2000年2月24日に放送されたTBS番組『ZONE』のレポです。

特になにも印のない文はナレーションやテロップを私が加工したものです。

「#」のついた文はその場面を見た私の感想です。

「*」はその場面の映像、音声の説明です。

斎藤雅槙原桑田など、番組中の発言には、個々の名前を前に振ってあります。


*番組冒頭は工藤・上原へのインタビューから、

工藤「大いに僕はライバルだと思われたいし、僕も周りの三本柱の人に関してはライバルだと思ってるし、常にライバル意識をもって、あいつが勝ったんだから俺は負けない。そういう意識は絶対に必要だと思うんですよね」

上原「報道陣っていうのはその前の年に活躍した人を追いかけるような感じがあるんで、まあ僕はそれは違うと思ってるんで、やっぱり、槙原さんも、斎藤さんも、桑田さんも、17年ぐらいですか?やってるじゃないですか、その長くやる秘訣ってのを知りたいですね」


*『ZONE』のタイトルが流れる

三本柱には意地・誇りがある。

槙原は工藤との因縁、先発へのこだわり

槙原「工藤がんばれ、俺もがんばるから」

桑田、奇跡の復活

桑田「三人いたからこそ」

斎藤雅もう一人の悩めるエース 98年に引退を考えたというのは本当だったのか?

