飛鳥堂新聞・号外への抗議


飛鳥氏の公式ホームぺージ「週刊飛鳥」に、「『飛鳥堂』事務局・発 号外 1999年6月8日」という記事が掲載されている(「飛鳥堂新聞」内)。それに対し、内容を紹介した上で反論と抗議をしたい。


まず、この記事の初めの方には、大真実裁判では飛鳥氏の主張が証明されるには至らなかったが、結果的に『飛鳥昭雄の大真実!?』は市場から消えていったと書かれている。

(反論)それについては、簡単に反論できる。『飛鳥昭雄の大真実!?』(文化創作出版、¥950+税)は、現在もなお、発売中である。売っている書店は限られているが、最寄りの書店で注文、あるいは文化創作出版のHPでの注文などにより、読みたい方は簡単に入手することができる。
売り切れてなお注文が多いようであれば、再版することになるだろう。



また、「仮処分」というものについて飛鳥氏側には誤解があるようなので、説明したい。
号外によると、文化創作出版側が“再版の意思が最初からなかった”と証言したので仮処分は免れたものの、その証言に縛られて再版ができず、市場から『大真実』が消えたのだという。

(反論)再版の意思がないと証言したというのは事実だが、別にその証言に縛られてはいない。
出版差止仮処分というのは、その時点で出版の意思があるかどうかが問われるものであり、なければ差し止める物もないので、それでおしまいなのである。
また、仮処分というのは、もしも出版差し止めの決定がなされたとしても、あくまでも結審に至るまでの間のつなぎにすぎない。判決により『大真実』に何ら違法性が認められなかった以上、文化創作出版には当然、いつでも好きなように再版をする権利がある。(ただ、それと再版するかどうかは別問題である。再版しても売れなければ仕方ないからだ)

裁判において、我々が「再版の予定はない」と言うと、飛鳥氏側は“それでは一筆書いて下さい”などと言ってきたが、もちろん我々はそんな非常識な要求は断っている。

我々は、裁判の敗者たる飛鳥氏に縛りつけられてなどいないのだ。



こうも言っている。飛鳥氏側は東京高裁への控訴も可能だったが、裁判結果に『大真実』が古関の自作(?)であることが名文化(明文化?)され、誹謗行為も一部が認められたため、その必要はないと判断した‥‥そうだ。

(反論)はっきり言わせてもらえば、あれだけ完全に飛鳥氏の主張が判決で否定された以上、それを覆すのは難しいだろう。‥‥と言うより、この国の法律とそれに対する確立された法解釈のもとでは、不可能に近いと言ってもいい。
第二審というのは第一審よりも冷徹なものなので、おそらく二、三回の口頭弁論で斥けられるのがオチだろう。

また、判決で「誹謗行為」が一部認められたというが、事実の歪曲もはなはだしい。
おそらく、判決文書のこの一文をもって、飛鳥氏側はそういう主張をしているのではないか?

「(原告主張の誹謗中傷箇所について)これにより原告がいささか内心の静穏を害されその名誉及び名誉感情を侵害されたと感じることも有り得るところである」

だが、続きはこうなっている。

「しかし、右の箇所は被告古関が原告の仮説を検証した結果に基づいて、被告古関の原告ないし原告の仮説に対する評価、意見を示したもので、事実を摘示するものではないから、原告の社会的評価としての名誉を低下させて侵害するものでないことは明らかである」

また、著作者人格権侵害の主張について、こう述べられている。

「(同誹謗中傷箇所について)原告から見ると人格を嘲笑されたと受け止めたとしてもやむを得ないところではある」

しかし、著作者人格権とは、簡単に言えば歪められた引用を禁じる規定なので、主張が元々ズレているため斥けられている。
(“原告主張の誹謗中傷箇所”とは、例えば「恩知らず」(『大真実』P61)といったものである。ちなみにこうしたものが37箇所挙げられている)

他の部分では、こうある。

「(原告は、本件書籍の意図は)原告を誹謗中傷する個人攻撃とにある旨主張するが、本件全証拠によってもこれを認めるに足りない

無論、“捏造行為”、“著作権侵害”についても、何の問題もないことが判決によって証明されている。
これだけはっきりした判決が出ているにも関わらず、原告側‥‥もとい飛鳥氏側は判決で誹謗行為が認められたとか、『大真実』を誹謗中傷本だとか言っているが、これこそ誹謗中傷であり、名誉毀損である。
(他にも、古関は自分の行った“誹謗行為”、“捏造行為”により云々と書かれている)
ネットとはいえ、公の場でこのような風説を流布するのは許されない事である。

