ネッシー=ターリーモンスター説
それでは、話をネッシーに移そう。飛鳥氏は、ネッシーは古生代の無脊椎動物「タリモンストラム・グレガリウム」(ターリーモンスターとも呼ばれている。以下、ターリーと略)だとしている。
ただし、ネッシー=タリモンストラム・グレガリウム説は、別に飛鳥氏の考え出した説ではない。ターリーとネッシーが形態的に似ているために生まれた説で、少なくとも1970年には、南山氏が『超自然の世界』(大陸書房)でこの説を紹介している。
しかし、このネッシー=ターリー説は、数あるネッシー仮説の中でも珍説・奇説の類いに属している。ターリーの化石は十センチから十五センチほどで、十メートル以上といわれるネッシーと同一とは考えにくいのだ。
飛鳥氏は、“軟体動物はいくらでも成長する”などという暴論で片付けているが、ウミウシやアメフラシが巨大化した話は聞かない(巨大化したらさぞかし不気味だろう)。巨大化する軟体動物は、ダイオウイカや一部のタコぐらいのものである。
そこで、ネッシー=ターリー説論者は、ターリーが巨大進化した種がネッシーなのだと主張している。しかし、進化という発想の欠落した飛鳥氏の場合、あくまでもターリーが巨大化したのだと言い張るのである。
しかし、飛鳥氏の描くターリーモンスターは、本物のターリーモンスターともかけ離れているのだ。
まず、頭が違う。飛鳥氏の描くターリーはカタツムリのように目が飛び出し、口は丸く、どうやって物を食べるのか不明だが上下左右に歯が付いている。
では、本物のターリーはどうかというと、口は長く、左右(※)に歯が付いている。(※ アゴ部分がハサミ状になっている)
そして、前肢のようなものが、実は眼なのである。
ターリーは見た目以上に奇妙な生物で、「頭」のように見える部分全体が、実は口にあたるのである。その口に、さらに目がついているわけがないのだ(それに、目は他にちゃんとある)。
ターリーの実像については、「ツリモンストラム・グレガリウムの実態」をご覧いただきたい。
さて、なぜ飛鳥氏は、ターリーをあんな風に描いたのだろうか?
実は、1975年に撮影されたネッシーの水中写真の中に、顔らしい物体が撮られている写真があり、その写真を元に飛鳥氏はネッシーの想像図を描いたように思われるのである。

『謎の巨大獣を追え』P71より
しかしこの写真は、シャーロック・ホームズの映画に使われた後、沈められたハリボテだという噂がある。
沈められた所と撮影された所が同じ場所な上に、映画のハリボテとそっくりらしいのだ。
次に、胴体を見てみよう。本物のターリーには胴体に数十もの節目があるが、飛鳥氏の“ネッシー”にはそれがない。
その代わり、背中に三個以上のしっかりと盛り上がったコブが付けられている。
ターリーの背中の節が、ちょうどコブのように見えるというのだが、よほどの思い込みが無ければ、とてもそんな風には見えない。(右図参照)
それが描かれた理由は、ネッシーの目撃証言に合わせたためである。
また、本物のターリーの胴体は長く、平べったいが、飛鳥氏のターリーは太く、丸っこくなっている。それがなぜかは言うまでもないだろう。
こんな風に写真や証言からネッシーの特徴をつなぎ合わせた生物を考えれば、それが目撃証言と符合していても当然である。
もはや、飛鳥氏の“ネッシー”は、ターリー・モンスターでもない、何か別の空想上のモンスターである。
ほとんど、クトゥルー神話の異形の怪物であろう。
目撃証言の恣意的選択
目撃証言の取捨選択もアテにならない。
例えば、こんな報告が紹介される。
1934年、地元の少女がネス湖西岸に横たわる巨大な生物を目撃する。その生物には二本のヒレ状の手があった――
ところが面白い事に、ショック・サイエンスのその想像図は小さな丸い前肢になっていて、とてもヒレ状の手には見えないのである。(SS1.P113)
飛鳥氏の話を裏付けるような証言は、これぐらいである。
他の複数の証言では、ネッシーには二対のヒレ状の肢があったと言われているが、それらの証言が疑わしいという根拠は何も書かれていない。
飛鳥氏は、「信頼性のある目撃談では、なぜか脚ヒレは1対しかないのだ!」(ムー171号119)というが、何が信頼性があるかを決めるのは飛鳥氏自身なのだ。
(ここでことわっておきたいが、目撃証言に誇張や創作がある可能性については、ここでは触れない事とする。‥‥それにしても、1934年の目撃談は、片側から前と後の二本のヒレ肢を目撃したのかもしれない)
また1972年の、ヒレ状のものが撮られた水中写真を、飛鳥氏はヒレ肢ではなく尾ヒレだとする(ただし、そのヒレは後からブラシで描かれたものなので、あまりアテにならない)。
もちろん、そう言うのはターリーに尾ヒレがあるからだ。
しかし、ネッシーの尾を見た目撃者は、ヒレなんて見ていないのである。
これぞ、尾ヒレをつけるというものだろうか?
