いま、多くの若者が「世界で自分だけがこんなに苦しんでいる」「こんなにつらいのは自分だけだ」といって深刻に悩んでいる。しかしその裏には実は「自分「だけ」は特別だ」という誇大妄想的な文脈が潜んでいる、と精神科医の視点から著者は指摘する。現代は「わたしとは何か?」という問いに対する答えをせきたてる一方で、あまりにも冷徹な現実をつきつける時代である。あふれる情報の波が、その問いに答える鍵を用意してくれるはずの客観性や既存の価値観がいかに軽薄なものであるかを一瞬にして暴いてしまうのだ。そうした状況下では結局自己は脆弱なものにとどまり、成熟してゆくことができない。しかしせきたてられるままに、自己は時には妄想という形で分裂し、重層化して自身を守っていかなければならなくなるのだ。「わたし」が「わたし」から遊離してゆく現状の中に、著者は若者たちの行動を鋭く読み取ろうとする。そしてインターネットのような空間は、こうして形成された自己の二重性を循環的に具象化してゆく。電子空間が仮想的な「癒し」の場にすらなるゆえんである。
電子空間の中であれば私たちは、「どちらが本当か?」と悩んだり「こうなりたかったのに」と悔しがったりすることもなく、全く新しい「二つめの顔」を手に入れることができる。(中略)電子空間は、多様性が多様性のままで、あるいは分裂が分裂のままであることを許し、いくつもの断裂を抱えた自己をもそっくりそのまま包み込んでくれるのかもしれない。(本文、190頁)
こうした状況に対して、今はまだはっきりとYes/Noの判断を下すことはできない。ただそこに存在する私たちはどのようなリアリティを持ちうるのだろうか?
(著者についての余談)香山リカ氏と対談した恩師いわく、氏は「とにかくすごいバイタリティのある人」だったそうだ。何でも出された食事を瞬く間にたいらげ、惚れぼれするような食べっぷりだったとか。エネルギッシュな人はそれだけがっちりエネルギーを取るものか、と感服された由である。
哲学は多くの場合、主体的存在に立脚した反省として語られてきた。しかしここで目指されるのは、「語る」に対置されるような、「聴く」ことについてのポジティヴな承認である。そもそも、「わたし」という存在了解自体が他者によってしか得られない。「わたし」のアイデンティティは他者によって、そしてそこに不可避的に存在する「距離」によってはじめて結晶するのである。「わたし」ということばはその発話者によってさまざまな様相を持ち得、それらのいずれもが真である。しかしこのような「わたし」の交換可能性は、他者との関係において−たとえば誰かから名前を呼ばれる、そうした瞬間に−「かけがえのないもの」になる。つまり他者とは「ただ、そこにいる(コ・プレザンス)」だけで限りなくかけがえのないものなのである。距離があるということ、しかしその距離に介在されてわたしが現象していること−すなわち、自己の同一性の「外側」をまさにその同一性自体に対して積極的な意味を持つものととらえなおすこと−、そのこと自体が大切なのだ。
私の固有性とは、したがって、わたしがその内部に見出すもの(私が自分の能力、素質あるいは属性として所有しているもの)ではなく、むしろ他者によるわたしへの呼びかけという事実の中でそのつど確証される。まさに<わたし>としてその存在を脱臼させられつつ、である。(本文、237頁)
他者に対するそうした無条件の存在肯定のもつ力に著者は着目する。自己同一性の垣根を他者の側へと越え出ようとする人間を、ホモ・サピエンスならぬhomo patiens(苦しむヒト)と呼ぶ。同情と訳されるsympathyも元々は「ともに苦しむ」という意味である。「他者の現在を思いやること、それはわからないから思いやるんであって、理解できるから思いやるのではない。(本文)」著者はここにホスピタリティ−そしてそれが「臨床哲学」へと接続されてゆく−という概念の意義を見るのである。
(著者についての余談)鷲田先生の講義、私も1コマだけ聞いたことがある。真夏クーラーのない教室で、扇子を片手にファッショナブルな眼鏡とサスペンダー姿。「コギャル」と称された今どきの少女達のメンタリティを、村上龍の小説などを題材にしながら新しい価値観の創造過程として捉えようとするお話が面白かった(本題のメルロ=ポンティの話は忘れてしまった。情けない)。「質問のある方は時間後でもいいから来てくださいね」という笑顔が印象的な先生でした。
数学は、人間の思考の自由が生み出した学問である。そして数学は(他の自然科学も同様であるが)、一般の人々が思っているよりももっとずっと人間臭い営みなのである。
「xn+yn=znは、nが2より大きい時、自然数解を持たない。」
