パラクシー川の足跡化石
足跡の中の足跡(後編)



目次

ボウ/マクファイル・サイトの実態
“五本指”の謎
テイラー・サイトの“再調査”
テイラー・トレイル−3B
発掘か、破壊活動か?
結論

参考文献、リンク





1982年6月、カール・ボウ達の発掘チームが、マスコミの前でマクファイル・サイトの発掘を行なった。チームには、オーストラリアから呼ばれたクリフォード・ウィルソンが参加していた。発掘は成功裡に終わり、“人間の足跡”が次々と発掘される様子が、カメラに収められた。そして、マスコミが「先端に丸い窪みがある細長い足痕」を報じると、パラクシー論争は再燃する事になった。

カール・ボウは現在もパラクシー川流域に創造証拠博物館を構え、時代遅れの主張を繰り返している。そして、それはテレビ、ラジオ、新聞などで度々取り上げられている。1996年にも、NBCが「人間の謎めいた起源(The Mysterious Origins of Man)」というカール・ボウ寄りの番組を放映し、全米に反響を呼んだ。パラクシー論争の経緯をアメリカ中の人が知っているというわけではないし、その番組でも、パラクシー川の足痕に対する科学的分析については全く触れられていなかったのである。

しかし、カール・ボウの発掘については重大な疑惑があり、その調査活動はとても科学的なものとは言えない。
まず、マクファイル・サイトについて見てみよう。






ボウ/マクファイル・サイトの実態


マクファイル・サイトは、六十年代に足跡化石が発見されて以来、エロンゲート・トラックの存在する地帯の一つとして知られていた。そして、1970年頃にスタンレー・テイラー、ロマリンダ・チームの調査が行なわれたが、その内容は前編に書いた通りである。

ボウが発掘作業を始めた1982年には、クバンによる調査も開始された。そして、その調査結果は、ボウの主張を覆すものだった。マクファイル・サイトには、エロンゲート・トラック、半エロンゲート・トラック、三本指の足痕、そして、由来の定かではない、不明瞭な跡が存在している。ほとんどは浸食され、はっきりしない足痕だが、三本指の跡を確認する事が可能で、中足骨の足痕であることを示している。

P211
ボウの主張では恐竜の足痕と重なって人間の足痕があるのだとされたが、客観的な分析はそれを支持しない。
部分的な足痕、泥の潰れた足痕など、状態の悪い足痕がその正体である。

右図は、『恐竜のオーパーツ』P211のマクファイル・サイトの足痕の写真である。
恐竜の足痕の中に人間の足痕があるのだとされているが、不完全にみがかれた状態のように思われる。
それに、二重足痕だとしても、人間の足跡にはとても見えない。



ボウの主張した“人間の足痕”には、本物のエロンゲート・トラックの他にも、いくつかの原因でつけられた窪みが含まれる。 人間の足痕とされたものには歩行跡のルートから外れたものがあるが、それらは主に、恐竜の尻尾や鼻先、前肢末梢環節によりつけられた跡と考えられる。恐竜はエサを漁っている時、そうした跡をつける事が知られている。

また、中には植物の跡が含まれると考えられている。最近、そうした位置で枝が見つかっているのだ。さらに、発掘機械により偶然ついてしまった跡という可能性もある。

他にも、ボウが人間の足痕としているものの中には単なる
自然の窪みが含まれている。それらは、岩の凹凸に過ぎなかったり、浸食などで生まれた不明瞭な跡だったりする。ボウの主張する巨人の指の跡や、60センチ以上の巨大な足痕は、そうした自然の彫刻である。 それらには、人間の足跡とは遠く離れた類似性しかない。





“五本指”の謎


しかし、五本指が揃っている足跡化石もあるじゃないかという反論もあるだろう。確かに、ボウの発掘した足痕には、前部に複数の小さな丸い窪みのついているものが存在する。だが、それらの「指」は、いくつかの点で非常に疑わしい。

まず、三本指の跡を抜きにしても、足痕のプロポーションは本物の人間の足痕とは食い違っている。ボウなどの創造論者の発掘では、足痕はしばしば不完全なクリーン・アップの状態に置かれ、おおよそ人間のものに似た形を呈している。しかし、しっかりとクリーン・アップすると、足痕の前部は前方に向かい末広がりになっているのである。もちろん、人間の足は、そんな形はしていない。そして、「指」自体にしても、適切な位置にはないのだ。ボール、アーチ、かかと部分といった、本物の人間の足痕の特徴も見られない。

