直線上に配置

 ニューヨーク1日観光で最初に立ち寄ったのは、セントラルパーク西側8番街、72丁目の交差点のところにあるダコタハウスだった。1884年に建てられたニューヨーク市内で最も古いこの高級アパートは、ビートルズの元メンバー、ジョン・レノンが住んでいたところとして有名だが、残念なことに、“ジョン・レノンが射殺された場所!” として有名になった感もある。(映画“ローズマリーの赤ちゃん”のアパートがここだというのは、けっこう有名らしい!) 

    

ジョン・レノンの聖地、ダコタハウス!ジョンが生きていたら、まだここに住んでいた
だろうか?そしてどんな歌を歌っていただろう?


 1980年12月8日 ビートルズ・ファンだったオレは、まだ東京に住んでいた。そしてその日は仕事が休みで新宿へ出かけていた。街角から流れてくる曲がビートルズの曲ばっかりで、最初は、「ビートルズの特集でもやっているのかな?」 くらいにしか思わなかった。しかし2時間近く経っても流れてくるのは、ビートルズの曲ばかり。「何か、おかしい!」 と胸騒ぎがしたそのとき、すれ違った見知らぬ男性グループの会話が聞こえてきた。「おい、ジョン・レノンが死んだらしいぞ!」 「本当かよ?」 「よく分からないけれど、ニューヨークで撃たれたらしい!」 最初は信じられなかったが、それが事実だと分かると急に身体中の力が抜けてきて、新宿コマ劇場の入り口の階段に座り込み、しばらく立てなかったのを覚えている。ダコタハウスに帰宅したジョンとヨーコに、狂信的なファン(いろいろ諸説はあるが)が近づいてきて、「レノンさんですね?」 と声をかけると同時に、38口径から5発の銃弾が火を噴いた。ジョンはすぐにルーズベルト病院に運ばれたが、すでに助かる見込みはなかったらしい。

    

1980年12月8日夜、ジョンはここで凶弾に倒れる!右の写真、
ジョン&ヨーコの30m後ろに、射殺現場となったこのゲートが!


    

     搬送されるジョンの遺体!         泣き崩れるオノ・ヨーコ!

    

ジョンの死を報じる当時の記事!ジョンの死は世界中に衝撃を与えた!

 我々の他にもたくさんの観光客がこのダコタハウスに来ていて、みんなここで記念写真を撮っている。中には感慨深げにゲートを眺めている外国人もいた。ガイドがこのダコタハウスからほど近い、セントラルパーク内にあるストロベリーフィールズ(イマジンの碑)に、連れて行ってくれた。ジョンを思って今までに、世界中から何十万人もの人たちが訪れたところだ。命日にはもちろん、普段でも花が絶えないという。この日も誰が置いたのか?数本の花が手向けられていた。最近知り合ったS君は熱狂的なジョンのファンだった。ジョンの死後10年くらいは、年12月になると有給休暇を取ってニューヨークへ。12月8日の命日を挟んで1週間〜10日間ほど、ギター片手にこのストロベリーフィールズで、他の外国人と一緒にジョンの歌を歌っていたというから驚きだ。

     
  
 ダコタハウスからほど近い、セントラルパーク内にあるストロベリーフィールズ
 (イマジンの碑)!この日も花が手向けられていた!


※ このページの写真の一部は、「日本一のビートルズ・グッズ・コレクター!」 
岡本 備氏のコレクションの一部をお借りしました!

ビートルズ博物図館のホームページ⇒
http://www.white-album.co.jp/よりお入りください!

   

伊豆高原にあるビートルズ博物図館!         岡本 備 さん!




トップ アイコントップページへもどる

直線上に配置