雑誌・新聞等掲載記事

 

[(財)物産プラザふくしま「ふるさと産業おこし」NO.46 2000年3月1日発行】

一寸一言「福島県人備長炭論」 

 生きて再び福島県から出られないかもしれない。そこまでいかなくても、パセオ通りでは、石を投げつけられるかもしれない。ヘルメット覚悟で「福島県人備長炭論」を展開したい。木炭に黒炭と白炭がある。黒炭は、多孔質でやわらかく火つきが良いが火持ちは悪い。白炭は、炭質は緻密で火つきは悪いが火持ちは良い。すなわち、白炭は底力がある。白炭の中では、焼き鳥屋でおなじみのウバメガシを材料とする備長炭が最高とされる。

  さて、ヘルメット覚悟で「福島県人備長炭論」を展開するのは、福島県の人は、燃えたらすごいと思う(これは我が社での実感である)が、燃えるまでの時間がかかり過ぎる。火付きが悪い。「分かった」という言葉の中に、何か躊躇がある。でも燃えるとすごいパワーがある。
  てなことで備長炭である。何でかな〜。歴史とか風土とか豊かさとかが混じっているのかもしれない。う〜ん、分からない。「1年くらいしか住んでいないのに何が分かるか、このバカタレが」と言われるかもしれない。そうかもしれないが、これが10年も住んでいたら、多分福島県人になりきってしまうから、分からなくなってしまうと思う。
  よしんば百歩譲って備長炭であるとしても何が悪いんだこのバカタレが、という叱責もあるでしょう。でも、今、アングロサクソンが日本に攻め込んできている。「白い猫でも黒い猫でもネズミを捕る猫がいい猫だ」というアメリカ流が攻め込んできている。日本中に例外はない。我が社もアメリカの攻撃を受けて、大変を通り越している。黒いの、白いのとかにこだわっている暇はないほどの大変さがある。
  余計なお世話かもしれない、やかましいと言われるかもしれない。でも、備長炭にこだわっている暇はないかもしれない。燃えてくれ、備長炭。底力はあるのだから。
 
テレコム・レビュー  TELECOM REVIEW 2000年2月15日発行】
 リレー随筆181  「ロマンはロマンスか?」

「何を血迷ったのか、その歳で!」と笑われそうであるが、実は女房に禁煙を誓って、それも半年間口説いてバイクを買ってしまった。それも1500CCの、Vツィンでは世界最大のバイクである。禁煙の方は、一週間で反故にしてしまったので、今もって女房からの信用はほとんどない。今から5年前のことである。

 私が買ってから同じ職場で二人のリッターバイク仲間が増えた。一人はバイクのカタログをよれよれにして奥さんの同情を買うという作戦、一人は奥さんの小言を一週間我慢すればよいとタカをくくって買ってしまったという天も恐れぬとんでもない大胆不敵というか大雑把な同僚である。ことほど左様に、男のロマンを追い求めるということは、困難を極めるのである。
 それからは、歳とともに弱ってきた足腰を、股に感ずるバイクの鼓動で補っている。たまには三人で連れだってツーリングに出掛ける。たいがいは温泉とラーメンが目的。口の悪い同僚は、“とっつあんライダーズ”とか“ジジーズ”とかヌカス。でも、どんなにヌカサれてもこの歳になれば気にならない。
 年に一回は、バイクにテントとか寝袋とかを山のように積んでソロツーリングに出掛ける。ジーンズにライダーズジャケット、首には赤いマフラー、レイバン風のサングラス、格好は一丁前、気分はブロンソンかマックィーン。
 北に行くか南に行くかは気分次第。南の方に雲の切れ間があれば南。雨が降るのか槍が降るのか、それとも素敵な出会いが待っているのか。ウーン、格好いいなとアクセル全開。一回のツーリングで約千キロは走る。
 ゴルフも酒もギャンブルもやらず、何故バイクなのか。よく聞かれる。暗にゴルフもやらないのかという蔑んだトゲがある。自分でも理屈で考えたことがないからよく分からないが、多分「風」だと思う。風は世間の形式という呪縛を吹き飛ばしてくれる(また格好をつけてしまった)。 
 小心者(私のこと)がこの世間で暮らしていくには形式が多すぎる。組織、地域との付き合い、そして家族制度、これらは人為の形式である。人為が多すぎると偽りになる。
 風は、偽りにまみれた小心者を形式という呪縛から解き放してくれる。
 長野県小谷(おたり)村の蒲原温泉の露天風呂(洪水で流されて今はない)、ほてった体を清流にまかせたとき、無数の小魚が私の体毛をエサと間違って群がってきた。恐くなって上がったが、他には誰もいない川原に素っ裸の中年男の慌てた図は、今でも私の中で行雲の風となっている。
 福島県会津地方大内宿の猫屋敷(私が勝手につけた)のお姐さん、あなたのさわやかさで、男のロマンがロマンスに変わってしまった。どうするイノウエ君。
 そんなに格好つけて、今日は何処まで行くの?

 
ぱるす出版  石川 洋1994年カレンダー 推薦の言葉
人生の指針に
 飲水思源という言葉が中国にあるそうだ。水を飲むときは、井戸を掘った人の苦労に感謝しなさいという意味。
 そもそも、この世の中、苦労が目に見えない。水にしてもひねるとジャーだし、ガスや電気のおかげで薪をひろう手間もいらない。だから平気で森林を乱伐し、自然環境が破壊されることになる。
 私の父のことで恐縮だが、父は世に言う要領が悪い。50歳半ばまで貧乏炭焼きで、今は80歳近くになるが土方をしている。父と一緒に山菜とりにいったことがある。山道に落ちている枯れ枝や石を必ずといっていいほど脇に寄せる。二度と来ないような所でもそうした。道を作った人の苦労を思ってのことか、後で来る人の邪魔にならないようにとの配慮か聞いたことがないが、頭が下がった。
 私は、父に一歩でも近づきたいと思っている。感謝をもって、自分を生かしたい。
 サラリーマンは気楽ではない。へつらい、驕り、憎悪、怠慢、そんな気持ちが錯綜する。そんなとき父の後ろ姿と石川先生の「これでいいのか」と迫ってくる言葉で私は救われている。
ぱるす出版  石川 洋1995年カレンダー 推薦の言葉
心の力に
 93年の夏と94年の夏。冷夏と旱魃。これほど対照的に人間の非力さと身勝手さと傲慢さを思い知らせてくれた夏があっただろうか。
 アフリカの悲惨な子供の報道写真を横目で見ながら、それはそれとして「やはりタイ米はまずい」と不満を百も垂れ、米不足の心配が無くなればゴミとして捨てる。水不足で飲み水にさえ事欠いている人に対して水利権という徳川時代からの権利を振りかざしている。
 自然は、食べること、食べられることのありがたさをいやというほど教えてくれた。危うい飽食の時代だからこそ、食の原点を見直したい。
 そして、欲望連鎖ボケでモノやカネに血眼になって、どこかに置き忘れてきた心を取り戻したい。移りゆくときの流れのなかで、変わっていくことの是非を吟味する心の力を、そして変わってはならないものを守りぬく心の勇気を取り戻したい。
 私にとって心の力と勇気を与えてくれるのは、石川先生のことばです。先生のことばには、時間の波で消え去ることのない真実があります。

 

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