また、ネッシーの目の目撃談もある。
1952年、巨大な黒い首が湖面から現われ、ギラギラ光る目で目撃者を見たという。
まさか、カタツムリのように飛び出した目が光ったわけではないだろう(笑)。
それから、ネッシーの顔は爬虫類タイプと言われており、ネッシー写真もやはり、ほとんどが爬虫類タイプとなっている。
また、ターリーの体型では陸に上がるのは難しそうだが、ネッシーは陸上でも目撃されている。
それから、ネッシー写真にはネッシーの胴体が写っている物もあるが、そこにはターリーにあるような節目は無い。
ターリー説を採るなら、それらの写真は全てニセモノ、ターリー説と矛盾する目撃証言は全て作り話という立場を取らなくてはなるまい。
ネッシー=ターリー説は、そうした自説に都合の悪い部分には全て目をつぶり、さらに自分の主張するターリーでさえ好きなように形態を変化させる、場当たりな説なのだ。
珍説奇説と言われるゆえんである。
これだけ書けば充分と思われる。ネッシーの正体が何かはわからないが、少なくともそれはタリモンストラム・グレガリウムではない。
“しかしそれは別として、秘密のベールをはがしてやりたいのは、他にある!”(SS1.P127)
ターリー説“証明”の手練手管
――それは何かというと、自説を「証明」する飛鳥氏のやり口だ。
『ムー』171号で、飛鳥氏はこう言っている。
プレシオサウルスはれっきとした爬虫類だから、ネッシー=プレシオサウルス説は誤りだ、と。(ムー171,P115)
爬虫類は肺呼吸なので、もっと湖面に出ねばならず、寒い日は動けず、眠る時には陸地に上がらなければならないというのだ。
‥‥語るに落ちるとはこの事である。
飛鳥氏は恐竜温血説を主張し、首長竜は哺乳類だと言っていたのではなかったか(カミナリ竜と間違えているのでなければ)。
こういう二律背反は、飛鳥作品に何度も登場する。
『大真実』でも書いたが、自分に都合のいい話なら何でも使うというわけか?
(恐竜哺乳類説の登場する前のSS第一話で上記の主張をするのはわかるが、ムー171号は哺乳類説が唱えられた六年後(!)の記事である)
他の論拠も似たり寄ったりである。
飛鳥氏はネッシー=巨大哺乳類説を否定するが、それはそういう巨大哺乳類がいたら、死体が岸に打ち揚げられるからだそうだ。
しかし、それはターリーであっても条件は同じではないだろうか?
たとえ軟体生物でも、死後、すぐに死体が分解されるわけではない。
湖で死体が揚がりにくいのは、海ほど浮力が強くないためだ。
そこで、ネス湖の底をさらってネッシーの骨を探す計画が立てられたのである。
しかし、ネス湖の底は泥炭層になっていて、しかも無数の穴があるそうだ。
また、水中の岸壁には大きな洞窟があることも判明している。
このように、ネス湖の地形は入り組んでいるのだから、ネッシーの骨が見つからなくても仕方のないことだ。
それを、“骨が発見されないからネッシーは無脊椎動物だ”なんて言うのは、短絡的ではないだろうか?
しかし、飛鳥氏の話で最も許し難いのは、“ネッシーの子供”がすでに捕獲されていて、ターリー・モンスターだと判明しているという件(くだり)である。
「しかし、ネッシーの正体がタリモンストラム・グレガリウムであることは、実は、すでに判明している事実なのである――」
「はっきりいおう。イギリス政府は、すでにネッシーの正体を確認している。確認しているばかりではない。ネッシーそのものを隠し持っているのだ!」
(ムー171.P119,121)
こう書いてしまえば、それ以上、証明する手順を踏まずにすむ。
研究者としてはあまりにもいいかげん、と言うより卑怯と言った方がいいだろう。
ネッシー捕獲の絶賛
先行初公開!?
ここで、ショック・サイエンス第一話「ネッシーは捕獲されていた」の内容を紹介しよう。
――1988年の春、ミスター・カトウの情報で、飛鳥氏はイギリスへと飛ぶ。
そして、謎の男の案内でネス湖湖畔の陰気臭い館の地下室を降りると、そこにはネッシーの子供の入った水槽があった。
それは、古生代に絶滅していたはずのターリー・モンスターだった!