ここで、こちらの図を見てほしい。

A図には足跡化石の種類が示されており、足跡本体の他に、下層への圧迫で生まれるアンダートラック、堆積物による自然の型(ナチュラル・キャスト)、そして足痕内部に堆積物が残り、内部が満たされた足痕(トラック・インフィリング)があることがわかる。

B図には足跡の深さにより同じ恐竜の足痕がいかに変化するかが示されており、左の方が浅く、右の方が深くなり、一番右は泥が潰れた足痕の例となっている。地面が固いほど足跡は浅くなり、柔らかいほど深くなる。パラクシーの足痕は、当時の地面が固めだった事を示しており、そのため、浅い足痕が多い(一部には泥の潰れも見られる)。

ただし、エロンゲート・トラックが浅く不明瞭な原因には、独特の歩き方も関係していると思われる。

問題は、“指の跡”が決まって堆積物の残った足痕(インフィリング・トラック)の、堆積物上に現れていることである。こうした位置に、足跡の真の特徴が現れる事はないのである。

では、それらの指はなぜ、人の足跡に似た位置についているのだろうか?

――実は、それらは
発掘の最中に刻まれた彫刻という可能性が高いのである。そうした跡は、石灰岩の砕けやすい部分を刳り貫いたり、固い泥灰土をわざとすり減らしたり、押し付けたりして形作られているのだ。

カール・ボウによるこのような不正行為は、繰り返してマクファイル・サイト発掘の参加者や見学者達に目撃されている。そして、ボウ自身によるビデオの一つでも、それは確認できる。

アルフレッド・ウェストはアル・ウェスト・サイトの所有者だが、カール・ボウの発掘を手伝っていた時に、やはり指の偽造を目撃している。クバンがアル・ウェスト・サイトの調査に行った時、彼はどのようにボウの主張とその手法に幻滅していったか、証言している。
なお、指の印の一つは、レイダースの調査で判明した通り、無脊椎動物の這った跡である。

批判的な観察者がこの現場を訪れた時、ボウはしばしば、最初に発見された時は押痕は完璧だったと述べる。しかし、指は実に「素早く侵食されてしまう」。 確かに、それらは素早く浸食される――本当の岩の特徴よりも。なぜなら、それらはいつも決まって、泥灰土や粘土で構成されているからだ。本物の足痕の特徴は、概して数年か十年間でさえも残り、確認できるのである。





テイラーサイトの“再調査”


カール・ボウはテイラー・サイトの足痕を人間のものと売り込んでいたが、1985年に創造論者達が恐竜の足痕だと認めると、そんな事をした覚えはないと主張した。しかし、1987年になると再び態度を変え、ドン・パットンと共に“恐竜の足痕の中に人間の足痕があるのだ”という主張を始めた。

ドン・パットンはメトロプレックス起源科学研究所(MIOS)というテキサス州ダラス近くの小さな創造説団体のリーダーで、ボウの親密な協力者である。

1988年8月、ボウとパットンはテイラー・サイトの再調査に乗り出した。現場は水で覆われていたが、砂袋でテイラー・トレイル(歩行跡)を取り囲み、ポンプで水を汲み上げたのである。ボウとクリフォード・ウィルソンの共著『恐竜のオーパーツ』には、その時撮られたテイラー・トレイルの写真が掲載されている。
『恐竜のオーパーツ』の原題は“DINOSAUR”(恐竜)であり、1991年出版となっている。クバン氏のサイトの参考文献では1987年出版となっているが、邦訳された定本はそれに加筆した新版のようである。

P185B この本の写真で残念なのは、ほとんどの足痕に泥水がたまっていたり、なぜか誰かの足を上にかぶせて撮影されていて、足跡化石をはっきり確認できない事である。人の足と比較するにしても、肝心の足痕が見えないのでは意味がない。

