石井竜也の世界

《LINK http://www.fmf.co.jp/ (ふくしまFM)》


NTT東日本福島支店 | i&i倶楽部プレゼンツ
「石井竜也トーキングコミュニケーション」
〜ちょっとおしゃれに話してみよう〜

 ○2000・11・17
 ○福島テルサ FTホール
 ○主催:NTT東日本福島支店 i&iクラブ事務局
 ○ナビゲート:佐藤加奈(ふくしまFMアナウンサー)


 第一声が「ふざけんなよ、このやろう!」、そして椅子に後ろ向きに座る。満場の笑いをとっての登場。この見事な掴み。瞬間で会場のお客さんの心を捉える。見事、天晴れ、拍手喝采、呵呵大笑、破顔一笑、抱腹絶倒。
 石井さんは人間というものをしっかり分かっておられる。だから共感できる。石井さんの隣にいるおじさん(私のこと)は目からうろこが三つぐらいボタリととれた。早速、勝手ながら尊敬する人のリストに加えさせていただいた。
 これからは追っかけのファンになろうかしら。

 


TALK術の巻
 ・他人の真似をしてもしょうがない。まず自分を知る旅からはじめる。
 ・最初の掴みが大事。
 ・天使にも影(陰)があるくらいだから、あまりくよくよしなさんな。

 「どうも、ふざけんなよ、このやろう〜」で登場。そして椅子に後ろ向きですわる。(会場爆)

 Talk術を)

 
Talk術ですか。自分の性格とよく相談した方がいいですよね。自分の性格と違うことで、例えば、あの人が話がうまいということで、その人の真似しようとしても、それは無理ですよ。性格、キャラクターが全然違うのに、不自然なことですよ。まじめな人が「ふざけんなよ、このやろう」って言ったら、「なんだこのやろう」っていうことになりますよ。キャラクターと相談して話したほうがいいんじゃないか。
 自分を最初に知ることが大事。他人に聞いてみることも一つの方法かもしれない。他人に自分はどう見えているか。本当のことは言わないかもしれないが、勇気を出して聞いてみる。歯に衣着せぬ意見と自分を照らして、だったらこういうキャラクターでいってみようとか、まず自分を知ったほうがいいかもしれない。まず自分を知る旅から始めた方がいいかもしれない。
 
 (後ろにある福島に到着してから描いていただいた二枚の絵の意味するものは何ですか)

 題名は、「天使の影(陰)」とつけました。天使というと明るく、ほんわかしていて、夢があって、なんかロマンチックで、でも彼らが太陽を受けて立つときっと影(陰)は絶対ある。天使に影(陰)があるくらいだから、生きている我々に影(陰)があっても不思議ではない。いいことばかりではない。どこかで、いつかはしくじるときもある。その時は落ち込まずに、ニコニコしていたほうがよいんじゃないのかなあ。天使に影(陰)があるくらいだから。
 深いでしょう。とてもこんな男から出る言葉とは思えないでしょう(爆)。これがコミュニケーションというんですよ。最初が大事ですよ。最初でしくじっちゃうと難しい。最初の掴みが大事。

 

エンターテナー魂の巻
 
・エンターテナー魂とは、言葉のおしゃれである
 ・言葉の余裕は人間の価値
 ・微妙な言い回しは錯覚を生む
 

 
(石井竜也流エンターテナーとは)

 言葉は喋れた方がいいですよね。喋れない人はいい詩を書けないと思う。口下手とか口数が多いとかの問題ではなく、選ぶ言葉がうまい。
 例えば「そのネクタイ似合わないわよ」と言った瞬間にその人の価値は下がる。それは自分の意見をストレートに言っただけのことですよ。ちょっときつい人なら誰でも言えること。言い方を「そのネクタイも似合うけど、こっちの方が似合うわよ」と言ったとたんにその人の価値はぐーんと上がる。それは、女の価値ではなく、「人間の価値」なんですよ。その人の余裕ですよ。言い方一つの問題ですよ。
 美容師の連中は策略家ですよ(爆)。オレはよく知っている。彼らの楽屋話を聞くとぞっとしますよ。でもね、気持ちをよくするというのは、別に美容師ばかりではなく、どんな仕事をしていても、主婦でも大事ですよ。家庭を気持ちよくする、子供を気持ちよくする、だんなの気持ちをよくする、逆にいうと男でもそうですよね。奥さんを気持ちよくする、子供を気持ちよくする、そうすると生きていて結構楽しいんですよ。
 それがエンターテナー魂ですよ。ちょっとくすぐることが大事。人に誉められて相手を憎む人はまずいない。例えばオレの場合は、ドラムスのジョウジに「おまえのドラム以外は歌いたくないね」とか、ヤツにしたらザワザワした言葉かも知れないが、意外と残るものなんですよ。詐欺師が言う言葉で、「僕は市長なんですよ」というよりも「国王なんですよ」といった方が信じるらしい。でかいことを言ったほうがよいらしい。だからあまり微妙なことを言ってもよく分からないし、微妙なことが分かると錯覚する。10年、20年付き合った同僚なんだから分かるだろう、これは絶対だめですよ。分からないから、人間なんて。特に男と女。動物が違うんだもの。生き物が違うんだから分かるわけがない。
 よく価値観が違うなんて言うんじゃないですか。違ってあたりまえですよ。価値観の違いでの離婚は理由にならない。それだったら、「頭がくさかったから」(爆)の方が身近で分かりやすい。具体的なことを言わないと分からない。

