野麦峠物語
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数十年遅れで「あヽ野麦峠」を読んだ。どうしても野麦峠に行きたくなった。2001・8・10、中央高速〜松本〜安曇〜奈川経由で野麦峠にようやく辿り着いた。安曇を過ぎたあたりから2年前亡くなった母が少女に帰ってバイクの前を何回か見え隠れした。着物を着て、わらじを履いて、髪を後ろに束ねて、霜焼けで頬を赤く染めて。とぼとぼと寂しそうに歩いていた。 みねさんにようやく会えた。みねさんは綺麗な人でした。みねさんの無念が伝わってきた。野麦峠にはトリカブトが咲いていた。ひっそりと。 野麦峠の旅は苦労した母との再会の旅でもあった。 |
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「飛騨を一目見たかったみねの死」 政井みねは、岐阜県吉城郡河合村角川で生まれ育ち、14才頃から毎年信州の製糸工場へ糸挽き工女として出稼ぎに行っていた。20才のとき出稼中病気のため倒れ働けなくなったからと、工場の報せで兄(辰次郎)は岡谷のみねの勤め先の山一製糸へ数日掛りで駆けつけたが、やつれ変わり果てたみねは、もう立ち上がる力もなく只々涙するばかりであった。工場からは一刻も早くつれ出すように催促され兄は仕方なく準備してきた「背板」に板を打ち、布団を敷き後ろ向きにして背負い無情な工場を後に泊まりを重ね五日目にこの野麦峠に辿りつき一休みした。みねは余程故郷が恋しく一目飛騨の姿を見て死にたかったのだろう・・・・・。お助け小屋で買い与えたソバかゆや甘酒にも手を付けようとももせず「あヽ飛騨が見える、飛騨が見える、」とうれしそうにそれだけを言って息をひきとったのだった。これは明治42年11月20日午後2時のことである。 (みねと辰次郎の像の石碑より) | ||
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野麦街道宮の下トンネル |
トンネルには工女の絵が |
野麦街道(旧道)・・頂上付近 |
野麦街道(旧道)・・頂上付近 |
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野麦峠全景 |
頂上「あヽ野麦峠」の石碑 |
奈川村の石室(非難小屋) |
奈川村:歴史の里展示館 |
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展示館:蕨粉づくり |
展示館:みねさんの写真 |
みねさん |
みねを背負う辰次郎 |
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みねの墓 |
お助け小屋 |
野麦は笹の実(お助け小屋) |
高山市内「まつの茶舗」:おばあちゃんが野麦峠を越えたことがあるそうな(左側の女性) |