神様に願うこと。そして



きみにきす



 その時、とん、っと踵を蹴ってシャーリーがテーブルに戻る。ランチボックスを詰めたカバンの中から何かを取りだして、また戻ってくる。両手いっぱいに抱えたそれは色とりどりのセロファン。
 手を出して、と言われたから、その通りに手を出した。駄目、両手で、掌が上!と指示し直されてものを請うように掌を揃えて行儀良く。自分らしくないポーズだと軽く屈辱だったが、今のシャーリーの言葉にはなぜか逆らえくて沈黙のまましたがった。すると、次の瞬間、手の上に色とりどりのセロファンがどさっと落ちてきた。
「…………これは何だ」
「キャンディ。美味しいよ?」
 ルルーシュの掌から赤いセロファンの包みを一個手にとって、唇に当てて楽しげに笑う。
「ルルはね、今きっと考えすぎてるの。疲れてるときには甘いもの。美味しいもの食べてちょっと休まないと、良い考えも浮かばないよ」
 とん、と窓枠に背を預けてシャーリーがにっこりすると、ルルーシュは毒気を抜かれて手の中を見下ろした。
 赤、青、黄色、緑、透明、きらきら夕日に光って、ただのセロファンはどこか宝石みたいだ。
「……多くないか流石に」
「全部食べきる頃には、きっと時間がたってて、色んな事だって変わってるよ」
 だからこの量なのか。こんもりと盛られた両手を溜息と共に見下ろす。
「……だからといって良い方向に変わってるとは、限らないだろう」
 ゆっくりと細い首が動いて、さらりと長い髪がシャーリーの身体に流れ纏う。
「喧嘩しちゃった?スザク君と」
 瞬いた瞳が優しく微笑む。小さく傾げた首が無邪気な笑みを彩った。でも瞳には労りの色が満ちあふれていて、零れるくらい。今、ルルーシュのてのひらの上のあめ玉と同じくらいに綺麗で、溢れてしまうくらい。
「何で、そう思う」
「何でだろ、わかんない」
 さらっと零れた髪を耳にかけながら、でもとシャーリーは続けた。
「ルルがそんなに落ち込むことだったら、スザク君じゃないかなあって思った」
 スザク、ユフィ、ナナリー。
 ルルーシュのアキレスは今も昔も変わらない。シャーリーはきちんとルルーシュを真っ直ぐ見ているから、だからすぐにばれてしまう。思考が暴走するから、真実までには届かないだけで、ルルーシュが何か考えてるなとか、そう言うことはすぐにばれる。何を大切に思っているのか、どんなものが好きなのか。どんな癖があって、どんな。
 距離を保ってきたのに、シャーリーにはすぐにばれる。自分はシャーリーの行動を分析するだけでさっきあんなに悩んでいたのに。
 だからシャーリーに否定したって、きっと意味なんて無いのだ。
「……喧嘩じゃ、無い」
「うん」
「喧嘩じゃなくて、たぶん。もっと酷いことだ」
 それは一生をかけても償えず赦し得ずそして自分にすら許さず命ある限り、否、失ってしまっても憎まれ続けて当然の。
「そっかぁ……」
 こつん、と小さな頭が硝子にくっつけられた。夕焼けの暖かさは、一日最後の太陽の恵み。色が付くぶん、寂しくて暖かく感じる。
 緑色の瞳が細められて、ゆっくりと瞬いて。少しだけ身を起こして、真っ直ぐ正面からルルーシュを捉えた。
「じゃあ。ルルは謝った?」
 小さな声は誰も居ない部屋に静かに響いた。真っ直ぐな声はルルーシュの胸に突き刺さるように響いた。
 謝罪の方法など持たない。全てを置き去りにしてしまうしかない。そんな過去をシャーリーは知らないだろう。いや、知っているけれど自分が消した。
「……謝罪すら許されないのに謝って何になる」
 驚くほど冷えた声だった。夕日に暖められた部屋に相応しくない、つよくて固くて、冷たい声。シャーリーは驚いたようにルルーシュを見つめた。じっと正面から、固まって。それから不意に、哀しげに顔を歪めた。口元だけに微笑みを残して。
「そっかぁ。じゃあ仕方ないよ。ルルが悪い」
