大真実裁判 判決
 (後半・当裁判所の判断)




平成一〇年(ワ)第一五五号発売禁止等請求事件

判決言渡



第一  原告の請求

第二  事案の概要






第三 当裁判所の判断



一   前提事実に証拠(甲第三号証、乙第一号証)及び
    弁論の全趣旨を併せると次の事実が認められる。


  1.  原告は、「飛鳥昭雄」ないし「あすかあきお」というペンネームを用い、 自らサイエンスエンターテナーと称して、科学的なアプローチにより科学的 に未解明の様々な分野について仮説を提唱し、人々の心の中のロマンに訴えかけることを目的とするとして著作などを行っている者であり、右目的に係る著作物であるとする原告の著作物について著作権を有する者である。

     なお、原告は、末日聖徒イエス・キリスト教会の信者であり、その信仰する宗教の教義においてはイエスの再降臨の日は隠されているということになっている。


  2.  被告古関は、「飛鳥昭雄解明研究家」を標傍して、原告がその著作物において提唱する仮説を科学的論理的に検証し批評するものとして本件書籍を執筆した者であり、被告会社は、本件書籍を平成一○年(一九九八年)五月ころから発行及び販売を始めた。

     本件書籍は、新書判で本文二一六頁(目次を含む。)、あとがき三頁、参考文献六頁の合計二二五頁から成っている。本文の構成及び内容は五章に分けられ、更に各章が六ないし一二の項目に分けられて、各章項において原告の著作物に述べられた原告の仮説を一つ一つ取り上げて被告古関が次の参考文献欄前半の参考文献等を検討した結果現在の科学的知見と考える観点に基づき論理的と考えるところから検証し批評している。

     参考文献欄六頁のうち前半三頁(本件書籍二三〇頁から二二二頁まで)には〔参考文献〕の表題のもとに原告以外の著者による四七の書籍が表題、著者名、出版社名、発行年 等の全部ないし一部を記載して列挙され、後半三頁(本件書籍二二三頁から二二五頁まで)には《参考文献・飛鳥昭雄作品リスト》の表題のもとに四七の書籍が表題、出版社名、発行年を記載して列挙されている。


  3.  (一)  本件書籍には原告の仮説を科学的論理的に検証ないし批評する目的から 原告の著作部分と一致する部分(別紙一覧表1記載の箇所)や原告の著作部分の内容を引用して紹介する部分(別紙一覧表2記載の箇所)である被告古関の引用部分があるが、被告古関の引用部分は別紙一覧表1記載の箇所については当該引用部分の末尾に原告の著作物名を特定して掲記するか、 かぎ括弧で囲んで引用されており、また、別紙一覧表2記載の箇所については被告古関の検証ないし批評の前提して読者が通常原告の仮説の内答で あることが理解できるような表現で引用紹介しており、右一部を除き当該引用部分の末尾等に原告の著作物名及ぴ該当箇所を引用の都度逐一指摘して掲記していないが、2のとおり巻末の参考文献欄後半三頁には《参考文 献・飛鳥昭雄作品リスト》が記載されている。

     なお、目本文芸家協会作成 の「引用の仕方について」(1978年)によれば、出所明示は単行本の場合、やむを得ない場合には、巻末でも可としている。


    (二)  本件書籍二一二、二一三頁には《飛烏昭雄の大予言年表》の表題のもとに、年月日(又は年、年月)を上欄に、事項を下欄に記載して、飛鳥昭雄が二○二六年五月一○日に木星から第一三番惑星が生まれるとか、二○二六年五月一〇日にイエス・キリストが再臨するとか、特定の年月日に特定の事項が生じるとの予言をしているとの内容の年表を掲載していろところ、 木星から第一三番惑星が生まれる日については本件書籍二○四頁に「その日時は隠されているというが、ノストラダムスの飛鳥流解釈から推論する事ができる。それは二○二六年五月十日である。」と、イエス・キリストが再臨する日については本件書籍二○七頁に「飛鳥氏は止められているようなので、筆者が代わりに答えよう。」と記載されているほか、他の年表記載事項も一般読者が通常の注意を払って本件書籍の他の部分と併せ読めぱ、右年表は、原告の著作物には右予言事項が起こる年月日が特定して記載されているわけではないが、被告古関が原告の著作物を読んでその内容から推論した結果を記載したものであることが理解でき記載がされている。