この単純な命題が、その証明が「史上最大の難問」といわれた「フェルマーの最終定理」である。何世紀にもわたって、世界中の頭脳がこの「定理」の証明に挑み、道半ばで挫折してきた。そしてそうしたドラマもまた、数学者たちの「悲劇」と「野蛮な論争」(本文)が見え隠れする歴史でもあったのだ。名誉をめぐって翻弄される数学者たちの運命。しかし近年、その論争に遂に終止符が打たれた。1994年9月19日午前、プリンストン大学数学科教授アンドリュー・ワイルズが、その証明に遂に到達したのである。
「それは私の数学者としての人生の中で最も重要な瞬間でした」と言って、後に彼はその時の感情を次のように述べている。「突然、まったく不意に、私はこの信じがたい天啓を得たのです。あんなことは二度と起きないでしょう...」その瞬間、涙があふれ出し、ワイルズは激しい感動にとらわれた。その運命の瞬間にワイルズが悟ったことは、「言葉にできないほど美しく、あまりに単純でエレガントだったので...はじめは信じられなかった」と言う。オイラー系を働かなくさせている当のものこそ、彼が3年前に放棄した岩澤理論のアプローチを働かせているものだということに、ワイルズは気づいたのだ。長い時間、ワイルズは彼の論文を凝視しつづけた。夢を見ているのにちがいない、本当なら、あまりに上手くできすぎている、と彼は思った。だが後に彼は、偽りであるためにはあまりに上手くできすぎていたと言い直している。その発見はそれほど強力で、美しすぎたので、それは真でなければならなかったのだ。(本文、190―191頁)
翌年この証明は正式に認められることになる。もちろんワイルズがこの証明に至るまでには、トポロジー幾何学など多くの偉大な先人たちの遺産が必要であった。しかし、ワイルズもまた、「数学界」という世界の住人であった。彼は自らの研究を同僚に横取りされることを恐れる。ワイルズは「それでも誰かが彼が行っていることに感づくかもしれないと心配でならなかった。(中略)そこで、彼がニック・カッツと必死になって「何か」について研究しているという事実を隠すための方策を立てた。(本文)」最先端の研究はこのように、協調や公開とは無縁な、閉鎖性と秘密主義のうちに行われるのが通例なのである。そして上述のような美しい証明に達した後でも、彼は「提出された証明を読んだ誰かが、どうにかしてそのアイデアを盗み、彼または彼女自身の名前で論文をデッチあげてしまうかもしれないことをも恐れただろう。不幸なことに、学問の社会ではこういうことも起こるのだ。(本文)」猜疑や背信。数学の歴史を概観するにつけ、現代に近づくにつれてそうした様相が色濃くなっていくのは学問の「進歩」の皮肉であろうか。
偉人の生涯から時には名もない民衆の暮らしぶりにまで触れながら、現代までの暦の歴史を読み解く(とにかく面白い!)。古来から人々は天を見上げ、古代にはすでにかなり正確な一年の長さを得るまでになっていた。ローマでは1年を365.25日とするユリウス暦が採用される。古代ローマはヨーロッパ史の中に滅んでゆくが、もう一つの制度が強靭なものとして確立してゆく。それが、ヨーロッパにとっては本来全くの「異物」だったもの−キリスト教(カトリック)である。
これがヨーロッパの新しい社会秩序となる。そこには時間についての新しい概念−キリスト教神学者が「聖なる時間」と呼ぶものも含まれていた。それは循環するものでもなく、直線的でもなく、むしろ、キリスト教徒が完璧で永遠で無時間的な神にふさわしいと見る、反時間とも言うべきものだった。(本文86頁)
しかしそれはやがて、中世からルネサンス期へと移り変わるヨーロッパの知的営為の中で新しい色彩を帯び始める。
すなわち、教会の真理と自然や理論に導かれた真理という二つの真理が同時に存在することが明らかになっていくことについて、どうすればいいかという論争である。 これは決して新しいジレンマではなかった。聖アウグスティヌスが「神の国」対「人間の国」だと表現した、ローマ帝国衰退期の古い議論に再び戻ってきたのである。これはまた、一方のアリストテレス的な特殊で個別のものの概念、つまり経験論や論理学の概念と、他方のプラトン的な、一般原理や普遍的実在が全てであり、完全なるものは存在するが人間の理解を超えたところにあるとする理念との間の論争を焼きなおしたものである。(本文、224頁)
時代を経るにつれ、観測により正確な一年の長さが次第に精密に測定されてゆく。しかしだからと言ってそれがすぐに実際の改暦へと進むことは歴史上、遂になかった(西方ラテン世界においてそれまでのユリウス暦からより正確なグレゴリオ暦への改暦が行われたのは1582年であるが、イギリスでは1752年、バルト三国は1915年頃、ギリシアは1924年を待たねばならなかった)。そこに展開したさまざまな人間模様が、精密で客観的な時間というまさにその「精密さ」「客観性」もまた一つの極めて人間的な価値観に他ならないということを教えてくれる。