 そう言われて、首を斬り落とされる様な衝撃が走る。そんなこと解ってる、知ってる、だから!
 様々な記憶が一瞬走馬燈のように流れゆき弾けて口から零れそうになった瞬間、柔らかな響きがシャーリーのくちびるから零れた。
「謝らないんじゃ、ゆるしたくてもゆるせないよ」
 身体を起こしてルルーシュを覗き込んでいたシャーリーが、半身を窓硝子に預けて、寂しそうに首を傾ける。かたかたと、硝子が風を揺らす音に耳をそっと傾けた。
「謝ることすら許されないっていうの、解らないよ。許されないほど酷いことしたなら、なおさら謝らなくちゃいけないとおもう。だって、謝罪って、許されようと思ってするものじゃなくて、自分が悪いからするものでしょ?」
 静かな声は普段のシャーリーの元気いっぱいな様子に似ず、赤いセロファンを弄びながら、シャーリーはルルーシュの手の中にあるあめ玉の上に自分のハンカチを広げた。きらきらするセロファンを、薄いオレンジのハンカチに包む。うさぎと花をあしらった刺繍の可愛いメーカー品。奮発して買ったものだ。けれど別に惜しくなんて無かった。心に付いた傷に、包帯を巻く方法を教えて欲しかった。
「ルルは、許されないから謝らないの?許されたいから謝るの?」
 小さな手は無力で無力で、ルルーシュよりも非力だ。何も出来ない。ルルーシュのしようとしていることに比べれば、力など無いに等しい。今や、地位のある身分に返還したナナリーにすら及ばない、無力な手だった。
「違うよね、ルルはそんなじゃないよね」
 左手を包み込んで、ぽん、とキャンディのいっぱい詰まった包みを乗っける。
「シャーリー、違う」
 そんなに軽いものじゃない。もっともっとルルーシュの犯した罪は重くて。
「違わない。もし、ルルが何か許せないことをしても、謝ったらわたし絶対許してあげる。でも謝ってくれなかったら、許すことも出来なくてきっと苦しいよ」
 きゅっと握ったのは、包みと、ルルーシュの手。
「それが例えばどんなことでも」
 無力な手は、優しさが零れてくるほどに暖かかった。
「それでも許されないって言うなら、――ううん、許されないことしちゃったんなら、許されない覚悟で謝るべきじゃないかなあ。謝罪ってそう言う事じゃないかな。だから堪えたり、許したり、出来る。でもルルがしなくちゃ、何にも出来ない」
 ね、と紫色の双眸を覗き込む、距離が近い。緑色の瞳に夕焼けが映り込んで綺麗で、鮮烈で、優しい色をしていた。ルルーシュの語源の全てをひっくり返しても表現しきれないほど綺麗だった。
「ね、ルル。ごめんなさいって許されたいからするためのものだけじゃないと思うんだ。わたし、間違ってるかな」
 小さな無力な、声は真っ直ぐで素直だった。この世の中の真実を素直に語る言葉だった。遠い遠い昔に、自分が全て置いてきたものだった。
「大丈夫、きっとスザク君も悩んでて、それで答えをくれるよ。許してくれる、きっと」
「それは――」
「許されなくても。きっと楽になるよ、ルルの心もスザク君の心も」
 ぺたっと制服の上から、小さな手がルルーシュの胸の上に触れる。固い学生服の布越しだから、ほとんど感触なんて無いけれど。
「シャーリー……」
 もう、何も言えなかった。馬鹿みたいに名前を呟いて、心臓も思考も止められた気がした。そして唐突に思い出す。
 この目の前にいる少女にも自分は許されないことをしているのだと。謝って謝って謝って、それでも憎まれるようなことをしたのだと。
 ――それでもシャーリーは、ルルーシュを許した。こんな風な夕焼けの中で、泣いて泣いて、傷つけて傷ついて喚いて、でも最後の最後にルルーシュを選んだ。その手を、ルルーシュは突き放した。
「シャーリーは、どうして許すんだ」
 こんなに卑怯で、残酷で、浅ましい自分なのに。
「そんなの決まってるでしょ、ルルだからだよ」