斎藤雅「(自分に対する)失望感、だからこういうこと(大型補強)になってるわけですよね」


*2000年1月31日の宮崎神社への優勝祈願の画

報道陣は工藤、上原にばかり。三本柱には寂しすぎる。

優勝を義務付けられる巨人。大補強、工藤、メイ、河本、鄭。与えられたポジションはない。

槙原「はい、そうですか、って席を渡せるはずがない」

斎藤雅「(自分に)あんまり期待ができないから、こういうこと(補強)になっているんですよね。負けてたまるかって気持ちはあります」

桑田「無言で抑えて勝つ」

ローテーション候補は13人、その中で6人だけがローテーションに。厳しいサバイバル。

長嶋監督「過去のバリューに関係なく」

宮田ピッチングコーチ「三本柱は上原、工藤、ガルベスかもしれないが、(後継者を)育てる三本柱といったら斎藤雅、槙原、桑田」


*槙原のグアム自主トレの画

槙原のプライド

槙原「生まれ変わっても先発やりたい」「再スタート」「ターニングポイントかもしれない」

自主トレに同行した西山、柏田「恐ろしいオジサン」「ただの37歳じゃないんだよなあ」

1999年8月17日の失敗

槙原「ファンの反応」「失望感をひしひしと感じた、辛かった」

   「(長嶋監督を)ドンと座ってみさせることができなかった」「心残り」

今年こそ、先発でやりたい

工藤との因縁、愛知県出身、甲子園出場を争ったライバル

1981年ドラフトでは槙原巨人1位指名、工藤西武6位指名

1994年日本シリーズでは2度先発対決

そして今年同じチームに

槙原「(昔の工藤の印象)コントロール悪い、球速い」

工藤「(昔の槙原の印象)コントロール悪い、球速い」

1981年4月29日高校時代1度だけの対決、工藤のホームラン、工藤の勝ち

1994年日本シリーズ第2戦槙原完封1−0で槙原の勝ち

日本シリーズ第6戦、またも槙原の勝ち、巨人日本一に

槙原は工藤にだけは負けられない

槙原「外のチームにいたときのほうが、工藤の成績が気になった。心の中で絶対に負けたくない。この気持ちがあれば優勝も近くなる。工藤がんばれ、俺もがんばるから」


*オーストラリアケアンズに向かう飛行機の中

桑田のプライド

桑田「そこが原点、一度投げれなくなったところから這い上がってきたという気持ちになれる」

同行した三沢「野球するときの集中力がすごい」

同行した岡島「(三本柱は)お手本」「三人のようになりたい」

去年、桑田は必死にもがいていた、高橋のバックホームに鍵があった

第1のフォーム、全身を使った投げ方、ストレート重視、ただ肘がもたない

第2のフォーム、小手先のフォーム、変化球重視

右肘靭帯断裂、全治1年、大手術、かつてこれほどの怪我で誰も輝きを取り戻せた投手はいない

リハビリ、すべて野球のため

桑田「戻らなければいけない義務、戻れると思ってる、ただ投げれるだけじゃなく、今までいた地位まで上がる」

1997年、10勝、復活?桑田は不満だった

桑田「スッと伸びていくボール、基本」

キレのあるストレートが戻らない

1999年3月フォームに悩み

桑田「第1のフォームは人間の体のつくりを考えて、体全体で投げる」

1985年甲子園時代、右肩を大きく下げるダイナミックなフォーム

手術後、右肩を水平にした小手先のフォームで投げることが多かった

宮田ピッチングコーチ「入団したてのあのころがベスト」


*斎藤雅の練習風景

三本柱の中でもナンバーワンの実績を誇る斎藤雅樹

今年の春、左太もも内転筋を痛め、2軍で調整

*斎藤雅樹が一人さびしく練習している場面、それを見にきた女性ファンが

「この人有名?」

あまりにさびしい現実、よくて第6番目の先発、開幕一軍さえあやうい

#私、この場面、この女性ファンの言葉にはショックを受けました。斎藤雅に対して「この人有名?」って。この女性ファンの姿は一生忘れられない気がします(泣)。

斎藤雅「ほんと情けない限りですけど、これを良いように考えて、まだ早い時期だったんで、しっかりやりなさいよってことだと思う」

平成の大エース、現役投手の中では最も200勝に近い、中でも圧巻なのは3年連続開幕戦完封勝利、史上初めての大記録。

インタビュワー「困ったらこれだっていう球は?」

斎藤雅「(やや困りながら)まっすぐですね。打てるもんなら打ってみろ、エイッって投げるまっすぐ」

跳ねるような躍動感あふれるフォームからの真ん中高め

村田真「村田さん、真ん中構えてって言うんですよ。思いっきり放るから、打たれへん、カーブ放って打たれたら悔いが残る。曲げるの嫌だって、まっすぐ放りたいって」

1997年4月4日すべてが狂い始めたこの日

年齢とともに衰えた筋力、小早川に3連発

いつしか真ん中高めで空振りが取れなくなって

斎藤雅「自分の精一杯のボールで抑えられない、ショック」

1998年、ひそかに引退を考えたというのは本当だろうか?

村田真「ベストを打たれた」「え?と思ったんじゃないですかね」

斎藤雅「え?辞めさせないでよ。辞めさせないで。でも、なんか、そうだよ、俺、だれかに言われたことあるなあ。98年て一昨年ってことでしょ」

インタビュワー「10勝した年」

斎藤雅「思うわけないじゃないですか。なんで10勝して辞めようと思うんですか。思ってないですよ。思ってないですよ」

#斎藤雅が「辞めさせないで」と「思ってない」を2度づつ重ねたところに、本当に辞めなくないし、辞めようとは思っていないことを感じ取れました。最近思うような投球ができないので、くさってしまってないかなあと心配だったんですが、まだまだ負けないぞって気持ちで溢れてるんだなあと思い、嬉しかったです。

1990年代、最高の投手、新たなスタイルを模索し始めた


槙原は37歳、斎藤雅は35歳、桑田は32歳になる

確かにボールの勢いは衰えてきた

しかし、三人には意地がある、巨人を支えてきたのは俺たちだという意地が

斎藤雅樹175勝、桑田真澄143勝、槙原寛巳159勝、合わせて477勝、チームを優勝に導くこと5回

槙原「勝ち星では負けないぞと思ったのが斎藤、防御率ではと思ったのが桑田、じゃあ奪三振は俺だ」「三人が怪我をしたり、調子悪くなってしまったらチームが傾く、それは絶対になかったと思いますよ」