名誉毀損適用の例外は、下記の三つである。
  1. 公共の利害に関すること
  2. 公益をはかる目的でなされたこと
  3. 摘示された事実(具体的な指摘)が真実であるか、真実であると誤信した充分な理由があること
1はいいとして、2からして怪しい。そして、3ともなると飛鳥堂新聞の記述は明らかに真実ではなく、また、飛鳥氏にはそれを誤信して真実と思い込むような充分な理由が認められ得る余地はない。

一体、あの号外は誰が書いたのだろうか?

飛鳥堂(飛鳥氏のプロダクション名)事務局・発とあるが、もし、飛鳥氏からの歪曲された情報により誤信してしまった飛鳥堂の誰かが書いたものだとしても、この反論により事実はどうだったかは理解できたはずである。
(どちらにせよ、飛鳥堂の名で発表された以上、責任は飛鳥氏にあるが)

号外の作者、週刊飛鳥管理者、そして飛鳥堂に通告したい。

即刻、号外の筆者を明らかにすると共に、事実を認めた上で謝罪していただきたい。

念のため、この抗議文を週刊飛鳥にメールとして送るものとする。



それでは、残りの箇所について手短にコメントしたい。
古関の印税収入は裁判で消え失せたが、飛鳥氏は裁判費用が節税対策になった云々‥‥古関は心の赴くまま好き勝手をやったために、約一年間、東京から茨城まで裁判所通いをする羽目になった、という。

(反論)負け惜しみにしても情けない。



(上記の記述を受けて)次は、古関の“学説”に対して、飛鳥氏側が反証本に協力するだけである。これは、第三者を通して至急に製作されるだろう。

(反論)まるで、あの裁判の目的が僕への復讐と、節税対策にあったかのような弁である。公共の福祉のために存在する、厳正かつ公正たる裁判への冒涜と受け止められ得る。

しかし、なぜ飛鳥氏は自分で反論本を書かず、第三者の手を借りるのだろうか?
僕は、自分一人の力であの本を書いた。
飛鳥氏はそれに対し、自分一人では反論さえできないのだろうか?

自分の説に対する批判に対し、自分で応えられなくてどうするというのか?

上記の弁では、まだ反論本は製作に入っていないように受け取れる。
今からでも遅くないから、自分一人の力で反論本を書いてみてほしい。
第三者に助けを求めるのは、その反論が失敗した後でもいいだろう。

それから、その反論本では、飛鳥堂・発として発表されたこの号外のような、事実を歪めた記述をしないよう、この場を借りてお願いしたい。

────以上。





※この反論・抗議文は、私古関智也の独断により、個人的に作成・発表されたものです。





COMMENT

以上は1999年6月15日に掲載された物を、そのまま再掲載した物である。この抗議に対して週刊飛鳥管理者は号外の削除という形で応じたが、残念ながらこの抗議を無視した形で『飛鳥昭雄 ロマン・サイエンスの世界』(雷韻出版)が発行され、上述の号外も、ほぼそのままの内容で収録されてしまった。(同P166〜168)

この抗議文では号外を誰が書いたのか問い詰めているが、飛鳥氏の著書に記載された以上、飛鳥氏自身が書いたものという事になる。

なお、『大真実』への反論本を書く予定だった「第三者」(科学ルポ専門のフリー作家とのこと)は、早々に企画を降りたそうだ。結果的には、この抗議文で“自分で書け”と書いた通りになった事になる。


なお、飛鳥堂新聞・号外本文については、飛鳥情報総合掲示板の過去ログ1、記事番号[4] 「飛鳥堂新聞号外削除について」を参照していただきたい。

また、雑記録の「号外、取り下げられる!」という記事も、この件について伝えている。




Update/1999.12.27

追加・イヤガラセのススメ

『ロマン・サイエンスの世界』の愚痴話について反論することは、ほとんど無意味でしょう。上告すれば勝てたとかは、すでに結審して確定しているので、今更言っても仕方ない愚痴話です。まあ、未だに仮処分の再版可能性が云々とか言ってる所を見ると、もし上告してても結果は同じだったでしょう。

『大真実』に86もの誹謗箇所があるとか、判決で被告側の創作部分が明文化(おおっ、直ってる)されたとか、誹謗行為が一部認められたとかについては、上記の反論を参照してください。それから、やるとは思いましたが、判決文の一部を引用して判決を歪めるというのも、本当にやっています。判決文は全文公開してるんだから、そんな事をしても調べれば一発でわかるのに...