 きっぱりと何の迷いもなく。真っ直ぐに、何でもないことを告げるように清らかな言葉が宣言する。
 もう顔を上げていられなかった。真っ直ぐ覗き込んでくる緑の瞳から逃れようとも思わなかった。ただ、こうべを垂れて、赦しの口づけを請うように、目を伏せて、細い肩の上にこつんと額を乗っける。
 そうっとシャーリーは息を吐いた。いつもは爆発しそうになる心臓が、ちょっとだけ今日は大人しいのはルルが弱っているからだと解っている。これ以上なく傷ついているからだと。
 慰めの術を持たないシャーリーは、ただルルーシュの傍にいることしかできない。
「大丈夫。わたしルルなら、ちゃんと謝ったら許してあげるんだから。嫌いになんてならないよ」
 スザクも、きっと。
 そう伝えたかったけれど、言葉にならなかった。
 アーサーを撫でる慈しみがシャーリーから最後の言葉を奪った。シャーリーは、ルルーシュにあの慈しみを持ってる。恋をしている。だから。
 きっと何をされても許すのだろう。だって傍にいたい、嫌われたくない、好きになって欲しくて、そして独りぽっちにしたくない。
 スザクはどうだろう。シャーリーみたいに想っている人が居て、そうしたら、きっと許すのだろうか。恋は偉大だ。あっという間に自分の魂を塗りかえる。
 恋じゃなくてもきっとそういう想いはあるのだろうけれど、シャーリーは恋の他には今は知らないから。でもきっと、スザクなら、答えをくれるだろう。傷ついているルルに、傷つけられたスザクは、スザクなりに悩んだ答えをきっと返してくれるはずだ。許そうと、許されまいと。
 そして、その応えが赦しであると、ルルーシュのために、シャーリーだけは祈ろう。自分だけは、世界中の全ての人がもしもルルーシュを糾弾しても。
 かみさま。お願い、それだけは許して。
「ね、ルル」
 さらっと黒髪が揺れる。顔を上げた紫電の双眸が、苦しそうに歪んでいた。だからシャーリーは精いっぱい笑って笑って、笑って。そして願う。
 笑って?って。
「わたし、ずっとずっと、いっぱいルルの味方だよ。知ってた?」
 泣きそうなルルーシュなんて初めて見た、と思いながら、紫色の優しい瞳が、ゆっくりと解けて哀しいけれど、漸くルルーシュらしくて、らしくない、柔らかな優しい笑みを見せてくれた。
「――覚えておく」
 くしゃりと零れたシャーリーの笑みが慈雨のようで、暖かくて優しかった。余さず受け止めながら、そんなことずっと前から知っていたんだと胸の中で呟く。
 そう、忘れられるはずもない。シャーリーがずっとルルーシュの味方だったなんて、あの夕焼けの時からずっと忘れ得ぬ記憶なのだから。
 謝罪しきれない叫びは胸の中、ずっと眠っていて、せめて優しく穏やかに笑っていて欲しいと、居もしない神に願うことくらいは許されるだろうか。
 雨の日に触れた身体は冷たくて、夕焼けの中では泣いて泣いて泣いて熱いほどで、糸の切れた人形のような身体は腕に軽くて、心に重い。そして今この夕焼けの中では優しくて。触れた記憶は数少なくて、優しさとかけ離れたものばかりだったけれど、彼女がとても柔らかくて優しかった事だけは、どの記憶を顧みても失われない事実だった。
 
 どんなときも彼女は柔らかかった。雨の中でも夕焼けの中でも学園の日常においてもそして
 
 そして
 
 そのついえるときにさえ、彼女はただひたすらに、優しく柔らかかった。覚えていると約束したとおり、ルルーシュの味方だった。
 ルルーシュは、そのことを一生涯、忘れない。
 時の彼岸に逝ってさえも、忘れ得ぬ記憶、いつだって帰り、寄せる、優しい笑顔の記憶。
 いつまでも。この想いは、きみにきす。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

十三話感想に換えて。

プリーズブラウザバック。