれを知っている。そしてスザクと一緒にいれば嫌でも現実として、理解するに至ったであろう。そのことが先ほどのように、彼女の愁眉を曇らせるのはスザクの本意ではないけれど。それでも彼女は成そうとしている。ならば自分のすることはただ一つ。彼女の理想はスザクの理想に相違ない。 スザク、聞いて下さい!ブリタニア人が特区の住人として申請してくれたのです! 先日、満面の笑顔が花咲いた。エリア11には混血が多い。敗戦より既に七年。婚姻関係を持つものも少なくはない。少数ではあるが、生涯の伴侶を選ぶに当たって異民族の壁を越えるものも現れる。もしくは、殆ど強要される形で押し流されることも。特に世間の事情、経済的な事情がそう言った人々を圧迫していた。 ナンバーズを同じ階級として家に入れるというだけで世間は異様なものを見る目を向ける。同じブリタニア人同士でさえも。そう言った場合、就職、進学などが不利になるばかりでなく、内定したことが取り下げられるなんてざらだった。だから子供は持っても婚姻は結ばないという事情が世間の暗黙のルールだ。そして子どもは、相手のブリタニア人が伴侶と子を気遣えば、籍をブリタニアとされ、将来差別にあわないように、日本名を伏せ、ブリタニアの名を名乗らせる。もちろん庶子である。ゆえに、差別の他にも、遺産相続などの法的不平等が蔓延している。 そう言ったことを心底憂いている人々が特区に申請をしてきたのだろう。そこならば誰を伴侶としようと、家族としようと、差別はないと信じたくて。未だ根深い差別故恐らく特区がどう軌道に乗っていくか様子見をしている人々もいるだろうから、これからまだまだ増えるであろう。もう既に、これは日本人だけの理想ではない。改革が成功すれば世界中でも同じような声が上がるであろう。レジスタンスによる不安定な政権より小さくても理想郷を、銃声のない世界を、己の文化を尊重できる小さくても良いから、そんな夢の国を、と。誰かがきっと喉から手が出るほどに望んでいる。きっと。 そしてそれを望まない人々が居る。 なぜ無知蒙昧な被差別階級にそのような権利を認めてやらなければならないのか。それが一部特権階級の感情、なぜわざわざ七年もたった昔のことなのに今更特区など、それが一般ブリタニア国民感情であった。占領する側、される側、搾取するもの、ただ日々を送る人々、その温度差の恐ろしさ。 そのようなこと、断固として認められぬとユーフェミアに殴り込むように進言してきた臣下もいた。だけれどユーフェミアは頑として意思を撤回しなかった。その態度が軋轢を生むことは、予測ではなく、目に見えた未来の事実だった。 ユーフェミアの警護がこれまで以上に厳重になったのは姉姫の指示である。第二皇女コーネリア総督は自らが最も深く信頼する部下をユーフェミアに付け、スザクには直々に命令を下した。あれを護れ。お前が死んでも。 その言葉にスザクは深々と傅いた。言われずとも、この命はすでに我が主君のものです。 本当は、姉君自らが、誰よりもこの手で護りたいだろうに彼女は自らの責務を自覚していた。 廊下を歩くと警備のものがいつもの数より多い。この頃、軍内部の動きが活発だからだろう。ダールトン殿ともう一度話しておいた方が良いかもしれない。 イレブンとして最も過酷な特殊部隊に配属され、命令が全て、否を問うことを許されない部隊に所属していたスザクにはどこから攻めればユーフェミアを攻略できるか、手に取るように解る。そのスザクの言葉を意外なほど真剣に考慮してくれるのがダールトンだった。皇族麾下騎士という地位を手に入れ、階級は少佐となった今も、スザクに対する蔑視は強い。そんな中、自分よりもずっと年上の熟練の軍人が自分の意見を参考にするという。驚きの目を向けて、なぜですか、問いかけた声に懐の広い笑みを見せて彼は言い切った。貴殿はユーフェミア様をお守りせよ、それが我が姫の願いだ。 