 

 

「夢の精神性」の巻
 
・希望と言うのは活力なんですよ。夢はあこがれ。願いは現実なんですよ。
 ・夢がないと現実である願いが出てこない。

 
(作詞家としての石井竜也とは)

 夢という言葉が好きですね。dreamだとニュアンスが違う。なんと綺麗な言葉なんだろう。「ゆ」と「め」、発音も綺麗。漢字が好き。夕方の「夕」が入っている。夢でなんで夕方なんだろう。漢字を見ていると、草原に夕日が、そしてすごく綺麗な、寝そべって一人で空を見ていて、だんだん暮れていく。寒くもなく暑くもなく、夢という字はそういう感じがする。それで夢が好きです。歌詞に夢という漢字が入るとファンタスティックでロマンチックな気持ちになる。
 「希望」と「夢」と「願い」はどう違うのだろうね。

 (夢というのはすごく大きなものに感じる。願いは夢より距離感が近いという感じがする。距離感は願い、希望、夢の順)

 
じゃあ、そうしましょう(爆)。いいんですよ、主観ですから。私は夢が一番近いと思う。夢がないと願いも出てこない。希望も出てこない。希望と言うのは活力なんですよ。夢はあこがれ。願いは現実なんですよ。夢がないと現実である願いが出てこない。そういった意味で私は夢が一番近いと思う。そう思うと夢を掴むというのはそんなに距離感がない。同じ言葉なんだけれど精神性が違うんですよね。
 
 だから歌詞を書くというのは、みんなとの共有財産のつもりで書くんですよ。伝わらなければどうしようもない。だからできるだけ分かりやすく、分かりやすいんだけれどもそこに深みのある、だったらどうなのかなあ?というquestionを投げかける、聞いている人も、自分だったらどうなのかなあ、確かにそういうこともあるなあ、という考える場を投げかけると入りやすい。

 


天使と悪魔の巻
 
・人間というのは、「天使らしくない天使」と「悪魔らしくない悪魔」が混じったもの。
 ・だから、すごく中途半端なもの。

 天使と悪魔の話を企画してみたい。宇宙人も出てくる。ストーリーは次のようなもの。
 ある島に、「悪魔になれなかった悪魔」と「天使になれなかった天使」が流れ着くんですよ。天と地から追放されて。そこでさびしく釣りなんかしているんですよ。そこにたまたま宇宙戦士が戦場から逃げて落ちてくる。それで「天使になれなかった天使」と「悪魔になれなかった悪魔」が看病する。回復した宇宙人は恩返しに「天使らしい天使」と「悪魔らしい悪魔」にしてあげるということで、マシンに乗せて「天使らしい天使」と「悪魔らしい悪魔」にするスイッチを押すと壊れてしまう。二人はドロドロの粘土になってしまう。宇宙人は自分の記憶をたよりにまた天使と悪魔を作ろうとする。それが男の子と女の子になったという話。人間というのは、「天使らしくない天使」と「悪魔らしくない悪魔」が混じったもの。だから、すごく中途半端なもの、というメッセージ(感嘆のどよめき)。
 で、作りあげた男の子も女の子も宇宙人の記憶がない。宇宙人は「君たちとは友達だったんだよ」と言っても、「知らない」と人間に言われたものだから、いまだに宇宙人は降りてこないんだよ、というメッセージ。 

 

 

ずばりTalk術の巻
 
・Talkの極意はない
 ・まず相手との距離感、そして何を話したいのかを決めておくこと。

 (ずばりTalk術とは)

 Talkの極意はない。落語家は話がうまいかというと、そうでもない。その人と何を話したいのか、何を伝えたいのかが明確であること、これが一番だと思う。その人に興味があるとか、自分をよく知っているとか、その人と自分はどれだけの距離なんだろうかとか、そういう測るセンスだと思う。これがTalkの極意だと思う。相手を見てすぐ分かるというのはなかなか難しい。まず距離感、そして何を話したいのかを決めておいたほうがよい。
 大事な話をする場合、必ず何を聞いて何を話したいのかを明確にする。これをしていないと口下手ということになる。明確でないと、引っ込み思案になるし、口下手になるし、自分がその人より低く思える。
 何を聞きたいかを前提に言葉を選んでおくこと。八方美人になるより、その人を好きになることだと思う。

 

 2000/12/2のNHK-TVで「小倉遊亀」特集をやっていた。100歳過ぎても現役だった日本画家の特集である。「死を含んだ生を淡々と生きた人でした」という主治医が回顧する場面があった。「梅の花、みんなサボらず一所懸命咲いている」という小倉遊亀の言葉とあいまって、深い言葉であった。少なくとも私は今ある生を死と結びつけて考えてはいない。死を考えた生き方はしていない。でも死は税金と一緒で紛れもない真実の一つ。
 この言葉を聞いて、なぜか石井竜也さんを思い出した。何故なんだろう。なぜ石井さんを思い出したのだろうか。多分、石井さんの言葉、哲学、人生の考え方の深さだろう。「天使の影(陰)」、あるいは「天使らしくない天使」と「悪魔らしくない悪魔」の話にあるように石井さんは決して人間というものを一方的に美化して考えてはいない。あるがままに人をとらえている。あるがままにとらえてエンターテナーしている。そこに共感できるのである。そして石井さんは常にbuild upしている。
 ありがとう、石井さん。おかげで目からうろこが三つくらいボタリと落ちました。なんかこれからの人生が変わるような気がします。

 

 

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