    (三)  本件書籍には原告の仮説を検証ないし批評する内容の本文に挿入して原告の図絵を紹介するものとして被告古関の図絵を一頁全面(本件書籍四三 頁)に掲載しているところ、その上欄には〔飛鳥氏による地球の構造〕と、下欄には「『地球大壊滅の恐怖!!』(講談社刊)より」と記載され、被告古関の図絵が原告の著作物である右著作からの出典であることを明記している。


  4.  本件書籍には「飛鳥氏の信用も一九九八年八月までとなってしまった」 (五頁)、「サイエンス・エンターテイナーという肩書きを返上してはいかがだろうか?」(一七頁)、「恩知らず」(六一頁)のほか、別紙「原告主張の誹誇中傷、愚弄ないし侮辱する記述箇所」の記載がある。




二   争点1(著作権侵害の有無)について


  1.  著作権法三二条一項は「公表された著作物は、引用して、利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、 かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。」と定めているところ、ここでいう引用とは、報道、批評、研究その他の目的で自己の著作物中に他人の著作物の原則として一部を採録することをいうと解するのが相当であるから、右引用に当たるというためには、引用を含む著作物の表現形式上、引用して利用する側の著作物と、 引用されて利用される側の著作物とを明瞭に区別して識別することができ、 かつ、右両著作物の間に前者が主、後者が従の関係があると認められる場合でなければならないというべきである(最高裁昭和五一年(オ)第九二三号同昭 和五五年三月二八日第三小法廷判決・民集三四巻三号二四四頁参照)。

     また、同法四八条の規定によれば、著作物を引用して利用する場合には、その著作物の出所を、その複製又は利用の態様に応じて合理的と認められる方法及び程度により明示しなければならない。


  2.  これを本件についてみると、次のとおりである。

    (一)  一3認定の事実によれば、本件書籍は原告の仮説を科学的論理的に検証 ないし批評する目的のものであるから、原告の著作部分を引用する必要がある上、現に引用しているが、被告古関の引用部分は当該引用部分の末尾に原告の著作物名を特定して掲記するか、かぎ括弧で囲んで引用するか、 あるいは読者が通常原告の仮説の内容であることが理解できるような表現で引用紹介しているから、引用を含む著作物の表現形式上、引用して利用する側の著作物である被告古関の創作部分と、引用されて利用される側の著作物である原告の著作部分とを明瞭に区別して識別することができ、かつ、右両著作物の間に前者が主、後者が従の関係があると認められる。

     また、本件書籍においては右一部を除き当該引用部分の末尾等に原告の著作物名及ぴ該当箇所を引用の都度逐一指摘して掲記していないけれども、本文の構成及び内容を五章に分け、更に各章を六ないし一二の項目に分けて、各章項において原告の著作物に述べられた原告の仮説を一つ一つ取り上げていること、巻末の参考文献欄六頁のうち末尾三頁には《参考文献・飛烏 昭雄作品リスト》の表題のもとに四七の書籍が表題、出版社名、発行年を記載して列挙していることを併せると、被告古関の引用部分がどの原告の著作物のどの箇所に該当するのかは容易に特定することが可能といえる (実際に原告は本訴において逐一特定して主張している。)し、このことに日本文芸家協会においては出所明示は単行本の場合やむを得ない場合には巻末でも可としていて現にそのような単行本が多数出版されているという公知の事実をも考慮すると、著作物を引用して利用する場合におけるその著作物の出所を、その利用の態様に応じて合理的と認められる方法及ぴ程度により明示しているといえる。