その一言は正しく己の騎士としての、枢木スザクとしての誓いと願いだった。 彼は彼の思う主君のために戦っている。 あの御方は真実、臣下の鏡のような方ですねとスザクがユーフェミアに零せば彼女は、自分がほめられたように嬉しげに笑った。ダールトンは騎士という地位を得て、少佐という権限を手に入れても真摯なまま変わらないスザクの態度を好ましく思っていた節がある。幼い頃から良く面倒を見てもらったユフィは彼がスザクにどういった印象を抱いたか、正しく理解していた。目上に対する意識を幼少から骨の髄まで叩き込まれて育ったスザクにとっては当然のことだったが、本当に感心するスザクに上機嫌に、私の騎士も最高ですよと言って微笑んだ、その真意をスザクだけが知らない。 長い廊下の角を曲がり、巡回している警備のものが黙礼をして去っていくのに、こちらも返礼してユーフェミアが待っていることを意識して足を急がせた。連日の公務に疲労した姿を思い浮かべながら。 警護が厳重になればなるほど、ユフィの時間は削られていく。その上の分刻みのスケジュール。過敏な周りの反応。どれもこれも、皇族であるから警護されるのに慣れているとはいえ、数ヶ月前までただの学生として過ごしていた少女には辛いであろう。 姉姫の言葉が頭を過ぎった。 泣かせるなよ。 スザクを快く思っていない上、認めてはいるが信頼が篤いとは言えない。だから、政治的なことと軍事両面で補佐が出来る腹心のダールトンをわざわざ送り込んできた。けれどユフィがスザクを信頼しているのは承知の上だから、そのようなことを言ったのだろうか。 どちらにしろ自分の行動は決まっている。日本を思う心でテロリストが何をしてきたか、純血派が自らの処遇をどうしたか、スザクは身を以て、知っている。自らに憎しみを向けるならそれで良い。けれどその憎しみがユーフェミアを、ユフィを、襲うことになったら。 「させて、たまるか」 重厚な絨毯は軍靴の音を吸い込む。かつかつと歩くスザクの足音を吸い込む。翠の瞳がつよい光をはらんで眇められた。 俺が守る。 自室としてあてがわれた室内は質素なものだ。テーブル、デスクチェアのひとそろい、作りつけのクローゼット、シャワールーム、ベットが一つ。これが全て。探し回るまでもなく、預かっていたものを取り出す。小さな千鳥模様の紙の箱をクローゼットの中にしまっておいた鞄から取り出して、スザクは自室をあとにした。 自室からスザクは小さなものを持ってきた。ほんの手のひらにのってしまうような、大きな手の陰にすっぽりと隠れてしまうような。 目を丸くしてユフィが瞬く。その瞳が、それはなあに?と言っているのが手に取るように解って少しおかしい。 カウチに腰掛けるユフィの前にひざまずくと彼女に手を出すように促した。白い手のひらを行儀良くそろえてそろそろと差し出すと、スザクはにっこりと笑って、側のテーブルに千鳥模様の箱を置いて開く。中のそれが潰れないようにそっとそれを取り出すと、その手の上に、小さなそれを二羽、乗せた。 「…………まあ!」 桃色に染め抜かれたものと、淡い紫で染め抜かれた美しく波紋を描いて透ける和紙が、鳥の形を作ってユフィの小さな手の上に止まっていた。優美に首を曲げ、きちんと羽が広がっている。和紙の生み出す紙の重なりの独特の濃淡が酷く美しい。 「スザク、凄いですスザク!こんなに綺麗な紙を見たのは初めて、紙で鳥を作るなんて」 子どもみたいに瞳をきらきらさせてユフィは輝く笑顔でスザクを見上げた。 「ありがとう、宝物にしますね。とても綺麗、可愛いわ。ありがとうございますスザク。スザクはとても器用なのね」 きらきらとする瞳の色が、幼馴染みの兄妹に重なり、スザクは寂しさと幸福を噛みしめて笑った。ユフィの小さな手のひらの上から、紫色のとりをとる。 「殿下に喜んでいただけて何よりです」 その喜びの顔が、ふっと凍り付き、溶ける。 