大真実裁判の実態
<失笑編>


凡例 ・引用文内の強調は、特にことわっていない限り、筆者が付けたものです。
    ・原文に誤字のある場合、「ママ」(そのまま)とことわっています。

感嘆符の真義
『大真実』は謎本だ!!
オレはサイエンス・エンターテイナー

 
感嘆符の真義

この裁判についてはその概略と結果をお伝えしてきた。しかし、実はこの裁判の本質は、原告側の提出した失笑ものの文書の数々にこそある。僕などは、それらの文書を読んでいて、実際に頭が痛くなってきたほどである。判決文を紹介しただけでは、片手落ちというものだ。
(さあみなさん、
バ●ァリンの準備はいいですか?)

例えば「準備書面(一)」では、タイトルが『飛鳥説の大真実』ではなく『飛鳥昭雄の大真実』となっているのは、原告の人格に対する嘲笑を如実に物語っているとした上で、こう書いている。

「さらに被告らは、本件書籍の表紙において、原告の名前を火炎で包んだ上に稲妻で切り裂いているが、このこともまた、原告の人格を抹殺してしまおうという被告らの意図を表現したものである」(P10)

法廷で徳川家康みたいな事を言うなーーっ!!(苦笑)
大体、『飛鳥説の大真実』ではインパクトに欠けるというものだ。
しかし、表紙についてはさらに、「甲第二〇号証」がある。この証拠書類によると、『大真実』が研究書ではなくただの誹謗中傷本であることは、表紙の段階で露呈されているという(なぜこんなものが“証拠”なのかわからないが)。

「それは、表紙の『飛鳥昭雄の大真実』の末尾に、「!?」が付いている事で明らかで、事実、表紙の本当の表題は『飛鳥昭雄の大真実!?』です」

事実も何も、元々そういう題の本なんですが‥‥(困)
なぜ「!?」で明らかかというと、出版界では肯定を「!」で示し、疑問を「?」で示すが、「感嘆符と疑問符の組み合わせ(!?)」となると、その内容に肯定の自信が無く、半分いい加減な内容であることを示しているのだそうだ(わけわからん‥‥)。

「 よって、そんないい加減なスタンスの本は、出版界ではまともな「研究書」としては取り扱いません。
 まして、「!?」が飛鳥昭雄に付いているのではなく、本全体のタイトルの末尾にある以上、本全体がいい加減であることを示しています」

「!?」一つで本全体がいい加減だと言われたんじゃたまったものではない。
『飛鳥昭雄!? の大真実』というタイトルにすれば良かったのだろうか。
まるで、昔ワンダーライフに掲載された、感嘆符の真義(※)並のわけのわからなさである。ここら辺はうまくお伝えできたか定かではないので、ご自分で飛鳥氏の真意を探っていただきたい。(参照・甲第二〇号証

※ 読者から感嘆符の多用をたしなめられたワンダラ編集者が書いた、感嘆符と神国思想、神秘思想を結びつけた‥‥ような、ワンダラ史上に残る意味不明記事



『大真実』は謎本だ!!

以前にも書いたように、原告はなぜか出典も明記されている引用個所を著作権侵害だと主張したが、その理由はどうも、『大真実』を謎本(『磯野家の謎』のような本)だと思っているかららしい。謎本なのに出典を詳細にことわらないのは著作権侵害だというのだ。
そして、飛鳥氏はこう主張する。

「この本の最大の違法行為の一つは、もしも本当に解説本なら、絶対に必要な”引用箇所(本の名前・ページ・行数・コマの位置)”が一切記載されていないことです」(陳述書より)

ちょっと待てい!! 謎本でも行とかコマの位置まで書いてないぞ!!
ともかく、これで飛鳥氏の言う著作権侵害の根拠をおわかりいただけただろう。書名を挙げただけでは謎本として不充分だというのだ(トホホ‥‥)。
さらに、飛鳥氏はこう主張する。

「特に私の作品は、漫画本のみならず新書本をも含め、内容が別々に多々に渡り記載されていることが多く、もし本当に『飛鳥昭雄の大真実』が解説本なら、場合によっては1行に複数以上の出展データ(ママ)を同時に記さねばならなくなります」

それは無茶というものである。飛鳥本で同じ事が書かれている本をことわっていたら、それだけで紙面が埋まってしまうだろう。例えばヤハウェなんて、飛鳥本の大半で触れられている。
まあ、同じ内容の本を恥ずかしげもなく量産する飛鳥氏ならではの主張かもしれない。
しかし、出典明示というのはその文章を引用した元の著作物をことわればいいだけであり、同内容の本までことわる義務はないのである。

大体、こちらとしては『大真実』を謎本として出版したつもりはない。原告は「準備書面(一)」で、文化創作出版は秘密本も出版していて『大真実』もそれと同じ「MY BOOKシリーズ」から出されたと書いているが、それらの秘密本は『大真実』などのシリーズとは全く違うデザインで出版されており、それは一見して明らかなはずである(「MY BOOKシリーズ」とは文化創作出版で出している書籍全般の名称で、いわゆる教養本、健康法本、エッセイ等もこのシリーズ名がつけられている)。

それに、そもそも謎本においても詳細な出典の記載は著作権法で義務付けられているわけではなく、出版界の慣習と読者の便宜のためである。謎本なのに出典が詳細ではないから著作権侵害だという原告の主張は、前提において間違っており、法的にも失当と言える。

‥‥それにしても、謎本というのはマンガやアニメなどのフィクション作品に対する本なのに、飛鳥説を扱った本に対して、よく謎本だなんて自ら言えるものである。
『大真実』が『磯野家の謎』なら、飛鳥説はさしずめ『サザエさん』だろう。