     なお、原告は、本件書籍が検証の対象とした原告の著作物の仮説は、原告が人々の心の中のロマンに訴えかけることを目的として科学的なアプローチにより科学的に未解明の様々な分野について提唱した仮説であって、 このような仮説を科学的に検証することや検証の名のもとに推測を述べることは無意味であるとか、許されないとか主張するもののようであるが、 憲法が二一条において言論、出版その他一切の表現の自由を、二二条一項 において職業選択の自由を保障していることなどに照らすと、他者の言論、 営業その他の社会的活動も尊重されるべきであって、これをみだりに制限すべきではないから、原告の目的いかんにかかわらずその公表した右のような仮説が他人によってその科学的知見と考える観点に基づき論理的と考えるところから検証し批評されたり推測を述べられることは甘受しなければならないというべきであり、原告の主張は採用できない。

     さらに、原告は、本件書籍の意図は、原告の著作物の売れ行きと名声の上に立っての安易な利潤の追求と、原告を誹誇中傷する個人攻撃とにある旨主張するが、 本件全証拠によってもこれを認めるに足りない。


    (二)  被告古関の図絵と原告の図絵とを対比すると、地球の内部構造を示した図の部分はほぼ同一のものであるから、披告古関の図絵は原告の図絵を引用するものといえるが、前記認定説示のとおり、本件書籍は原告の仮説を 科学的論理的に検証ないし批評する目的のものであるから、原告の著作部分を引用する必要がある上、被告古関の図絵には出典である原告の著作物名が明記しているのであるから、著作物を引用して利用する場合におけるその著作物の出所を、その利用の態様に応じて合理的と認められる方法及ぴ程度により明示しているといえ、また、被告古関の図絵は原告のマンガ作品の一頁まるごとをそのまま複写したことは原告の主張するとおりであるが、本件書籍の主たる部分は原告の仮説を科学的論理的に検証ないし批評する目的のもとに創作して著述した被告古関の検証ないし批評部分にあるのであるから、原告の図絵は右目的のために引用した従たる部分にすぎないことが明らかであるといえる。


  3.  そうすると、原告の著作権侵害の主張は理由がない。



三   争点2(著作権人格権侵害の有無)について


  1.  原告は、被告古関の図絵は原告の図絵を複写して改変を加えている旨主張するところ、両者を対比すると、確かに被告古関の図絵は原告の図絵にある 「コールド・プリューム」「ホット・プリューム」と書いた文言を入れた四角形から出ている三角形を構成する直線を消して、代わりに消した部分の一部に、消した部分の両側の図と繋げるように点線を書き加えていること、 「大陸」と示された部分のアウトラインを原告の図絵の上に描画したことにおいて異なるものである。

     しかし、そもそも著作権は創作的表現についてのみ発生するものであるところ、原告の図絵は、地球の内部構造を示した図の部分にのみ創作性が認められるが、吹き出しにより「コールド・プリューム」「ホット・プリューム」としてその各部の名称を示した部分は原告の創 作的表現は認められないから、原告には地球の内部構造を示した図の部分に著作権が認められるにすぎない。

     そして、被告古関の図絵は、原告の図絵の地球の内部構造を示した部分については何らの加工をしていないといえるから、原告の同一性保持権としての著作者人格権(著作権法二○条)を侵害しているとはいえない。

     
  2.  原告は、本件書籍は原告の人格に対する嘲笑を含む旨主張する。確かに、本件書籍には「飛鳥氏の信用も一九九八年八月までとなってしまった」(五頁)、「サイエンス・エンターテイナーという肩書きを返上してはいかがだろうか?」(一七頁)、「恩知らず」(六一頁)のほか、別紙「原告主張の誹誇中傷、愚弄ないし侮辱する記述箇所」があり、原告からみると人格を嘲笑されたと受け止めたとしてもやむを得ないところではある。

     しかし、著作権法一一三条三項の規定は、著作者の名誉又は声望を害する方法により引用 される側の著作物の著作者人格権を侵害する態様でする引用が許されないことを定めるものであり(前掲最高裁昭和五五年三月二八日第三小法廷判決参照)、これに対し右の箇所は被告古関が原告の仮説を検証した結果に基づいて原告ないし原告の仮説に対し批評的意見を述べたものであって原告の著作物を引用しているものとはいえないから、原告の著作者人格権(著作権法一一三条三項)を侵害するものとは認められない。


