| 海外特派員報告!?(NO9 ドイツ編V) | ||
1月上旬ですがアメリカのアトランタに住んでいる友人から2月中旬に4ヶ月間にわたり海外研修のためドイツへ行くというメールをいただきました。私から「研修で何かと忙しいと思いますが、是非、ドイツで体験されたこや写真を撮ったら送ってください。」と返信していました。早速、友人からメールが届きました。友人から送られてきたメッセージと写真を「海外特派員報告!?ドイツ編」でご紹介したいと思います。 |
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| ◆ニュルンベルク・スパルタ(その1) ◆ニュルンベルク・スパルタ(その2) ◆ニュルンベルク・スパルタ(その3) ◆ニュルンベルク・スパルタ(その4) |
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| ◆ニュルンベルク・スバルタ(その1) このページのトップへ | ||
アメリカに留学している友人が、今、ドイツに研修旅行に行っています。友人が、セントクラウド市と姉妹都市であるニュルンベルクのスパルタへ訪問した際のメールが届きました。私のホームページには友人からのメールをそのまま掲載しご紹介します。 (先週末、泊りがけでニュルンベルクとセントクラウド市の姉妹都市であるスパルタへ訪れました。ドイツ旅行のひとつの山場になる場所でもあるので、少し今までより長めに説明をしたいと思います。 ニュルンベルクに到着した後、探偵を営んでいるドイツ人のツアーガイドに会うことができました。彼は有名な殺人事件を次々と解決しているそうです。移動中、有名な殺人事件現場を訪れたり、風変わりな彫刻を紹介してもらったり、独特のツアーになりました。 ニュルンベルクは中世ヨーロッパではキーポイントとなり、古きよき、ドイツが残っている都市です。ドイツのナチスもドイツの中で、もっともドイツらしい都市と評価し、ニュルンベルクを本拠地としたそうです。 写真はインペリアル城の城下町の様子です。中世の頃、ローマ教皇が何度も訪れたことで知られています。現在はこの建物の一部はユースホステルとして使用されているそうです。城の上から見る、ニュルンベルクは最高の景色でした。) |
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| ◆ニュルンベルク・スバルタ(その2) このページのトップへ | ||
(ニュルンベルクの城下町を訪れたことは、前のメールで書き添えましたが城下町をあるいていると不思議な彫刻に遭遇しました。 Ehekarussell(直訳をすると、結婚の回転木馬)というタイトルの作品だそうで、結婚したばかりの幸福な時期から倦怠期、最後のステージは苦闘し、もがき苦しんでいる状態を如実に表していました。多分、精神状態を表現しているのだと思いますが、それにしてもリアルで驚いています。他にも、何か生気のない、ウサギの彫刻もありました。不思議な彫刻が多かったです。) |
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| ◆ニュルンベルク・スバルタ(その3) このページのトップへ | ||
(ニュルンベルグは歴史的にもキーポイントとなっています。 ナチスの本拠地で、ナチス党の大会もここで開かれました。このニュルンベルクで行われた、大会でヒトラーは非常に雄弁で、その巧みなレトリックを利用して、市民たちに優生学を紹介し、ユダヤ人、アラブ人を迫害しました。ドイツナチスの資料館を訪れたときに、その時の演説をフィルムで公開していました。 自信のある趣で、観客も手を上げて、ハイル、ハイルと叫んでいる姿を見たり、行進の後、なんともフォークダンスで観客を魅了したりして実際とは違う、罪のない無垢な、ナチスの姿をアピールしていたのだと思います。この頃のドイツは第一次世界大戦で敗戦し、景気も悪く、札も紙切れ同様の状態で、何とか回復を試みているところでした。そのときに、ナチス政権は軍事的に強いイメージがあり労働者階級の救い手としても働いていたことが分かりました。ドイツナチスの資料によれば、ここニュルンブルグで、世界初の国際裁判も開かれたようです。ナチスに関係した人たちはここで、弾劾されたそうです。) |
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| ◆ニュルンベルク・スバルタ(その4) このページのトップへ | ||
(午後は、それぞれスパルタへ向かいました。スパルタはセントクラウドと姉妹都市の関係にあります。 姉妹都市の関係が始まったのは高校生がセントクラウドを交換留学生として訪れ、セントクラウドと関係を結びたいとスパルタ推薦したことがことの発端だったそうです。 スパルト到着後町役場へ訪れ、スパルタ町長と役員から、夕食のサービスがありました。一人一人、ホストファミリーが紹介され、ドイツ人の家に泊まることになりました。 ホストファミリー先に訪れたところ、ブッシュ大統領のサインや、ミネソタバイキングの帽子、アメリカの文化に関する本などが、目に入り、非常にアメリカ好きな様子がわかります。 ホストファミリーの彼はTOEFLのテストも高得点で、セントクラウド大学に、入学する予定だそうです。 夜はレストランで、言葉や文化の違いではじめはなかなか話すことができなかったのが、次第に緊張もとけ、ゆっくりと話すことができました。ホームステイ先の本当に手厚いもてなしで、心行くまで楽しむことができました。 次の日は、町のブランドであるビール工場を訪れたあと、街のツアーへ参加しました。その後、サッカーゲームを観戦後、夕食をとり、ホストファミリーと別れを告げました。 朝、起きたとき彼の弟がカーニバルで着るときの服装をきて、戸の外から現れたときは、すごくびっくりしました。秋田のなまはげを連想される、化け物の木面をかぶっていました。 ドイツでは、ビールは「液状のパン」といわれているように普段の食生活に取り入れられています。ドイツの街や市が独自のブランド製品を作り出していました。ドイツ人と同じペースでビールを飲むとかなりの量になるので、少し控えめにしておきました。それでも午前中や夕食時と日に三回飲むと、二日酔いがひどかったのを覚えています。 来週から、ドイツ各地でカーニバルが開かれます。滞在地のインゴルスタットでもカーニバルが開かれるのでその時の写真も送ることができると思います。) |
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