漁師の話では、今年の春、偶然ネッシーの子供が三匹アミにかかったという。そして、さっそく政府に連絡したところ、政府機関の人間が連れて行ってしまった。しかし、漁師は一匹だけネッシーを隠していたというのだ。
だが、飛鳥昭雄の目はごまかせない。謎の男と漁師は、英国政府機関の人間なのだ。
なぜなら、漁師はあんなきれいな手はしていないからだ。
おそらく、これからも民間の研究家が招待されるに違いない。
その目的は、ネッシーをそのまま公開したらやがては興味が薄れて観光客が減ってしまうので、適度にウワサを流してネス湖への関心を維持していくことだ――
これがSS第一弾の内容である。
‥‥あまりにもデキすぎた話だ。
このマンガは1988年8月に発表されたが、その同じ年の春にネッシーの子供(と言っても、ターリーだったら大人の大きさだが)がアミにかかるタイミングの良さ。
ネッシーの正体を公開したら観光客が減るというが、それは逆な気がする。(大体、ネス湖の観光収入というのは政府機関が動くほど重要な財源なのだろうか)
また、“漁師の手はあんなにキレイじゃない”というのは、どこかで聞いた話だ(シャーロック・ホームズか、はたまたUFO関係か?)。
その後、飛鳥氏のような人間がネッシーの正体を見せられたという話も聞かない。
賭けてもいいが、この話は全部、作り話である。
そう言えば、『謎の日本超古代』の末尾に、志波ワンダラ編集長がこんな事を書いている。
1988年8月のワンダラ創刊の半年前から、志波氏はその準備に追われていた。そんな中で飛鳥氏を紹介され、その場で創刊号の「ネッシーは捕獲されていた」の作品依頼と、内容打ち合わせを行ったという。
8月の半年前と言えば、2月である。その打ち合わせが正確にいつなのかはわからないが、飛鳥氏はその一連の作品を「かなり昔から私があたためていたもの」(P218)と語っている。
後に、この話はムー171号や『木星ネメシス』で、より補強される。
「ネッシーの子供」がアミにかかったのは1988年、その体長は三十センチほどだという。地元の漁業組合でもその正体はわからず、英国科学庁に連絡を入れると、水槽ごと持っていかれてしまったそうだ。
そのターリーの内、一匹は英国、二匹はアメリカの手に渡る。ネッシーの正体がばれては古生物学の常識が覆ってしまうので、彼らはその正体を隠蔽したのだそうだ。
“ウワサを適度に流す”から“正体を隠蔽する”に自説を変化させている。
シーラカンスに対して取った「アカデミズム」の行動からすると、あまり信憑性のない話だ。
英国が一匹保持したのは、一応SSとつじつまを合わせたためだろう。
しかし、漁業組合にこの話が広まっているなら、マスコミやネッシー研究家にも話が伝わっているはずだ。しかし、どこにもそんな話はない。
この話も作り話だろう。
おそらく、初めは罪のないフィクションとして、マンガを描いたのだろう。
もちろん、ネッシーの正体がターリーだという確信があったればこそで、
“ネッシーの正体はターリーだ”
↓
“すでにターリーがアミにかかっている
かもしれない”
↓
“いや、絶対そうだ”
↓
“では、なぜそれが公開されないのか”
↓
“英国政府が隠しているからだ”
↓
“それなら僕が先に公開してしまおう!”
‥‥という風に暴走してしまったのだろう。
もちろん、読者をだましているつもりも無く、本人は真実を絶賛先行初公開しているつもりなのだ。
無邪気なのかもしれないが、はた迷惑な話である。
飛鳥氏は、それを「ロマン」だという。しかし、それをロマンと呼ぶには、あまりにも弊害が大きすぎるように思うのである。また、飛鳥氏の「ロマン」は、多くの「その他のロマン」を一方的に否定する事で成り立っている事も否めないだろう。
そのように考えると、一つの偏ったロマンにあまりにも読者が影響され、信じきっているような状況は、ひどく不健全であるように感じられるのである。
最後に、「ネッシーは捕獲されていた」の終わりの言葉を引用し、この「第二章」を結びたい。(SS1-P130、SSR1-P32)
旧SSは情報の信憑性はともかくとして、漫画としては優れた作品であったと思う。僕としても、それを認める事はやぶさかではない。
そこで、悪い面ばかりを取り上げるのではなく、その作品としての味わいも紹介しておきたいと思うのである(引用の理由)。
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