「……スザク?」 にこりと笑ったユフィの瞳が揺れたのに、失言をしたことを悟って慌てて謝ろうとするが、ごめんなさいより、ありがとうを喜ぶのがこの女の子で、謝罪より、改めることが彼女の生き方。 「ユフィが、喜んでくれて、何より」 スザクが笑うと、ユーフェミアも今度こそにっこりと笑った。先日実父である皇帝とたった一人での対面をはたしたユーフェミアは未だ皇女の地位にある。本国からの返答はまだ来ていない。それでも、この至尊の位を彼女は自ら降ると決めた。 ただのユフィです。もうすぐ、ただのユフィです。それまで、騎士で居てくれますか? 彼女はその決意を真っ先に、包み隠さずスザクに伝えた。 不安を必死に押し隠した声が酷く愛しかった。誰よりも愛情を注ぎ、庇護してくれた姉からも離れる覚悟を決めた理由、本当は全部解りたかった。けれどスザクにも話せないことがあるのに、ユフィにそんなことは強制できない。何より理由を問うと凄く哀しそうで。頑なに、やると決めたんです、としか言わないから。 最愛の主君。 「これ、折り鶴って言うんだ。鶴っていうのはクレイン。折り紙は知ってるよね?」 「ええ、幾つか作品を見たことがあります。お花が円くなっているのを」 「じゃあ多分、それは薬玉かな。折り鶴は薬玉よりは簡単だけれど、ある意味薬玉以上に大変かもしれない」 確かに、こんなに小さな鳥なのに、酷く複雑に折り込んであるから、実は大変な作品なのかもしれない。 「ある意味ってなんですか?」 「折り鶴は千羽織ると願掛けが出来る。だからこれを千、折るんだよ」 千。あまりの膨大な数に声も出ない。想像もつかない数をすべて手作業でなんて。しかもユフィにとってはとても複雑奇怪な折り方をしていて。 「日本人は凄いんですね……」 余りのことに言葉が続かないユフィの目の前に、紫色の鶴をスザクがかざした。 「ユフィ、これは僕が折ったんじゃないんだ」 「え?」 そっと羽を開いていく。ぱさりと和紙がこすれる音が羽音にも聞こえて。スザクが紙の鶴を開いていく。一度開いた折り鶴はただの紙に戻ってしまう。もう二度と鳥にならない。 「スザク、駄目」 細い手がスザクの手に添えられて、その動きを止めようとするも、スザクは止まらないままにゆっくりと丁寧に、折り目の一つ一つを確認して折り鶴を広げていった。 おねがい、やめてといおうとした、その瞳に飛び込んでくるものがある。ついにただの一枚の折り紙に戻ってしまった紙はもう鳥の命を吹き込めない。それが出来ないユフィが哀しい。 けれどユフィ視界に飛び込んできたそれは、言葉を止め、思わずユフィの呼吸すら止めてしまった。美しい透かしの和紙。その、折り込まれて羽の裏側になる見えない部分に、文字があった。紫色の和紙に、色の薄いペンで記された言葉。 呆然とするユフィの手に、ただの紙になった折り鶴を手渡す。 その文字の筆跡はもう見慣れてしまった、スザクのものだ。けれど、この文字は。宛名は。 トゥ ディア シスター 穴が空くほどその和紙の透かしを見つめる。その、紫色。紫の。瞳。 「伝言を伝えるよ」 静かな声がきこえる。傅くスザクはとても距離が近くて。声が、近くて。 一言一句、違えないよう、何度も心の中で繰り返した言葉が真摯に紡がれた。 「親愛なるお姉様へ。ユフィ姉様の願い事が叶いますように。千羽折れなくてごめんなさい。お忙しくても、お倒れになったりしないで」 皇族の血が彼らを追いつめた。目も見えず足も動かぬ妹を、まだ十に届くか届かぬかという兄を異国へと追いやった。どんなにユフィが泣いてもマリアンヌ皇妃もそのめぐしごもユフィの元に戻ってこなかった。結局あの時ユフィは泣くことしかできなかったのだ。この前であった可愛らしい白い瞼の下の、兄とそっくりな美しい紫色の瞳を知ってる。