時代を映す女性たち

ニュース解説?のページです。当サイト流に「話題の人」にこと寄せて語ってみたいと思います。

「英雄」になることの怖さ 〜橋田幸子さん

イラクに散った戦場カメラマン・橋田信介さん。残された妻・橋田幸子さんの、落ちついた気丈な言動がマスコミなどで連日報道されている。信介さん生前の活躍はもちろん、お二人のこれまでのエピソードや、彼がイラクから日本に招いた負傷イラク人少年の治療に関するニュースなどは、私たちに改めて戦争ジャーナリスト・橋田信介の暖かい人間性、そして彼の遺した業績の大きさを教えてくれる。

しかし、一連のマスコミ報道には、どこか一抹の危うさが付きまとっているのではないかと思う。 橋田さんは、戦争の真実を私たちに伝えるという信念−大義−のために、死を覚悟してイラクの地に足を踏み入れ、そして銃弾の犠牲となった。幸子さんは彼の理想を理解し、よき協力者となって彼を支え、彼の死を静かに受け入れた。「ありがとうございました。ご迷惑をおかけしました」…愛する人を失い取り乱すばかりでもおかしくない幸子さんの、そんな言葉には、尊敬を超えたある種の崇高さまで感じてしまう。だが、それを半ば叙情的に伝えるマスコミの論調には、戦争で命を落とす者の崇高さ理想像−英雄像という構造が二重写しになりかねないのだ。

もちろん、ここで感じられる「崇高さ」というのは、橋田さん夫妻の人間性によるものであり、国家や権力が戦場で死にゆく者たちに与える「名誉」とは異質なものだ。しかし、それがひとたびマスメディア(これも一種の権力ではある)によるアナウンスという文脈に引きなおされた時、両者の垣根は実はとても低いものになってしまうのではないだろうか。

大義のため、平和のため、民主主義のために…命を捧げた、英雄。戦場に散る者には、いつも飾り言葉がつきまとう。しかしその舞台が戦場である以上、それは結局、まやかしでしかない。どんなに言葉を尽くしても、戦場の死は政治的なエゴイズムに歪められた、人間の否定でしかないのだ。 そういったまやかしをこそ告発しようとしたのが信介さんであり、ともに亡くなった小川さんであり、彼らを最後まで支えた幸子さんらだったはずだ。橋田さんを、英雄にしてはいけない。これこそ、彼が命を賭けて私たちにリポートしてくれた、最後の−そして思いのほか難しい−宿題なのではないだろうか。


「土地のチカラ」 〜笹川美和さん

新潟県旧紫雲寺(しうんじ)町(現新発田市)在住のシンガーソングライター。清涼飲料水のCMソングに使われた「笑」がヒット、素朴で純粋な歌詞とサウンドが支持されている。新潟人としての筆者に素直に言わせていただけるのなら、笹川さんの暮らす紫雲寺町は、新幹線や高速道路が整備され首都圏との結びつきが強くなっている新潟県の中でも比較的奥まった県北部にあり、これといった有名観光地もなく、県内外での知名度も今ひとつと言った感の強いところである。しかし、彼女の音楽性にはその紫雲寺の風景や空気が色濃く反映されているという。何より彼女自身がそのことを強く意識しているし、紫雲寺だからこそ作ることのできるサウンドであると称してはばからない。しかしそこには何故か「何もないところだけれど好き」「田舎だけれど、ふるさとだから」というような、これまでの若者が抱くどこかセンチメンタルで消極的な響きは感じられない。

紫雲寺という土地は、四季がはっきりしているといわれる日本の中でも特に、季節の移ろいの鮮やかなところである。フェーン現象で思いのほか暑い夏には、蝉時雨の松林の向こうに独特の青さをたたえた日本海が広がり、夕日や漁火(いさりび)に映えて刻々と表情を変える。冬にはその日本海から季節風が吹き荒れて、鉛色一色の雲と海から越後特有のぼたん雪が連日舞う。厳しい日々が過ぎ、一面のチューリップ畑に代表される花々が咲き乱れる春を迎える感動には、そこに暮らす者でなければ味わい難いものがある。もちろん秋にも、水田が黄金色に染まる実りと収穫の風景がある。

その土地が持つ、豊穣。その空気が持つ、力。日本人なら誰もが知っていたはずの、そうした豊かさへの鋭敏な感性を、気負わず音楽へとまとめあげたところに、笹川美和というアーティストの魅力のひとつがある気もする。そんな彼女の音楽がメジャーになることには、−これまでの多くの地方在住アーティストがそうであったように−東京を中心とする音楽業界に消費的に回収されてしまう危うさがつきまとっていることもまた事実である。しかし、彼女の文字どおり自然な、気負いもてらいもない音楽性が、21世紀の日本において新しい価値観のひとつとして育ってゆく可能性に期待したい。


「不条理な人生」にしなやかに立ち向かう 〜曽我ひとみさん

北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に拉致された被害者の中でも、米軍の脱走兵を夫に持つことで非常に微妙な立場に置かれ、家族との再会を果たすことが出来なかった曽我さん。 拉致事件というととかく、不運な人たちが被害にあってしまった不条理な事件、という認識をしてしまう。(特に曽我さんの場合、拉致の際ともにいたお母さんの消息は全くわかっていない)

しかし、この事件は、国家や外国との関係という文脈で私たちが危害を加えられたり、人生を狂わされてしまった場合に、わたしたちの政府がわたしたちにどう対応してくれるのか、ということを如実に語っている。実際、こんにちの国際社会ではそういったことはしばしば、しかも予想もできないような様々なしかたで、生じうるはずだ。権力と権力との関係のねじれが、あなたの運命を、人生を、いともたやすくねじまげてしまう…そんなことが、ある日突然起こるかもしれないのだ。わたしたちの政府が、国際社会の中でわたしたち国民を守ろうとする意志の強さと、実際の行動力。それがいったいどれほどのものなのか。北朝鮮拉致事件というのはそれを教えてくれる非常にヴィヴィッドな、象徴的な事件なのだ。今後の経過について、わたしたち国民ひとりひとりが、それをどこまで自分自身の問題として見ることができるか。この事件の本当の解決は、そこにかかっているのではないだろうか。

それにしても、人生を狂わされ、翻弄されながらも、まさにその渦中で愛情に満ちた家庭を築き、自らの人生に負けることなく立ち向かった、いや、立ち向かいつづけている曽我さん。決して人生をあきらめない、そのしなやかな強さと優しさに、率直な敬意を表したい。


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