P185の写真(B)では、前部の窪みに誰かが手を突っ込んでいる上に、なぜか中心部に1ドル札が置いてある。

P111の写真では、エロンゲート・トラック(?)には水が溜まっているのに、隣の恐竜の足痕には水が溜まっていない(単なる偶然だろうか?)。

P111

実は、泥水などで足痕の特徴を隠すのは、創造論者達の常套手段なのである。

モリスの本でも、やはり泥水の溜まった写真が使われている。はっきりと足跡を見せてしまうと、彼らには都合が悪いのだ。
実際、はっきりと写された写真では、彼らの言うほど人間の足跡には似ていないことが見て取れるのである。


『恐竜のオーパーツ』、それは劣勢に立たされたボウの一派の
プロパガンダ本である。この本では、自分達の発掘結果がマスコミや多くの学者達に受け入れられているように描写されている。しかし、筆者の確認できた範囲では、その学者達は創造論者のようである。

例えば、この本で何度も登場するジョン・ディ・ビィルビィス(John DeVilbis)がそうである。ビィルビィスはデイトンの創造説会議にも参加しており、『人類と恐竜はテキサスで共存していたか?――おそらくは』という著書もある。また、1982年にボウに人間の足跡の発見は進化論を覆すという書簡を出したヒンダーライターも、その手紙の内容からも予想される通り、創造論者である。彼は聖書科学ニュースレターにも、パラクシー川関係の記事を書いている。

しかし、1985年にクバンに恐竜の足痕という証拠をつきつけられて以来、創造論者達でさえ“パラクシーの証拠”は見捨てているのである。だが、この本にはそうした事実も、それらの足痕が中足骨とみなされている事も、全く触れられていない。
代わりに、“病気のイルカがヨロヨロと跡をつけた”などという奇説が紹介され、学者達が不合理な理屈をつけて真実から目をそらしているかのような印象を読者に与えている。しかし、実際は学者達の研究成果から目をそむけ、見て見ぬ振りをしているのはボウ達の方ではないだろうか?

この本には、テイラー・トレイルの人間の各足痕が常に29センチだと書かれている。しかし、テイラー・トレイルの足痕の長さについては、創造論者の著者達の間でも意見が一致していないのである。ある著者は、足痕は40センチから48センチだとし、モリスやテイラーは、代表的な長さが25センチだとしている。しかし、ボウとパットンは、各足痕を同じ長さに見せかけることを試みた。各足痕の長さが29センチに達するまで、泥水を満たしたのである(笑)。

この本に掲載されている“指の跡”のある写真は、ボウの発掘で現れた足痕であるという点にも、注意が必要である。特に注目すべきは、前部に小さな丸い窪みのあるテイラー・トレイル−3Bの写真だろう。実は、この足痕に関して、グレン・クバンへの誹謗中傷がネットで流されているのである。






テイラー・トレイル−3B


では、その流された噂のバージョンの一つを紹介しよう。


価値ある足跡化石が進化論者に破壊され、もう元には戻らない!

1992年8月1日、テネシーのデイトンでの創造説会議で、ドン・パットンは演説をした。彼は、テイラー・トレイルに関する全てのデータは、恐竜と人類の足痕両方の足痕が存在する証拠を示した。彼は、特に−3Bを取り上げた。グレン・クバンはその説明により、目立って不安にさせられていた。クバンはテキサス州ダラスへ飛び立ち、翌日にはパラクシー川についた事を認めた。彼は、“鉄の棒”を持っているところを目撃されている。彼が来た3日前、この美しい足跡化石は、左の写真のようだった。彼が来た3日後、それは右の写真のようになった。もちろん、この足痕はとてもよく科学的に記録された。一体、誰がそれを記録したのか。何も成し遂げられてはいないのだ。


この噂は、こちらのドン・パットン関係のページが元らしい。“使用前・使用後”の写真も見れるので、参照してほしい
(“-3B destroyed once for all time!”とあるのが使用後の写真で、その上の写真が使用前)
このキリスト教根本主義団体のサイトには、−3Bの他にも四つのテイラー・トレイルの写真、巨大な猫の足跡(^^)、「孔雀石の男」の骨、イカの石まであり、見所満載である。
(ちなみに、このサイトにはモルモン攻撃ページもある)