自分の薄い色とは違って、宝石のように鮮やかな皇族の血を強く継いだ色合いだった。感情が激っするとますます鮮やかな色になるその瞳は怖いほどに美しかった。愛しい兄妹。 「――本当は代筆を頼まれたとき、ナナリーはフロムルルーシュアンドナナリートゥユフィって書いて欲しいって言ったんだけれど、彼らのことは此処の人は、誰にも知られない方が良いからと思って、万が一って思って、僕がこう書いた。ごめん、ユフィ」 「いいえ……いいえ!」 胸元に折り紙と、もう一羽鶴を抱きしめてユフィが激しく首を振ると長い髪がふわりと舞った。 胸に詰まるものをはき出せなくて切なかった。苦しくて仕方なかった。 見えない目で、千羽折るなんて無理に決まっている。あの小さな手が、暗闇の中、必死に折った鶴。ユフィの願いのために折った鶴。 なんて愛しい。 「スザク、スザク。ありがとうございます。嬉しい」 堪えきれなくて、俯いた視界がにじむ。車椅子を押したとき、あんなに軽かった。切なかった。ルルーシュの怒りの一端の理由。あんな可愛い生き物を、幼気な子を。どうして私たちはあんな風に追いやることしかできなかったの。 どうして身を挺してでも私の宮に匿ってやらなかったの。 解ってる、お姉様がお許しにならない。勘気を被った王族の末路なんて関わればどんな目に遭うかしれた事じゃない。皇帝は弱者を顧みない。ゆえに王の勘気を被った弱者をかばうものには国外追放も、皇籍削除も、皇位継承権剥奪すらもが生ぬるい。極刑も辞さない。温室の花は外に出たら生きていけない。自分は紛れもなく温室の花でしかなった。 「ユフィ」 そっと震える手を撫でられてユフィがゆっくりと顔を上げた。緑色の瞳がこんなにも優しい色をしている。 今にも泣き出しそうなユフィのふんわりとした前髪を撫でて、するりとユフィの手のひらから折り紙が抜き出された。一度付いた折り目に従って、今一度丁寧に折りたたんでいく。ナイトメアフレームを縦横に操る無骨な指が、少し不器用に、でも丁寧にきちんと折っていく。折り目の付いた折り紙を折るのは簡単だったようで、ユフィの目にも鶴はすぐにまた美しい紫色の羽を広げてユフィの手のひらに舞い戻った。 「二羽あるのはね、一羽はユフィのお願いが叶いますように。もう一つはユフィのことを思ってるナナリーとルルーシュの思いが届きますようにって」 「ナナリーと、ルルーシュ?」 手のひらの、色違いの二羽を見つめてユフィは呆然と呟いた。 「ユフィが忙しそうだから手伝ってくる、ナナリーの処にしばらく行けなくなるよって言いにいったんだ。そうしたら、じゃあユフィの鶴だけじゃなく自分たちの分も折るから、ユフィ姉様が倒れないようにお願いをするからって」 紫色の鶴を折った。名を残せない自分の変わりに、ユフィという愛称のかわりに、ディアシスターの文字に込めた思い。優しい伝言の初めにあったとおりに、親愛なる、大切な無二の姉妹だと。 異国の人間にとって、折り紙は本当に異国の文化で、一度壊したら修復のしようがないから、ユフィが大切に保管して飾っておけば侍女達は清掃に細心の注意を払って、このたった二羽の折り鶴を壊したりまして開いてしまったりなんてことはしないだろう。署名を記してもばれないに違いない。それでも、彼らの事を考えると万が一を考えないわけにはいかない。シスターなら皇女であるユフィには山ほど居る。東洋系の皇女や従姉妹も居たはずだからいくらだってごまかせる。でも、紫の色とあえて名を伏せなければならなかった、シスターに篭めた思い。これは何処の世界を探しても一つ。たった一つだけ。 「ナナリーとルルーシュに心配かけちゃいけないよユフィ。だから、今日は次の公務でお終い。特区関連のは事務手続きが煩雑でしばらく続くから、通常公務に明後日から三日間戻るけれど、そのうち一日は何の予定も入ってないから」 疲れがたまるとすぐに微熱を出すから、気にかけてやってくれと。 