天文学史トピックス

1 近代恒星宇宙論の祖? ウイリアム・ハーシェル
2 マーズパスファインダー火星着陸記念 異文明 −火星、そして日本− にあこがれた男 パーシバル・ローウェル
3 「科学的に正しい天動説」
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1,近代恒星宇宙論の祖? ウイリアム・ハーシェル


W.ハーシェル(1738-1822)は、18世紀イギリスに生きた、ドイツ出身の天文学者です。彼は自ら巨大な望遠鏡を建造し、 それまで惑星天文学中心であった天体観測に恒星天文学的な視野を大胆に導入しました。そしてハーシェルは、綿密な恒星 の観測から、我々の太陽が、あるレンズ状をした恒星の集団内に存在すると推測しました。今日でいう「銀河系」の存在を 推定したわけです。

 ハーシェルがこのすばらしい結論へと至った過程を簡単に追跡してみましょう。彼は、大口径の望遠鏡を用いてメシエ 天体などの星雲を観察し、それらが恒星の集合体に他ならないと結論づけました(この時、ハーシェルは光学的には星に分解 して見えるはずのないM31などの系外銀河すら「星に分解して見えた」と主張している点には注目しておいてよいでしょう)。 そしてそこから、夜空に見える「天の川」も、我々がそうした星雲と同じものの中にいるために見られる、「内部からの星雲 の姿」ではないかと推測したのでした。

 さて、天の川が我々の太陽を含む恒星の集合体であるとするならば、それは一体どのような形状をなし、そしてどの程度 まで広がっているのでしょうか。それを知るために、大望遠鏡を使用して極めて精密に行われた観測が、全天にわたって望遠鏡 の一定視野内に見られる恒星の数を数え上げる「検量」(gage)です。ハーシェルはこの独自の観測をちょうど宇宙を測るものさし のように用いたのでした。

 その際に彼は「恒星の光度は皆等しい(等光度仮説)」「星雲を形成している恒星はその星雲内に均等に分布している (均等分布仮説)」という大胆な一般化を行いました。もちろんこの仮定は具体的な裏付けを持つものではありません。しかし 恒星の絶対的光度がみな等しいとすると、実視光度の減衰割合はその恒星までの距離のみによって決定されるので、ある一定の 距離以遠にある恒星は望遠鏡の限界等級を下回るため決して見えないでしょう。言い換えるならば観測可能な恒星は厳密にこの 距離以内に存在していることになるわけです。さらに銀河系内における恒星の分布が一様であるとすれば、ある方向における 恒星の見かけ上の分布密度、すなわち望遠鏡の一定視野内における恒星数は、純粋に、恒星の分布している空間の奥行きという パラメータのみによって決定されるはずです。この検量をあらゆる方向に対して行えば、太陽系の周りに、我々の体系に属する 恒星群がどのように分布しているかをうかがい知ることができることとなるでしょう。こうして得られた検量値をもとに恒星 分布の奥行きが数学的に算出され、我々の恒星群体系についての描像が得られることになります。

 理解を助けるために例をあげてみましょう。今、おびただしい数の風船の一団が空を渡っていく姿を想像してみます。その ただ中の一つの風船に視点を移すと、そこからは四方八方を膨大な数の風船に取り囲まれている光景を見ることができるでしょう。 遠くに見えるものは小さく砂粒のようです。ところで、今この集団が全体としてどんな形になって飛んでいるか、すなわち風船が どのように分布しているかをこの視点から正しく知る方法があるでしょうか。風船群は一体、団子のような球状になって飛んでいる のか、前後に長くのびているのか、それとも平板状になっているのか?それを知るためにまず、各方向に一定の視野角をとり、 その視野内に見られる風船の数を数えてみます。例えば半径5度の視野内に見える風船の数を数えると、向かって前方では80個、 右側では120個だったとしましょう。つまり風船は右側の方に相対的にたくさん分布しています。ここで、「すべての風船が互いに 均等な間隔を保って飛んでいる」と仮定すると、当然風船の一団は前方に比べ右側の方に広がった形をしている(すなわち右の方が 視線方向により深く分布している)ことになるでしょう。こうして一定の視野内にいくつ風船が見えるかを数えることによって、 その方向では他の方向に比べてどの程度風船が深く分布しているのかを知ることができます。これを全方向に対して行えば、その 一つの風船から見た風船分布の広がりの深さ、すなわち風船達の一団がどんな形をなして空を渡っているのかが判断できるわけです。 最も遠くに見える風船は砂粒のようなので、もしこの集団に属さない風船が近くを飛んでいたとしてもそれらはもはや確認できず、 視野内にカウントされてしまう心配はありません。しかし、風船の集団のはるか側方をたまたま風船によく似た大型気球の群れが 通過していたらどうでしょうか。それらは大きいので風船と誤認され、視野内に入った際に一緒に数えられる恐れがでてきます。 すると自分達の風船群の形状を正しく把握できないことになってしまい都合がよくありません。そこで、そんなことは起こらない のだという約束、つまり「視野内に見える風船の絶対的大きさはすべて一様である」という仮定が必要になってきます。こうすれば、 本来ならば見えないはずのはるか遠くを飛んでいる風船がたまたまその際だった大きさのために見えてしまうという事態を考慮 しなくて済むわけです。