注:このページは最近、修正された。そして、+1の足痕についても、−3Bと全く同じ文章で、それが進化論者により破壊されたという主張がされている。



‥‥それはともかく、テイラー・トレイルの足痕写真を見ると、このページに書いてあることがよりわかりやすくなるはずである。
少し脱線したが、この噂に対してクバンはこう書いている。

「確証のない噂に、一々反論する必要はない。そうする事は、彼らをつけ上がらせるだけである。しかし、このケースではあえて、反論を試みよう。なぜなら、この問題は私個人だけに関わるものではなく、こうした噂は、人をパラクシー川について誤った方向に導くからである」

では、クバンの反論に移ろう。まず、デイトンの創造説会議には確かにクバンも出席しているが、開催されたのは1992年ではなく1989年である(パットンのページでは、1989年になっている)。1989年8月、クバンは他の研究者と共にパラクシーで調査をしていたが、その後、デイトン会議の見学に向かったのである。しかし、噂にあるような行動はとっていない。第一、その前後の期間、テイラー・サイトは水で覆われていたのである。

注:修正後のページでは、「数ヶ月後に水が引くまで明瞭な写真を撮る事はできず、この写真はその時撮られた」と付け加えられている。すると、破壊されたという時期は水で覆われていたと認めていることにならないだろうか。一体、いつ、どうやって破壊したのか、誰がどうやってそれを確認したのか?



だが、誰かがパラクシー川河床でクバンが棒を持っていたのを目撃したというのは、別に不思議な話ではない。足跡化石の研究者というものは、測定棒、延長ポール、ほうき、シャベル、三脚台といった棒を使用するものなのだ。「そうした道具を使わず、我々に何ができるというのか?」

クバンいわく、この噂で正しいのはパットンの説明で不安を感じたという部分だそうだ。ただし、それはその「証拠」に脅威を感じたからではなく、それがパラクシー川の足痕について誤解を広めるものだったからである。

さらに言えば、このテイラー・トレイル−3Bを発見したのはグレン・クバン本人であり、詳細な図と共にそれを最初に記録したのも、クバンなのである。だから、もしそれに改造を加えたとしたら、それはクバン自身の研究成果を不正確なものにしてしまう。

しかし、実際には、使用前・使用後の写真は大した違いがないのである。クバンによると、使用後の写真には通常の浸食や、時折起こる外側の崩れも見られず、1997年に撮られた写真でさえ、昔と比べてほとんど変化していないそうだ。
しかも、使用後の写真はより近い距離から撮影したものであり、両方の写真とも足痕内部を満たしている物質をクローズアップしているにすぎない。

この足痕を実際に現場でまじかに見たら、古生物学者ならずとも、「全然人間の足跡じゃねえじゃん!」と言いたくなるに違いない。そうすると多分、信者達はこう答えるだろう。

「グレン・クバンが破壊したんですよ!」

しかし、使用前の写真にしても、とてもではないが本物の人間の足跡には見えないのである。人間の足痕説の提唱者達は、人間らしく見せようと努力して写真を撮る。そして、それはそれなりにもっともらしいが、実際は使用後の写真にあるような足痕があるだけなのだ(あるいは、使用前の写真でもいい)。

左下の写真

右上の写真 『恐竜のオーパーツ』P191左下の−3Bの写真を見ると、これが同じ足痕の写真かと驚かされる。右上の写真も−3Bだが、こちらは問題の部分を選択的に水で濡らしているように思われる(周囲は乾いているので)。P209のドン・パットンによる「等高線図」と見比べると、さらに呆れてしまう。

パットンの等高線図さらに、この−3Bの“指の跡”についての問題点を指摘しよう。

パットンやボウの解釈では人類の指の跡ということだが、だとすると4本指の人類という事になってしまう。
適切な位置にもない。

また、この「指の跡」は足跡に被さっている、堆積物上に位置している。

そのため、この“足痕”自体、平らな面が全く含まれていない
使用前写真参照。パットンの等高線図は子供だましと言わざるを得ない(等高線はどこにあるのか?)

