1998年 普遍テーマ
『テレビジョン』
テレビの影響を免れるのは難しいことです。もしあなたが統計的平均値に合った人なら、あなたは20歳までに少なくとも2万時間テレビを見てきたことになるでしょう。20歳過ぎてからも10年生きるごとに1万時間ずつ増加することになります。アメリカ人がテレビを見ること以上に時間をかけていることといえば仕事と睡眠だけなのです。
これだけの時間のほんの一部でも利用すればどんなことができるか、ちょっと考えてごらんなさい。平均的な大学生が学士号を取るために費やす時間は5千時間だそうです。
1万時間もかければ、天文学者にも、あるいは技師にもなれるだけの十分な知識や技術
を身につけることもできたでしょう。また、数か国語を自由に話せるようにもなったでしょう。もし興味があれば、ホメロスをギリシア語の原文で、あるいはドストエフスキーを
ロシア語で読むこともできるでしょう。もし、そんなことに興味がなければ、世界中を旅して回って、旅行記を書くこともできたでしょう。
テレビで問題なのは、それが精神の集中を妨げる点です。人生の中でおもしろいこと、やってみる価値ある事は、ほとんど何でもある程度の建設的で一貫したたゆまぬ努力を必要とします。私たちのうちでどんなに頭の働きが鈍く、才能のない人でさえ、何事にも集中できない人には奇跡とも思えるようなことを成し遂げることができるのです。しかしテレビはわたしたちが何の努力もしないように仕向けるのです。つまり、即座に得られる手軽な満足をわたしたちに提供するのです。
テレビの多様性は刺激剤ではなく、麻酔剤になります。視聴者は終わりのないガイドつきの観光旅行にでかけたようなものです。つまり、博物館で30分、大聖堂で30分、それからバスに戻って次の見物場所へ、といった具合です。ただ特にテレビでは、割り当てられた時間が何分とか何秒という種類の長さで、車の衝突とか殺し合いがとりわけ喜ばれる
という点が違っているだけです。要するに、多くのテレビ番組が、人間の持つ才能のなかで最も大切な才能の一つ、つまりただ受け身的に注意力を放棄してしまうでなく、自分で
注意力を集中させる能力を台無しにしてしまうのです。
あなたの注意をとらえ―そしてそれを引き止めておくこと―それがほとんどのテレビ番組を制作するうえで最重要な目的であり、それが営利目的の多くの収益を上げる広告媒体
としてのテレビの役割を増大させるのです。番組製作者は、視聴者が誰であれ、視聴者に
飽きられることに絶えずびくびくしているのです。それを避ける最も確実な方法は、すべてを短くすることです。視聴者の注意を要求しすぎるのではなく、代わりに変化と目新しさとアクションと動きを使って絶えず刺激を提供することなのです。ごく簡単に言えば、テレビ注意力持続時間の短い人にうけるのです。