 ハーシェルは、空のあらゆる方向に対してこの「一定視野内の星数調査(検量)」を行いました。検量標本数は実に3400視野に のぼったといわれます。この観測結果から、先の仮定に基づいて視線方向の恒星分布の相対的な深さを算定し、銀河系の形状に関する モデルを得るに至ったのです。有名ないわゆる「ハーシェル銀河」です。彼の1785年の論文には、その断面図が掲載されています。 この図は、天球を分割するある切断面をとり、その切断線に近い視野で得られた検量値、すなわち視野内の星数に対応する星の分布の 深さを図に描き起こしたものです。今日我々が了解している銀河系の形状に似たそのレンズ状の姿は、精密観測によって大規模な宇宙構造が 解明される近代宇宙論の幕開けを告げる記念碑的な強い印象を我々に与えずにはおきません。

 しかしハーシェルの観測には、実に様々な留保や多くの仮定があることにも気づかれたと思います。ハーシェルによる銀河像について、 「銀河系が独立体系であること」「太陽中心であること」といった構造的な面を取り立てて議論することには、かなり慎重な態度が 必要なようです。ハーシェルには、観測を行う前から、「太陽は夜空に見られる星雲のような恒星体系の中にあり、それが天の川 として見られるのだ」という確信を持っていたのではないか、と思われるふしがあります。ここに重大な疑念がわき起こります。

 ドイツの大哲I.カント(Immanuel Kant,1724−1804)は、『天界の一般自然史と理論』(Allgemeine Naturgeschichte und Theorie des Himmels, 1755)という著作の中で、ハーシェルの理論と酷似した恒星体系宇宙論を展開しています。そこには、星雲が 恒星の集合体に他ならないこと、太陽もそうした恒星集合体の中にあり、天の川はその姿に他ならないこと、恒星の体系は多く楕円状の 形をなすこと等が述べられています。

 ハーシェルは、カントの理論を知っていたのでしょうか?そしてその理論に導かれたからこそ、膨大な留保や仮説を設定してまでも 銀河系宇宙の描画にこぎつけることができたのでしょうか?

 カントとハーシェル。今のところ、このふたりの大天文理論家のつながりを示す証拠は、ないようです。


参考文献・M.A.Hoskin, William Herscel and the construction of the Heavens, Oldbourne;London,1963
一部、「W.ハーシェルと18世紀宇宙構造論」(青山、1997卒業論文)から要約・加筆しました。
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2.異文明 〜火星、そして日本〜 にあこがれた男 パーシバル・ローウェル

NASAの火星探査機「マーズパスファインダー(火星探検者、火星に道を切り拓く者、といった意味がある)」の成功で、にわかに 火星に対しての関心が高まっています。

 火星、と聞くと多くの人はやはり「火星人」という言葉を思い浮かべるようです。火星がかつて考えられていたようなものとは違う、 生命には(特に知性を持つような高等生物には)きわめて過酷な、生存しがたい世界であるとわかった今日でも、たとえば映画「マーズ・ アタック」のヒットに見られるように、この赤茶けたお隣の惑星にファンタジックな興味を抱く人々は少なくないのかもしれません。

 この火星人論争に火をつけた人は誰なのかを歴史的に探ってみると、1887年にミラノ天文台長のスキャパレリが「火星に筋状の模様を 見つけた」と発表し、それを「canali」と名付けたことに発端があります。この語が英訳される際に誤って「canals」、つまり「運河」と 訳語を当てられてしまったために騒動が巻き起こったといわれています。有名な話ですが、その真偽のほどはともかく、当時そのような誤訳を 生み出すような、「火星には知的生物がいるのでは?」という「疑念」がもうすでに広く潜在的にあった、つまりこうした誤訳は起こるべくして 起こった、と見るべきなのかもしれません。