仲違いして上手くはなせないのだと、泣きそうに顔を俯かせていたユフィ。その姉姫から直々の御言葉を賜った。その上、ユフィの妹姫からまで言われては無理だってしたくなる。差し出がましいと重々承知しながらも、スケジュール管理に口を挟んだ。ここ数日、本当に彼女は気の休まることがなかったから。 「スザク、お願いがあります」 「何でしょう、お姫様?」 座ったユフィの瞳をしたからのぞき込む翠の瞳。初めてあったときのよう、おどけて言えば泣き笑いでユフィが言った。 「貴方は折り鶴、折れますか?私に折り鶴の折り方を特訓してくださいな。このあと行く孤児院で子ども達に教えてあげたいの」 「おのぞみのままに。僕は貴方の騎士だから。いまままでも――これからも、ずっと」 息をのんでユフィは大きな瞳を見張った。いつかいった言葉がリフレインして。 騎士叙勲は皇族の特権。 わたくしが、皇女であってもなくても。 ただのユフィでしかなくとも。ずっと。 息詰まるような幸福がこの世にあるなんて、生まれて初めて知った。スザクに出逢ってからまだほんの少し、これまで生きてきた時間の方がずっと長いのに、初めて知る感情ばかり。 小さな指先を手にとって、珊瑚色のつま先に口づけて、緑色の瞳が優しく笑えばユフィも花開く笑みで応えて見せた。どうしよう、折角頑張っていたのに嬉しくて泣きそうだ。美しいすみれ色が儚く揺れた。 こんなに優しい人が自分の側にいる奇跡。いつか誰かと出会える幸福を、辛酸を嘗めて暮らしてきた人たちに、少しでも自分は手渡せるだろうか。 願いと優しさの詰まった鶴の折り方を、どうか未来を担う子ども達へ。これが本当の「日本」なのか、そう、聞かれるのはきっと怖い。スザクも答えを持っていない。でも二人で、それが日本人が何らかの階段を一歩あがる事になる結果に、未来へつなげていけると考えていけるから。 ユフィは箱庭の幸せが現実の世界に変わる一歩だと信じたいから頑張れる、幸せにしたい人たちが居るから、だから。 ナナリーが笑ってくれるような未来を願って祈りを篭めて、折りましょう。 千羽折っても構わない。それで願いが叶うなら。 貴方の王子様を奪ってごめんなさい。私にはスザクが唯一だったの、共に歩める唯一だった。貴方にルルーシュが唯一であるように。 絶対に、何からもスザクを守るから。守られてばかりの私けれど、彼の居場所を軍のものも、学校のものも。全力を賭して守るから。もうすぐ貴方の姉は持って生まれた同じ性を棄てるけれど、それでも姉と呼んでくれたら嬉しい。ナナリーならきっと大丈夫。ただのユフィを愛してくれる、優しい子。そして私たちのお兄様も貴方とそっくり同じ、とても優しい人だから、きっと大丈夫。大丈夫よナナリー。撃つ覚悟はないけれど撃たれる覚悟はある。一番大切なものが手にはいるなら、生まれ持ってきたこの皇位という価値観を、その刷り込みにも似た絶対性だって棄てられる。 「スザク、私たち日本で、みんなで、幸せになれるわ。大丈夫。だってナナリーが祈ってくれたのだもの」 「――うん」 柔らかく暖かな涙に潤んだ紫の瞳に、優しさが溢れていて噛みしめるようにスザクが笑う。視線が合うことがこんなに嬉しい。俯いて、小さな顔にかかった柔らかな髪を払って冷えた頬を暖めるように触れるとユフィが微笑んで目を閉じた。壊れ物にもこんなに優しく触れない。大丈夫、このプレゼントと休養で、この頬はいつもみたいに暖かな薔薇色に染まるから。 「イエス・マイレディ」 深い慈しみのこもった声と、握りあった手のひらが温かくて、頬に触れてくれた手のひらが大きくて優しくて安心できて。我慢していた涙が一粒こぼれた。きっとスザクは見ないふりをしてくれる。目の前にある翠と膝の上の紫、あの子の思いがこもった桜色の鳥に思いを乗せて必ず叶えて見せましょう。 プリーズブラウザバック。 |