その上、この「指の跡」は、
以前に撮影されたどんな写真にも現れていないのである。クバンは「どのようにしてその浅い点がその位置に現れたのか、考えたいとは思わない」と言っているが、この指の跡が登場したのは、1988年のボウとパットンによるテイラー・サイト「再調査」からのはずである。誰がやったとは言わないが。

クバンは噂の作者に対し、その噂を削除する気がないなら、中立の責任者の下に一緒にポリグラフ・テストを受けてはどうかと提案する

あなたは、足跡化石のどれかを破壊した事がありますか?
あなたは、足跡化石のどれかに自分が望むような改造を加た事がありますか?
あなたは、パラクシーに関連する何かについて、証拠を歪曲して伝えた事がありますか?
あなたは、あなたの研究やあなたの悪口を言う人の活動について、歪曲して伝えた事はありますか?
あなたは、他の研究家について、根拠のない噂を流したり、広めた事はありますか?


ポリグラフ・テストの正確さは別として、ボウにも受けてもらいたい内容ではある。

なお、クバンはドン・パットンに事の真偽を問うEメールを送ったが、返事は返ってこなかったそうだ。未だに、その根拠のない中傷はパットン一派のページに掲載されている。



追記(2000.12.13)

その後、「インタラクティブな聖書」の問題のページは修正され、グレン・クバンの名は消された。クバンの反論が広まったため、根拠のない噂をそのまま掲載し続けるのはマズイという判断だろう。しかし、クバンの名が「二人の著名な進化論者」に取りかえられただけで、中傷記事の内容はそのままである。なかなか興味深い往生際の悪さだ。






発掘か、破壊活動か



ボウ達の発掘で問題なのは、指の跡だけではない。例えば、テイラー・トレイル+1は足痕全体と周囲が削られており、
ノミ跡がつけられている。ボウ達は型を採るのに石膏を使っているが、固くなった石膏を取り出すの時にノミとハンマーを使用しており、ノミ跡はその時つけられたのである。こういう場合、ゴムの素材で型を採るべきなのだ。
1989年にクバンが調査に訪れた時、ライアル・トレイル+2には、まだ石膏の小滴がこびりついていたという。

また、1988年には、ボウ達はマクファイル・サイトの足痕を岩盤ごと切り取ってしまった。テキサス州法は公有地からの足跡化石の移動、除去を禁じており、これにはパラクシー川の川床も含まれる。ただし、問題の地点が公有地にあたるのか、解釈の余地はあるだろう(どちらにしても悪い例ではあるが)。
それはともかくとして、明らかにその時、
その足痕は破壊されてしまった。岩盤を切り離すためには、掘った穴が浅すぎたのである。

このようなズサンな“発掘作業”によって、パラクシー川の足跡化石は危険にさらされているとしか思えない。一体、どうしてボウ達のように地質学や化石学に何の資格もなく、しかも偏った信条を持った人間に、貴重な足跡化石の発掘が許されているのだろうか?


ボウ達は様々な学位を詐称しているが、実際は、それらの学位は何の効力もない、不正規のものである。
カール・ボウは考古学や人類学、神学などの学位があると自称しており、「ボウ博士」と紹介されることが多い。しかし、調べてみるとそれらの学位は、小さな聖書学校から発効されているのである。

例えば人類学の博士号を取ったというCAE(高等教育大学)は、テキサス州アービングのバプテスト派の教会の隣の、小さな家にある聖書学校である。学部長のドン・デイビス博士は、その教会の牧師である。そこには科学クラスも設備もなく、アービングの電話帳にさえ載っていない。
CAEはIBC(国際バプテスト大学)の分校とされている。IBCとは、ボウが以前に住んでいたミズーリ州にある、聖書研究のためのカセット・テープによる通信教育学校である。しかも、学長はカール・ボウ自身なのである。

考古学修士号を取ったというパシフィック大学(他に、パシフィック国際大学といった呼び名がある)は、オーストラリアにある同じような小さな聖書学校であり、正規の教育機関ではない。学長は、ボウの仲間の創造論者、クリフォード・ウィルソンである。この“大学”の資格は、オーストラリアでもアメリカでも何の効力も持たない。(ウィルソンはIBCでのボウのパートナーでもあり、副学長もしている)

呆れたことには、神学の学位さえ、同じようなものなのである。カール・ボウはカリフォルニア神学大学院から神学の博士号を得たと称しているが、ボウの以前の親しい仲間によると、その学位は「本物の学位ではなく、名誉学位」だそうだ。その学校も非公認であり、どんな政府、地方の教育機関、信用機関からも認められていない。