他にも、引用箇所への言いがかりに、引用文と僕の書いた部分との区別が不明確だというものがある。「準備書面(三)」によると、マンガのセリフを引用の場合、「被告の著作の中の会話との区別がつかず、不明確になっている」という。
一体、『大真実』のどこに、小説のような会話があるというのだろうか!?
「(マンガのセリフを)一般の文章の文章の中で引用されるときには「」の中に入れて記される」というが、そうしてツッコミを入れた箇所のほとんどが、二重カッコ(『』)を使っていたりチョンチョンカッコ(“”)だったり、文中での引用だったりするのだからわけがわからない。

原告は出典が記されていないとか被告の創作部分との区別が不明確だとか言い張ったが、何だかムリヤリこじつけているだけという気がする。





オレはサイエンス・エンターテイナー

この裁判で、飛鳥氏はしつこいぐらいに自分がサイエンス・エンターテイナーだという事を強調した。仮処分の審尋においては、裁判官に名刺を受け取らせようとして断られるという、後で考えると爆笑ものの一幕もあった。
そんなことをしなくとも、甲第六号証はサイエンス・エンターテイナーと書かれた名刺のコピーなのだが(笑)。
(端で聞いていると、自分の弁護士に角川の『THE UNSOLVED』を示して、私は小説家なんですよと説明していた。ちなみに、甲第六号証の作成年は1998年だという。ただし、原告の「名誉」のため、1993年に同様の名刺を受け取った事があると付け加えておきたい。本当にどうでもいいが)

僕としては、「それなら、飛鳥説というのはフィクションのつもりで発表しているんですか?」と聞きたいところだったが、残念ながらこちらの弁護士に止められてしまった(涙)。しかし聞くまでもなく、飛鳥氏のその作品に対する姿勢というものが、裁判が進むにつれて明らかになるのである。一体なぜ、原告はそこまでエンターテイナーという事を強調したのか?
それは、このような主張からである。

「そもそも被告古関は、科学的に原告の説を検証すると称しているが、その対象となっているものは科学的な説ではなく、エンターテインメントであり、完全に土俵違いの言論の展開を行っている」(準備書面(三)より)

土俵違い? 最初に違う土俵に頭を突っ込んだのは飛鳥氏の方ではないか。それにしても、自分で科学的でないと認めてどうする(笑)。飛鳥説というのは、“最先端科学で判明した事実の報告”ではなかったのか?

しかし、原告は自分の説が普通の人間から見ればまずあり得ないものだとして、こう述べる。

「原告は、そのような「まずあり得ないこと」について、それがあり得る可能性が0%でないことに着目して(科学では、「ある事象が存在する」という命題を完全に否定することは非常に困難なことが多い。常識的には起こり得ないことも、非常に低い確率をも考慮に入れると、起こることが考えうる〔例えば、カニの卵から突然変異でヒトが生まれてくること〕からである)、科学的な手法を用いて、「あり得る」ことを述べ、以て固定観念に縛られた現代人に対して夢とロマンを提供しているのである」準備書面(三)より)

つまり、飛鳥説があり得る可能性というのは非常に低い(カニの卵からヒトが生まれる確率(笑))ということを、自ら認めているのである。原告の言う「エンターテイメント」とは、このような意味である。
ちなみに、原告の作品の中で表紙、帯、自己紹介の中で「サイエンス・エンターテイナー」とことわられているものは皆、この「エンターテイメント」で構成されているそうなので、読者の皆様方に置きましては誤解のないように(笑)。(参照:甲第一四号証

このように見ていくと、『大真実』で「あらぬ誤解を避けるため、サイエンス・エンターテイナーという肩書を返上してはいかがだろうか?」(P17)と書いたことは何ら行き過ぎだとは思えないし、むしろ飛鳥氏のためになる提案だと言える(原告は「職業への不法な介入」だと怒りを顕わにしたが)。
‥‥この際、ホントに返上した方がいいんじゃないの?

しかし、このような提案は、「エンターテインメントの権利」なる新人権に抵触するらしい。おそらく、この人権については聞いたことのない方が多いだろう。それもそのはずで、この新人権は原告が新しく創ったものなのだ(爆)。この意味不明な権利について我々が釈明を求めると、こういう答えが返ってきた。

「エンターテナーとしての人格権ともいうべき、「エンターテインメント」に対する権利とは、言い換えれば、エンターテナーが持つ、自己固有のエンターテインメントの流儀・味わいを不当に侵害されない権利である」(準備書面(一)より)

そう、エンターテイナーを批判することは許されないのだ!
(法的に)。
してみると、エンターテイナーというのは最強の職業である。
例えば、評論家が小説家や芸能人を批判しようものなら、「流儀・味わいの侵害だ!」と訴えられるだろう。いや、評論家を初め、誰も彼もがエンターテイナーを名乗るに違いない。僕も、飛鳥昭雄解明エンターテイナーを名乗れば良かったかもしれない(笑)。
しかし、こうした「新しい人権」が認められるためには、万人に通用する普遍性というものが必要らしい。そういうわけで、真に喜ばしいことに、「プライバシーの権利」、「知る権利」などと並んで「エンターテイメントの権利」が認められることはなさそうである。

それにしても、僕が批判したのは飛鳥説のハッタリやパクリ、終末論やモルモン教義の流布などである。それがサイエンス・エンターテイナーの流儀・味わいだとしたら、批判されても仕方ないのではないだろうか。飛鳥氏は自分の目的について“読者に夢とロマンを与えること”だとしているが、僕などは思わず、ある歌の一節を思い浮かべてしまうのである。

♪吐き気がするほど〜ロマンチックだぜぇ〜〜オ・マ・エ・は!
(スターリン「ロマンチスト」より)


‥‥知らない人が多いかも。(^_^;









Update/1999.7.22
Renewal/1999.7.29, 2000.3.2

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