ところで、多くの国々でこうした改暦令とともに「一月一日を年初とする」という布告が出ているのが意外である。それまで一般的だったのが春分の日前後となる3月25日頃を年初とする慣習だった。ユリウス暦導入時にカエサルも年初をマルティスから冬至に近いヤヌアリウスに移す旨を告げている。
ともあれ、こうして現代でも使われているのが「二〇〇〇年以上も前、現在の形に創案され、四〇〇年前、ただ一度だけ修正された、博物館の文化遺物になってもいいほどの年代物である。」考えてみれば不思議なものである。ひょっとすると、現代社会の姿など想像もつかないであろう古代ローマ人に「私たちの時代には「コンピュータ2000年問題」があったんですよ」などと話したら、意外と「ふむ、そんなこともあるのかもしれないねえ」なんて妙に納得されそうな気がしてしまう。 ともあれ、現代では時間は天体の運動のような「不安定」なものでなく、セシウムの振動数を基準に計られている(1秒=セシウムの振動数91億9263万1770回)。これを基準にすると、1年の長さ(1恒星年)はおろか、さまざまな日常的時間指標が常に「狂いつづけて」ゆくことが確認されている。(本書では触れられていないが、現在の世界の時刻は各国の原子時計の平均値から算出された国際原子時(TAI)に地球自転の観測結果を加味し、国際協定による協定世界時(UTC)として決められている)
皮肉なことである。真の正確な一年をとらえようとする何千年もの苦闘の末、われわれは実際には的を射すぎてしまったのである。(中略)自然を基準として用いることで時間を客観化しようと闘ったロジャー・ベーコンや多くの天文学者、時間を数える人々が聞けば驚く事実だろう。彼らにとっては、自然は−そう、やはり自然に見えたのだ。教会や皇帝や議会がこしらえた一年よりも。あるいは最新式の機械時計と比べてさえ。(本文、329頁)
原子時計という「機械時計」と協定によって定められ、あまつさえ天体の動きと調和さえしていない現代のわれわれの時と暦を見ても、ロジャー・ベーコンやコペルニクスは納得してくれないかもしれないのでは・・・などと思ってしまうのである。
自殺願望のネットアイドルなどといわれた著者・南条あや氏による、ウェブサイト上に掲載された日記(高校卒業までの約3カ月半の内容)を再録したものである。センセーショナルな表題や内容とは裏腹に、綴られる日々の日記の筆致は非常に軽妙で、思わず吹き出してしまうようなジョークも飛ばされる。しかし著者は、卒業式の20日後、自ら命を絶った。彼女−南条あや(本名:鈴木純)−は、もう、この世にいないのである。
多少複雑な家庭環境に育ち、リストカットや瀉血癖を有し、向精神薬と離れられない日常(彼女自身がつけたというハンドルネーム(ペンネーム)の苗字「南条」は、彼女がその心の苦しさの分だけ飲みくだした「何錠」もの向精神薬に通じるのかも知れない)にあったとはいえ、彼女ほど自己分析が巧みで、人のこころを深く見とおす力を持ち、それをある程度は他人に理解され、支持もされていた人間が、なぜ死を選ばなければならなかったのか。その疑問に答えることは容易ではない。しかしおそらく彼女は持ち前の感受性で、人間というものの美しさも精妙さも、そして恐ろしいまでの脆さも、知りぬいていたのではないだろうか。
そう、人の体や心は実に、実に脆いのだ。だから我々は、たとえばファッションや化粧といった、文化的文脈にまつわるような「鎧」を身にまとうことによって自己の身体性を覆い隠したりしながら、その脆さをカヴァーして(あるいはカヴァーしたと信じこんで)どうにかこうにか生きているのである。
本文中にも、彼女自身がが口紅や指輪などを買う記述が何度か登場する。実際、それらは彼女を守ってくれた。ファッションや身の回りのグッズについて語る彼女の幸せそうな口調は極めて印象的である。しかしこのように考えて何よりせつないのは、彼女が友人からもらいとても大切にしていた腕輪(リストカット防止用、なのだそうだ)を失くした時のエピソードだ。
医者にて。椅子に座りMDで音楽を聴きながらふと左腕を見ると...腕輪がない。腕輪がない腕輪がない腕輪がない。Aちゃんが買ってくれた腕輪がない。はひーーー! と思って鞄の中をくまなく探しましたがありません。嘘でしょう落とした覚えなんかないわ...(本文、190頁)