1994年10月8日巨人対中日130試合目で優勝が決まる決戦

長嶋監督は三本柱にすべての命運を託していた

先発 槙原 中継ぎ 斎藤雅 抑え 桑田 → 勝利、優勝

長嶋監督「君らに今日のゲームは託す」「すべて3人で仕上げてくれと試合前に言った」

15年チームを支えた三本柱、その集大成


*宮崎で三本柱が集まっての談話風景

槙原「すごく怖いゲームだったけれど、俺が投げなきゃ始まらないと思えたのは、後ろに二人がいてくれたってのがすごくあった」「三人で終わっちゃった試合」

桑田「三人で終わったってのは嬉しくないですか?」「今でも自分の誇り」

槙原「チーム防御率が2.5以内っていう驚異的な数字で優勝した年もあった」「斎藤、桑田がいてくれたから、ポイントの3連戦で

3連敗はしないっていう安心があった」

桑田「逆に、連勝して来たら自分も勝って」「8連勝、10連勝ってのがいっぱいあったでしょう」

槙原「去年なんかさ、俺がリリーフやって、桑田がリリーフやって、後半ね斎藤がちょっと調子悪くてブルペンにいて、”元三本柱”という形でうちのピッチングコーチに冷やかされたけどね。あれは寂しさあったね」


討死 

斎藤雅 1999年6月5日 7失点KO

桑田 1999年7月6日 4被本塁打KO

槙原 1999年8月17日 3四球リリーフ失敗 

三本柱が信じられない姿をさらしていた1999年

このままでは終われない、終われるわけがない


*再び3人での談話風景

斎藤雅「ジャイアンツとしては毎年勝たなくちゃいけないということもあるだろうし、僕らの力が落ちてきたということで、補強もしてるんだろうし、その中で僕らがこう今までやってきた意地みたいなものを見せて、まだまだがんばれるぞというところを見せたいですね」

槙原「歴史を知って応援してくれる人は、僕らががんばると嬉しいだろうなとは思いますけどね」

桑田「3人で切磋琢磨してきた。そういうのが誇りとしてあればそれで僕はいいと思うんですけどね」


決断

フォームに悩む桑田、高橋のバックホームを見たとき、桑田の求めていたストレートの伸びを見せていた

去年リリーフ、桑田は第1のフォームで投げることを決めた 10試合で1点も許さなかった キレのあるボールが戻っていた

桑田「これで行こう、これが一番なんだという、なんかすっきりした、やっぱりこれか、これでいいんだ」

*オーストラリアケアンズでの自主トレ風景

自炊、バランスのいい食生活を徹底

捕手の小田が同行、投手の視点からのアドバイス

*宮崎キャンプ風景

桑田は大きく振りかぶるフォームで威圧感を出そうとしていた


*宮崎2軍キャンプ 2月7日

去年、一昨年と怪我に泣いた斎藤雅 あせらずじっくり力を蓄えていた 体さえ万全なら必ずやれる、そう言い聞かせながら

斎藤雅「そりゃあ怪我がないほうが良かったけどね、ま、もうしょうがないでしょ。順調に行ってると思いますよ」

新しいスタイル 真ん中高めへのこだわりを捨てたくない しかし今の斎藤雅にはコーナーワークで勝負する新しいスタイルを築く以外に生き残る道はない

斎藤雅「今まではほとんどまっすぐ、カーブ、それだけだったですけど、それだけじゃあもうきつい。だから、言い方は悪いですけど、まあ小手先に頼って投げる、ていうこともやっていかなければいけないかもしれないですよね」

村田真「斎藤雅自身が前、言ってたんですけれども、もう一花咲かせたいと。200勝よりも一年のいいシーズンを送りたいと思ってるんじゃないですか」


*宮崎キャンプ風景

槙原「グアムの成果は出てますよ」

そして、槙原はキャンプで新たな試みをはじめていた 先発ローテーションを勝ち取るために

槙原「シンカー」

今年37歳になるというのにシンカーを覚えようというのだ

槙原「バッター立ってみると面白いんじゃないかな」


2000年衰えと戦う30代 3本柱のプライドは?

槙原「槙原寛巳のプライドは持ってますけど、こと、チームを優勝させるためにはプライドを捨てなきゃいけない時期があると思う。プライドを持ちたい年齢でもあり、かつ捨てれる年齢でもあるんじゃないですかね」

斎藤雅「今年だめなら来年ないでしょう、と、思ってますよ。うん。それぐらいの覚悟でやんないとだめでしょうね。うん」

桑田「僕らは10代も投げて、20代も投げて、30代も投げる。10代は10代の良さ、20代は20代の良さ、30代は30代の良さを、僕たちの良さを出したいと思っています」

球史に残る三本柱がもう一度脚光を浴びるために意地をかける 

この春を最後にだけはしたくない                        

*『ZONE』 END