 さて、この「火星運河説」に並々ならぬ興味を示した一人のアメリカ人がいます。その名を、パーシバル・ローウェル(1855-1916)。 彼はひたすら火星人の存在を信じとおした天文家でした。

 ローウェルはきわめて裕福な事業家、名門の家に生まれ、学問的にも恵まれた環境の中で育ちました。火星の運河説を知ると夢中になり、 巨費を投じて専用の天文台を建設し、火星の観察に明け暮れた(観察をするのは夜ですから「暮れ明けた」というべきでしょうか)のでした。 観測データをまとめ、ローウェルはこんなふうに主張します。「火星には定規で引いたような、明らかな人工物、巨大な運河が存在する。 そこには高度な異文明が繁栄しているのだ。運河は火星表面に、延々と直線的に建設されている。その技術力の高さはもちろんだが、 これは国境などで遮断されていないということを示している。つまり、火星文明は国家の利害関係などを克服した、政治的にも高度な文明社会 なのではないか。」

 ローウェルは、異文明に対して非常に深い関心と興味を抱いていたのです。

 実は彼は、火星に心を奪われる前、もう一つの異文明、「日本」に関心を寄せていました。1883年には来日、その後10年間、足しげく 日本にやってきています。日本について論じた彼の著書には、「極東の魂」「NOTO(能登)−探求されざる日本の辺境−」などがあります。 彼は当時有数の知日家であった、といえそうです。

 ローウェルが火星と日本を、「異文明の地」という、どこか同じような視点で見ていたのだとしたら、おもしろいと思いませんか。

 ちなみにローウェルは、海王星の運動の研究から、さらに外側の第9惑星の存在を予言し、その位置を推定しました。1930年、 ローウェル天文台のトンボーが、予想位置の近くでついにその惑星、冥王星(Pluto)を発見したのでした。冥王星を表すマークには、 P・Lというローウェルのイニシアルが刻まれています。


参考文献・小山慶太著「道楽科学者列伝」中公新書、横尾広光著「地球外文明の思想史」恒星社厚生閣
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3.「科学的に正しい天動説」

 地球が止まっているという天動説は間違っている。これは小学生でも知っている事実です。ちょっと付け加えておくと、日本語の「天動説」 「地動説」という言葉はあまりよくありません。双方の説について議論となったおもなポイントは、「地と天のどちらが動いているか」ではなく むしろ「(地球と太陽の)どちらが止まっているか(つまり、どちらが宇宙の中心であるか)」というところにあったからです。英語では天動説を geocentric theory(地中心説)、地動説をheriocentric theory(太陽中心説)といいます。

 ところで、なぜ天動説は間違っているのでしょうか。ばかな質問かも知れませんが、これがなかなかどうして難問なのです。
 よくなされる説明は、次のようなものです。
「天動説は昔の人々に広く信じられていたが、その後惑星の観測が進むに従って、実際の矛盾点が噴出していった。惑星の運行に無理矢理 適合させるため、多くの周転円の採用など、苦しまぎれの対策が施されたが、結局はより正確で単純な地動説にとってかわられたのだ。」

 天動説は本当に正確ではないのでしょうか。市販の天文シミュレーションソフトを利用して、惑星の動きを再現してみます。この時、 地球を不動点としてみると、太陽は一年で地球の周りにきれいな円を描き、水星、金星は太陽の内側で大きな周転円を描きながら同じように 地球の周りを「公転」します。ここで明らかになるのは、天動説も地動説も、定性的には、論理的に「等価」であるということです。

 確かに、天動説においては一つの惑星について複数の周転円を導入したり、エカントと呼ばれる離心中心を設定したり、きわめて複雑な 体系がとられてゆきます。しかしこれらはおもに、現実には楕円軌道である惑星の運動を円軌道に当てはめようとしたことなどから生じるもの でした。そして、コペルニクスの地動説でも惑星の描く軌道は真円でした。つまり、天動説と同じくらいの正確さをコペルニクス地動説に与える ためには、コペルニクス地動説においても周転円などの複雑な体系を採用せざるをえなかったという事実があるのです。

 天動説は、紀元2世紀のギリシアの天文学者プトレマイオスによって定式化され、その後実に約1400年間にわたって西欧の天文学理論を支配 しました。これだけの長きにわたり支持されてきたのは、決して昔の人々が無知蒙昧であったからとか、中世の強権的宗教的圧迫が存在したから ではなく、こうした完璧な数学的、理論的な基盤が存在したからなのだということを、忘れるわけにはゆかないと思います。


参考文献/渡辺正雄著「文化としての近代科学」丸善、T.クーン著、常石訳「コペルニクス革命」講談社学術文庫
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