「被告◯◯が原告の著作物を読んでその内容から推論した結果を記載したものである。」というのが、被告側の創作部分が明文化されていると主張している箇所ですが、実はこの文章はここで切れているわけではありません。前後を含めると、こう書いています。

「他の年表記載事項も一般読者が通常の注意を払って本件書籍の他の部分と併せ読めぱ、右年表は、原告の著作物には右予言事項が起こる年月日が特定して記載されているわけではないが、被告古関が原告の著作物を読んでその内容から推論した結果を記載したものであることが理解でき記載がされている。」>参照

と、当たり前のことを書いているに過ぎません。ところが飛鳥氏は「記載したものである」で区切って丸(。)までつけています。‥‥これを歪曲と言わず何と言いましょうか。実際は、年表について、僕が飛鳥氏が予言をしたと捏造行為を働いたという飛鳥氏の主張に対し、それは飛鳥本から推定しただけで、本にもそう断っているというこちらの反論が認められている部分なのです。

それから、なんと「原告から見ると人格を嘲笑されたと受け止めたとしてもやむを得ないところではある」という部分が誹謗行為が認められた箇所として引用されています。すでにで反論済みなのに。>参照

ちなみに、飛鳥氏が悔しがるかもしれないから書いてしまいますが、弁護士費用は全て出版社が出してくれました。それも含めて、出版社に多大な迷惑をかけてしまったことが、ネットで一年半も飛鳥批判をした大きな理由なのです……

飛鳥氏はこう書いてます。

「(原告側の訴えを証明するまでには至らなかったが)しかし、一方では、法律では裁けない個人のモラルや、言葉の暴力に対する被害者側の最低限の反撃方法も示唆できたはずだ。
つまり、裁判を起こされた被告側は、出版社との折半で裁判費用を分担せねばならない。そのため、本で得られるはずの印税収入は、すべて「発売等差止仮処分」や「発売禁止等請求事件」の2件における弁護士事務所への支払いで消え失せてしまうのである。
それに対し、今回の原告側でいえば、裁判費用をすべて必要経費で落とすことができる。つまり、結果的に税金対策になるのである」(P167)

これは、裁判の結果や適法かどうかは度外視して、法の濫用でイヤガラセをしたと自分で言っているという事です。普通、言論人なら、いや言論人でなくとも、恥ずかしくて言えない事です。批判されたら訴訟を起こして、弁護士費用で印税が消えただの、節税対策になっただの、片田舎に通わせただの(自分の住んでる所でしょうに)、言う事があさましいです。怨念すら感じます。
しかも、平然とそれを人に勧めるとは、何を考えてるんでしょうか?
こんな人間に社会常識を云々する資格はありません。

山本弘氏は『トンデモ大予言の後始末』で、この箇所についてこう書いています。

「あなたはこの文章を読んでどう思われるだろうか。俺を批判する奴には経済的打撃を与えてやるぞ、こっちは必要経費で落とせるからフトコロは痛まないぞ、と自慢しているのである。
金持ちが金にものを言わせ、自分の気に入らない人間を経済的に痛めつける……これは普通、世間では『弱い者いじめ』と呼ぶはずだ」(P68。どーせ弱い者ですう(;_;)シクシク

批判されれば、言論で返せば済むことです。ところが、飛鳥氏のやった事はどうでしょうか? “それをどう受けとめるかは自由だ”というのは、(ただし、訴えます)というのが行間に込められているのでしょうか。

カルト宗教の批判者に対する常套手段は、訴えるぞと脅したり、実際に訴訟を起こして黙らせるというものですが、飛鳥氏の主張、行動はそれと同じです。一般社会は、そういう行動を取る人間を卑怯者としか見ません。



飛鳥氏は卑怯だ。
そして男らしくない。




――法律論や言論の自由云々以前に、僕が飛鳥氏に憤りを感じたのは、
はっきり言ってそういうことです。






Update 2000.12.26


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