中書省    中国歴史コラム 

 第二回  言葉は同じなのに微妙に意味が違う?!
      〜中国の故事・成句と現代日本のことわざ(其の一)〜
 
 さて、第一回のコラムから大分間が開いてしまいましたが(^^;、この回から2,3回に渡って、中国の故事・成句を取り上げてみたいと思います。
 …しかしそれでは、内容が「太常寺(中国故事)」のコーナーと重複してしまいますよね(^^;。
 ですのでこのコラムでは、ちょっとひねった方向から攻めてみたいと思います。
 中国の故事・成句は、日本でも「ことわざ(俚諺)・慣用句」として一般に使われているものが多く存在します。
 しかしこれらの中には、元々の中国故事としての意味合いからかなり変化してしまった、若しくは間違った解釈がかなり広まってしまったものが結構あったりします。
 そこで今回は、これら「現在の日本で、元とは違った意味で使われてしまっている故事・成句」を、元の出典を交えて紹介していくことにしましょう。
 
 なお、紹介する各故事・成句には「変化度数」なるものを独断と偏見で付けてみました。
 (あくまで個人的な考え方ですので、ムキにならないで下さいね(^^;)

<変化度数:★☆☆>…… 言葉の意味は殆ど変わっていないが、
使われ方が微妙に違ってきているもの。
<変化度数:★★☆>…… 言葉のニュアンスとしてはそれほど変化していないが、
本質の部分の意味合いが変化してしまったもの。
<変化度数:★★★>…… 言葉のニュアンスも本質の意味も、出典とは全くと言って良い程
変化してしまったもの(多くは勘違いが広まってしまったもの)。

 
以心伝心 <変化度数:★★☆>
 
 この言葉の出典は『傳燈録』という、宋時代の僧侶、道彦が著した仏教書です。
 この書には、仏祖である釈迦如来からその死後、どのように仏教が伝えられてきたのかが記されており、また代々仏教の「燈」を受け継いできた者達の言葉が収録されています。
 さて、この書の中に、
 
 仏滅後、附法於迦葉、以心伝心
 (仏滅後(釈迦如来が亡くなる時)、仏教の法(真理)を高弟の迦葉に伝授したが、それは「以心伝心」で行われた)

 
 という文面が出てきており、この部分が出典な訳ですが、ここでの本来の意味は、
 「この様な教義の奥義、真理は言葉ではとうてい伝えることが出来ない。心から心へ伝え、その内容を伝授される側が心で悟らないといけないものである」という意味、つまり
 言葉では伝えられない微妙なものは、心を通わせて伝えるというものだったのです。
 
 それに対して、現在使われている「以心伝心」の意味はかなり軽くなっていて、
 「暗黙の了解」とか「わざわざ言わずとも言いたい事の内容が相手に通じる」といった様な
 「言葉で言っても伝えられるが、そこまでしなくても何となく言いたい事が分かる」という意味になっています。
 まあ、確かに似たような雰囲気はする使われ方ですが、本当の意味に於いては全く逆になってしまっている訳なんですね(^^;。
 

 
君子、豹変す <変化度数:★★★>
 
 続いてはこれなんですが、この言葉、現在の日本では良い意味で使われているのを見たことがありません(^^;。
 「誰々は良い人間だと思っていたのだが、何か大変なことがあると途端に嫌な態度をとるようになった」とか、
 「要領のいい奴は、普段は君子面しているが、都合の悪いことが起こると、コロッと態度や主義を変える事が多く、油断ならない」といった様に、大体がかなり悪い意味で使う事が多いんじゃないかと思います。
 
 しかし、本来の意味はこれとは全然と言っていいほど違います
 
 この言葉の出典は『易経』です。占いに凝っている人は、中国に「筮竹」という、細長い竹の棒50本を使って行う「易占い」が有るというのを知っているかも知れませんね。
 この「易」ですが、「」「」という、いわばコンピュータ世界の[0]と[1]に相当するものが六つ(一つ一つを「《こう》」と呼んでいます)集まって、一つの「」になります。そしてこの「卦」の組み合わせは2664種類存在します。
 (因みに、上記の半分の陰陽三つでも基本的な「卦」を構成していると言えます。この場合、その組み合わせは23種類存在します。時々聞く「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と言う言葉は、ここから来ている訳なんですね)
 
 さて、前置きが大分長くなりましたが、この『易経』には上述した「六十四卦」に関して、一つ一つの名前と意味が記されており、その中の「卦篇」に、六つの「爻」を一つずつ説明するくだりがあります。それによると、
 
 初九。鞏用黄牛之革。
 (初九は革新の始めで、まだ機が熟していないので、黄牛の革で身を固めなくては行けない《堅実な態度を取るべきと言う意味》)
 六二。已日乃革之、征吉无咎。
 (六二は既に革めるべき日に至っているので、思い切って事を断行すれば吉であり、咎めはない)
 九三。征凶。貞氏B革言三就、有孚。
 (九三は性急に事を運ぼうとすると、正しいことでも失敗する危険がある。しかし革むべきとの要望が三度出れば、断行しても孚[まこと]とされるであろう)
 九四。悔亡。有孚改命、吉。
 (九四は本来悔い有るべきだが、この状況ではその悔いも亡くなるであろう。孚[まこと]を持って改革を断行すれば、吉である)
 九五。大人虎変。未占有孚。
 (九五は大人[名君]の象で、例えれば虎が夏から秋にかけ毛を抜け替わらせて益々毛皮が美しくなる様に立派である。占わなくとも、孚[まこと]で有るのは明らかである)
 上六。君子豹変。小人革面。征凶。居貞吉。
 (上六は君子の象で、革命成就の時には例えれば豹の毛が秋になって更に鮮やかに変わる様に輝かしいものである。小人は、この革まったものに従うべきである。但し革命というものはやりすぎは良くないので、成果が出れば留まって享受するのが吉である)
 
 と言うように書かれています。
 (初爻、二爻、三爻、四爻、五爻、上爻の持つ意味や、「九(陽)」「六(陰)」の記し方等の詳しい説明に関しては、非常に長くなるので(^^;省略します)
 
 ですので本来は、君子が過失などを改める時には、豹の毛が秋になって更に鮮やかに変わる様に、明確な態度で臨まなくてはならないとか、君子が過失などを改める際には、現状の過ちを素直に認めて、未練なく正しい方向に進むべきであるという意味で使われていたものなのです。
 ……どうして現在使われているような意味に変わったのか、私にも分かりませんが、せっかくなのでこれ以降、間違った意味で使うのだけはやめた方が良いんじゃないかな…と密かに思っている今日この頃です(笑)。
 

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