  3.  原告は、原告がその著作物において特定したことのない特定の事象の発生するであろう日時を特定した旨主張する。

     しかし、一3(二)に認定したとおり、被告古関は原告主張の特定をしているところ、これは原告の著作物において発表された原告の仮説に基づいて被告古関が推論した結果を記載したものであり、二2(一)説示のとおり、他者の言論、営業その他の社会的活動も尊重さ れるべきであって、これをみだりに制限すべきではないから、原告の目的いかんにかかわらずその公表した右のような仮説が他人によってその科学的知見と考える観点に基づき論理的と考えるところから検証し批評されるたり推測を述べられることも甘受しなければならないというべきであり、原告の主張は採用できない。


  4.  そうすると、原告の著作者人格権侵害の主張は理由がない。



四   争点3(名誉毀損、名誉感情侵害の有無)について


  本件書籍には「飛鳥氏の信用も一九九八年八月までとなってしまった」(五 頁)、「サイエンス・エンターテイナーという肩書きを返上してはいかがだろうか?」(一七頁)、「恩知らず」(六一頁)のほか、別紙「原告主張の誹誘中傷、愚弄ないし侮辱する記述箇所」があるところ、これにより原告がいささか内心の静穏を害されその名誉及び名誉感情を侵害されたと感じることも有り得るところである。

 しかし、右の箇所は被告古関が原告の仮説を検証した結果に基づいて、被告古関の原告ないし原告の仮説に対する評価、意見を示したもので、事実を摘示するものではないから、原告の社会的評価としての名誉を低下させて侵害するものでないことは明らかである。

 また、右の箇所が原告の主観的な名誉感情を侵害したとしても、前記のとおり、本件書籍は被告古関が原告の仮説を参考文献(前半のもの)を検討するなどして科学的知見と考える観点に基づき論理的と考えるところから検証した上、原告ないし原告の仮説を批評した内容を新書判の書籍として出版されたものであること、右箇所の表現内容のほか、原告の著作物の内容、性格及などに照らすと、原告が右の箇所により内心の静穏を害された程度は、社会通念上受忍すべき限度を超えたとまで評価することはできない。


 そうすると、原告の名誉毀損、名誉感情侵害の主張は理由がない。



五   争点4(信教の自由の侵害の有無)について


 本件書籍中には、原告の指摘するキリスト再臨の日付の記載や別紙「原告主張の信教の自由を冒涜する記述」があるところ、この記載自体が原告の信仰するところと相容れない面があるとしても、右指摘部分も前記のとおり被告古関の自由な言論活動に属するものであり、被告古関が原告の信教の自由を侵害する意図・目的で記載したとの事情は本件全証拠によっても認められないことからすると、原告の信教の自由を侵害するものとはいえない。


 そうすると、原告の信教の自由を侵害されたとの主張は理由がない。


六   争点5(エンターテナーとしての人格権侵害有無)に
    ついて


 原告は、憲法一一条、一三条、二二条一項にその根拠を有するエンターテナーが持つ自己固有のエンターテインメントの流儀・味わいを不当に侵害されない権利を有することを前提に、本件書籍は右権利を侵害する旨主張する。
 しかし、右権利は憲法上に明文で規定された権利でないばかりか、本件全証拠によっても、憲法上人権として認め得る程度の普遍性があり保護されるものといえる事情はうかがわれない。

 そうすると、原告の主張は前提において失当である。

 なお、仮に、エンターテインメントに対する権利が憲法上の法的利益として認められることがあっても、かかる権利が被告らの表現の自由(憲法二一条) に優越するものではなく、原告の著作物に対する論評、批判も表現の自由の保 護を受けるのである。


七   結語


 よって、原告の請求は理由がないからいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき、 民訴法六一条に従い、主文のとおり判決する。




水戸地方裁判所龍ケ崎支部


裁判官   H.N

(1998年8月21日開始、1999年5月17日、判決下される)




















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