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ーテクノのルーツについてー
ジュン mail HP

皆さんテクノのルーツについて考えられた事はあるでしょうか?テクノ(電子音楽)は聴感があまりにも斬新でインパクトがあるのでロックやジャズ、ブルースといったルーツの比較的簡単に辿れる音楽とはまったく別物だと思われたりしていないでしょうか?

僕はここ数年テクノのルーツを探るべく色々聴き漁っているのですが、テクノのルーツは実際のとこジャズやロックといった音楽と関連しながらもそれより更に深いところにあるのではと思ってきてます。

皆さんがご存知のような雑誌などで、アンダーワールドケミカルといった最近のテクノのルーツが語られる際は、70年代後半のクラフトワークやYMOに始まり、80年代後半のデリックメイやUR、ジェフミルズ、そして90年代初頭のアシッドハウスムーブメントを経て現在のシーンに繋がるといったような語られ方が中心だと思います。

ではクラフトワークやYMO周辺はどうか?それ以前はどうか?となると現代音楽がよく引き合いに出されます。(1950年代のシュトックハウゼンやクセナキスといった現代音楽。)

このあたりの感覚はまんまエレクトロニカというかなんというか。エレクトロニカで定番ともいえる、ブツブツいうあぶくみたいな電子音、質感のグニャっとした電子音が既にこの時代に聴かれ驚きます。

だいたい一般に雑誌などで語られるテクノのルーツというのはここまでではないかと思います。
ですのでここにはそれに補足する形で、それ以前のテクノのルーツをみていきたいとおもいます。

クラフトワークやYMO以前でテクノに繋がるものとして忘れてならないのは70年代のフュージョンやフリージャズといったシーンです。マイルスの「オンザコーナー」なんかはよくドラムンベースの引き合いにだされますし。近年、ビル・ラズウエルが「ンサラッサ」というマイルスのリミックスアルバムを二枚も作ってるのでクラブシーンにも一部は認知されてるかと思います。

個人的に「オンザコーナー」4heroエイフェックスツインのようなドラムンよりケミカルみたいなファンキーなブレイクビーツに近いと思うのですが。とにかくシンプルなエイトビートや16ビート、シンプルなベースラインを執拗に反復し、そのうえに様々な楽器の音を乗せて行くという音楽的方法論は今日のテクノの方法論とかなり類似していて、人力トランス、あるいは人力テクノといえるでしょう(打ち込みで行うか、実際に人の手で行うかの違いしかない。)

マイルスは1967年の「インアサイレントウエイ」から1975年のアガルタ」「パンゲア「ダークメイガス」に至るまでエレキ楽器を大胆に導入した、怒涛のビート、音響実験を行ってます。ファンク、アシッド、サイケ、ダブ、アンビエント、エスノ、今日のテクノ系音楽のルーツがほぼここに見出せるとともに人間の手による演奏の臨界点といっても過言ではない演奏を繰り広げています。

余談と繰り返しになりますが、僕はこのあたりのマイルスや他フュージョン系音楽はロック系雑誌一般でフォローが弱いなといつも思います。

60年代後半に始まったラブアンドピースのムーブメントが最終的にどこに流れたのか。またこの時代に花開いたロックという音楽の臨界点がどこにあったのか?それはジミヘンでもストーンズでもビートルズでもなく、その少し後のツェッペリンやパープルでもなく。

それも重要ですが、音楽的な臨界点はむしろこちらではないかと思ってます。ロックリスナーにこそこのあたりの音楽を認知してもらいたいと思ってます。かなりの衝撃を受ける事と思います。

さて話を元に戻しましょう。

テクノはジャンル全般の特徴として同じ音を何度も反復し、トランス感を産む特徴があります。ドラム音でもそうですが、フレーズでもそうです、こうした同じフレーズを何回も執拗に繰り返す音楽的方法論はミニマルなどとよく称されます。

このミニマルの方法論は民族音楽にもよくみいだされます。多くの民族音楽に比較的簡単に見出せる特長なのですが、インドネシアのガムランなどがとりわけわかりやすい。(電気グルーヴにバロンダンスというガムランを用いた曲もあります。)ガムランは青銅の金属打楽器です。長くなるのでここでは詳しく述べませんが、音色は鉄琴とかに近いです。ガムランはシンプルなフレーズを執拗に繰り返し、陶酔的な雰囲気をかもし出します。ここにミニマルテクノの方法論と共通性が伺えます。(石野卓球氏曰く、ガムランは天然のミニマルとか。)

ガムランもそうなのですが民族音楽で用いられる楽器はほぼ全般に楽器自体の音の響きにいびつなところがあります。(あくまで西洋化された我々の音感からすればということですが。)インドのシタールタブラなどは弾いた音が音がグニャグニャ変化してくし、ガムランにせよシタールにせよ我々の感覚からするとサイケに感じられる音響効果も見出せる。こういういびつに感じられる音の響き、音響効果というものは、アナログシンセから繰り出される。ビキビキ、グニャグニャした音の世界と多分に共通点があると思います。

大雑把な記述になりますが民族音楽とテクノの共通点は、ミニマル的な部分と音響的な部分、不協和音的な部分、ポリリズムによるリズムの多様性、意識を飛ばす様な陶酔的な、(呪術的なともいえる。)雰囲気が挙げられるかと思います。

こうして見てくると現在のハイテク社会を代表し、一切の過去の音楽的蓄積と断絶したかのようなテクノ系音楽も既存の他の音楽と変らないか、むしろそれ以上にルーツの深い音楽であるといえるのでないでしょうか?

最後に抽象的で大雑把な記述になりました。拙文で申し訳ないのですが試聴を多く出来るようにしたので聴いてみて下さい。僕のいってる事がなんとなくでも掴んでいただければ幸いです。

http://www.geocities.jp/dopemodernism/

(2004/3)

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