「地質学者」ドン・パットンも同様であり、デイトンの創造説会議でのクバンの質問に対し、自分が何の学位も持っていないと認めている。ただし、オーストラリアのQCU(クィーンズランド・クリスチャン大学)から地質学の博士号をもらったと述べたが、QCUはクリフォード・ウィルソンとつながる別の非公式学校の名前である。パットンは3日間、そこで学んだらしい(笑)。

そして、クリフォード・ウィルソンは過去に考古学の仕事をしていたことがあるようだが、学位は持っていない。また、ウィルソンの専門分野は言語心理学である。

このように、ボウ達が博士号を持っていると吹聴するのは、身分詐称というものである。彼らは、まるでマッチポンプのように仲間同士で学位を授与しあっているのである。バカバカしいが、どこの国でも権威には弱いようで、創造論者達やサイトの所有者、そしてマスコミを通じて多くの人達が一杯食わされたらしい。

クバンはこう語る。
「学位のないことは犯罪ではない。しかし、学業証明書を偽る事は、また別の問題である」
「学位がなくとも立派な業績をあげた人は大勢いる。しかし、偽の学位で人をだます事は、その人物の誠実さに、重大な疑いを投げかける」

全くである。なぜ彼らは、そこまでして「博士」を名乗ろうとするのだろうか?
‥‥一つの答えとしては、やはり科学を標榜しながらその実宗教にすぎない創造説を広めるためには、宗教以外の権威づけが欲しいからだと思われる。博士号はそのための、プロパガンダの小道具なのだ。

カール・ボウは、今も同じ肩書を名乗っているばかりか、新しい学位を付け加えさえしている(準古生物学博士)。創造証拠博物館のサイトでは、その学業証明書の一つを拝む事ができる(注・重い)。
学長はクリフォード・ウィルソン、パシフィック大学発行。
だが、この修士号が証明するものは、その人物の厚かましさと
胡散臭さにすぎないのである。





 

結論


創造論者の主張したパラクシー川の巨人の足跡とは、主に恐竜が中足骨で歩いた跡である。他に、尻尾、鼻先などの跡、自然の窪みなどが含まれる。そして、人間の指とされた小さな丸い窪みは、何者かが刻んだ彫刻である。

恐竜の足痕の中の人間の足痕は、ズサンな、あるいは故意の不完全な発掘作業により現れた、不明瞭な浅い窪みにすぎず、何ら人間の特徴を有していない。

恐竜の足痕を人間の足跡と思い込む事に、何のロマンもない。それは、単に愚かであるというだけである。このパラクシー川の足跡化石により、進化論や地質学が間違っていると思い込んでしまった人がいるとしたら、それは悲劇に他ならない。

しかし、このパラクシー論争が、特別な歩き方をする恐竜がいたという重要な発見を導いた事は、特筆に値しよう。これは、(クバンに特別その気がなかったとしても)擬似科学批判が新しい発見や知識をもたらしたという、好例と言えるかもしれない。(了)








このページの情報は、主にグレン・クバン氏のサイト「パラクシーの恐竜/“人間の足跡”論争」からの抜粋、要約であり、直訳部分を含みます。(注・筆者による分析、批判も含まれます)

The Paluxy Dinosaur/”Man Track” Controversy




参考webページ
創造証拠博物館オンライン カール・ボウが館長の創造証拠博物館HP。
いかにもアメリカの創造説サイトな雰囲気。
パンゲアっぽい地球のgifアニメが回る。

Creation Evidence Museum これも創造証拠博物館の、パラクシー関係ページ。
足痕に石膏を注ぎ込む写真も。ヤメロ〜!(笑)


The Interactive Bible パットンとつながりがあるらしい、さらに宗教臭いサイト。孔雀石の男、大猫の足跡、人間の手の押痕とキワモノ揃い。(よくこれで騙せるなあ〜(^_^;)


参考文献
『恐竜のオーパーツ』 カール・ボウ、クリフォード・ウィルソン 二見書房 1999
『トンデモ本1999』
(皆神氏による『真・創世記』の書評)
と学会 光文社 1999
ムー187号
「人類は恐竜と共存していた!!」
南山宏 学研 1999,
6月号




足跡の中の足跡(前編)

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