しっかりと腕にはめていた大切な腕輪を知らぬ間に落とすなどあまり考えられることではないが、自分の(そして人間の)脆さを知ってしまっていた彼女にとって、腕輪は、失われなければならないアイテムだったのかもしれない。彼女の身体性を保護することで生活(life=生命と言いかえてもよい)世界のリアリティを辛うじてなかだちしてくれていたリング(腕輪)は、ミッシングリンク(失われた環)になってしまったのである。果たしてこの直後、彼女は文字通り深刻な自傷行為に及んでしまう。読者はここに、あっけなくも悲しい少女のターニングポイントを見ないわけにはゆかないであろう。彼女のからりとした物言いの中に、ほとんど運命的な深層が宿っていることを見逃すことは出来ないのだ。
だが、自分の崩壊という終局点を間近に見据えてなお、彼女はあくまでも率直だった。少し賢明に過ぎたかもしれないが、素直だった。それが彼女の指先からキーボードとネットを通して読者に伝わったからこそ、彼女の飾らない言葉の数々は、彼女の身体を、そして死という虚無さえもを超えてどこまでもすがすがしく感じられるのではないだろうか。
本書に教訓めいたことは何もない。むしろそれだからこそ、この世界に存在することのどうにもならないような苦しさを抱えながら生きている多くの人たちに、ぜひとも開いてみてほしい一冊である。
誰かと「わかりあえる」とはどういうことだろう?われわれはしばしば、コミュニケーションに絶望する。コミュニケーションがたとえば身体という文法なしには成立しえない、すなわち言語が言語以外のものに本質的によりかからなければ存立できない以上、わかりあえない、という共約不可能性の絶望は決定的なものになる。
人は結局、「本当にわかりあう」ことなどできないのだ。伝わらないことば。もどかしさ。コミュニケーションを「曇らせて」いるのは、結局のところそのもどかしさを生み出している当の自分自身ではないのか?そして相手自身ではないのか?その絶望の淵に立ったとき、人間はしばしば無媒介的なコミュニケーションを夢見る。これが「天使主義」だ。天使主義はもしかすると、われわれが「ことばなんていらない」というキャッチフレーズで思い描くようなコミュニケーションに近いかもしれない。通常のコミュニケーションがいつもその環境や文脈にまみれたものにならざるを得ない以上、天使主義的なコミュニケーションはより純粋であるように思われる。しかしそのような純粋さは、むしろ誤謬であり、危険なものだ。
純粋なものが純粋なままにとどまることは、最も腐敗した状態にしか思えないのだ。比喩を使って表現すると、清浄な水は、さらに汚れうること、つまり自らは汚れることで他のものを清浄にするものであり、むしろ、絶えず汚れながらも、その都度、時点毎に見出される清浄さを作用にもたらすことで、始源にあった清浄さが自らを形ある姿の中で自己展開することを可能にするのである。要するに、人間や動物に飲まれることを求めない、「永遠に清らかな水」は清らかな水ではない。(本文、99-100頁)
つまり、純粋なコミュニケーションの希求はコミュニケーションの破壊でしかないのだ。というのも、コミュニケーションの成立条件となる「コミュニカビリティ」が、まさにコミュニケーションの展開の過程そのものとして立ち現れてくるという事実を見逃すわけにはゆかないからである。
著者はここに、共約不可能性とコミュニカビリティという、一見矛盾対立しているように思われるものが、ちょうどコインの裏表のように相補的なものであるという論点を読みこもうとする。こうした立論を支えるのは、近世から現代に至るまでとかくその豊穣な内実を閑却されてきた<存在>に対する視点の転換である。具体的な事物を措定しない<存在>という概念を、われわれはその「希薄さ」ゆえに軽視しがちである。しかし本当はむしろ逆なのだ。スコラ哲学、中世イスラム哲学の知見が、その事実を語るヒントを与えてくれる。コミュニケーションという<形>の母型(<かたち>)として、コミュニカビリティの実在性・重要性は、われわれが想像するよりずっと大きなものなのだ。
「形」になる前の「かたち」ということ、現実性の前にあるというより、現実性を準備し、生み出すものとしての「可能性」ということが問題なのだ。(中略)可能性は現実化したとたん、消滅するものではなく、現実化の働きの中でもとどまるものだ。言い換えれば、現実性は必ず幾ばくかの可能性を含んでいるし、可能性も、現実化し得ないものを除けば、必ず幾ばくかの現実性を含んでいるということになる。可能性は、現実性を準備し、しかも同時に支えていると述べてもよい。(本文、231頁)
「わかりあおうとすること」という、常に齟齬をおこしながら、かみあわないままにずれつづけ、展開してゆく、もどかしい生身のダイナミズムの中にこそ、「わかりあうこと」の本当の姿があるのかもしれない。