Visitor's Review

「ミクスチャー」ブームとは何だったのか。
高石 浩明 mail

いきなりながらもロキオン風なタイトルをつけてはみたが、言いたい事はさほど、ない。まぁ、今現在ポップ・ミュージックのメイン・ストリームがロックンロール・リヴァイバルといわれるものへシフトした事実も含めて、改めてこの「ミクスチャー」について考察してみたい、という衝動にかられた理由からであります。

 さて、まず初めに、「ミクスチャー」の定義とその範疇について。私のいう「ミクスチャー」は少なくともレッドホットチリ・ペッパーズやフガジやフィッシュ・ボーンなどはその範疇に含まない。「ミクスチャー」の範疇はおよそ1997年あたりの初代フジロックフェスが開始されたあたりから誕生、そして「ブーム化」していったものだと捉えることにする。それは、ちょうどこの頃あたりでしょう、リンプがデビューしたのは?という浅はかな考えからである。初代フジにはサードアイブラインドを筆頭にまだその当時は「ミクスチャー」という表現が初々しく感じられる音楽家が顔を覗かせていた。その形態もバンドものから、DJとMCを供えたバンドものまで多義に渡るものだった。今ではその名を聞かない音楽家達ばかりで、その名すら忘れてしまったような音楽家が初代には出ていたわけだが、私の記憶に残っているのはやはり、サードアイブラインドとレッドホットチリ・ペッパーズくらいなのだ。つまり、ここで、はじめて私の中では「ミクスチャー」以前と以降の音楽を同時に体験した場になったわけだ。ここで極私的にこの範疇を明記すると、1997年以降のメイン・ストリームでのブーム・トレンドを「ミクスチャー」とする、という暴論になるわけである。そしてまた、その終焉はわかりやすく捉えるならば、ストロークスの登場まで、ということになろう。

 かなり、根拠に乏しい位置付けではあるが、しかし、まんざら大的外れだとは思っていない。それは、その後のレッドホットチリ・ペッパーズのカルフォルニケーションにみられる、彼らが元来から模索してきたチリペッパーズ・サウンドが当時のメイン・ストリームではなぜか一般的な「ミクスチャーバンド」として捉えられた点である。それはつまり、彼らのサウンド自体がメイン・ストリームに模倣された結果であった、といってもいいだろう。それは、この初代フジからカルフォルニケーションまでの間にメイン・ストリームが著しく「ミクスチャーブーム化」された結果の反応であった。この間に「ミクスチャー」はより複雑な構成となり、音への希求心からより激しい、アグレッシブな音を求めるという、いわば、音楽を深めるのではなく、音に焦点が当てられたものへと深化されていったのである。そしてこの点で、元来のバンド形態のプラスアルファを求めた末に定着したターンテーブルとMCという、まんまヒップ・ホップとロックバンドをミックスさせたものが次々台頭してきたのである。
この現象はおそらくハードコア・ヒップホップそのものをロックバンドの土俵で実践したもの、といってもいいのではないだろうか。パブリック・エネミー然り、また、あの当時たしかにレッドホットチリ・ペッパーズ、フィッシュ・ボーンなどといった「元祖ミクスチャー」と定義されているバンドが活躍していたシーンと酷似している。しかし、明らかな相違点は、あの当時、両者はそれぞれの土俵を固持していたという点である。両者の土俵は「メイン・ストリーム」ではなかった。どちらかと言えば、ヒップ・ホップカルチャーがよりメイン・ストリーム寄りであったが。しかし、97年式「ミクスチャー」と比較するとよくこのことが理解できるだろう。つまりは、この「ミクスチャーブーム」はそれまでのメイン・ストリームとオルタナティブ・シーンの秩序とも言うべき安定を破壊し、全てをメイン・ストリームに集約、求めた現象であるといえる。そのために、レッドホットチリ・ペッパーズのカルフォルニケーションは、当時のあの異常なまでの「ミクスチャー」にあって、より生身の音楽であると感じられたのだ。

 さて、次はその定義についてみてみることにする。上記で挙げたように、「ミクスチャー」は音楽そのものの可能性を模索した結果、「音」にのみ焦点をあてたテクノロジーの集合体であるといえる。誤解を恐れずにいうならば、「ミクスチャー」とはポップ・ミュージックにおいて、また、ロックというものにおいての最終進化系だという感が私には強い。というのも、ジャンルというものを一旦フォーマットにかけ、独自にデフォルメした部分を抽出していくという、いわば、テクノ・ミューッジックにおけるブレイク・ビートの誕生と酷似している点が多い。そもそもブレイク・ビートはそのブレイク部分を様々な音楽からかき集め、ネタとした上で繋ぎ合わせて行く緻密な作業である。「ミクスチャー」においても理論的には同じことである。既存のジャンルと呼ばれるカテゴリー化された音楽のそれぞれの構成要素を部分的に抽出し、それをひとつの音楽として提示している。したがって、かつてのテクノロジーとロックの融合体としてバンドとターンテーブル、またはMCを加えたバンド編成となり得たわけである。

 しかしながら、現実として、この進化は有限なものであった。この「ミクスチャー」にとってそのネタとなるのは既存のジャンルというロックそのものであったからだ。そして、ブームという魔法はそのジャンルという限られたロックの範疇において進化を絶たれたのだ。ブーム自体がポップ・ミュージックにおいては恒常な現象であるが、このブームというトレンドが常にメイン・ストリームを形成していくという点では「ミクスチャー」は現在におけるロックンロール・リヴァイバル現象をネクスト・ウェーブ化させるに至ったのだ。それは、つまり、ロックの進化を目指しつづけた結果として、次に必要であったのは、その解体であった。「ミクスチャー」という散々に集められたそのネタが今度はその1つ1つがフォーカスされたのである。そして、その結果としての音楽がストロークスに観られるのである。

 私は、「ミクスチャー」を好んで聴いてこなかったが、しかし、そのものを拒否するという考えを持っているわけではない。ただ、このブームだけは、メイン・ストリームがあまりに画一された音楽ばかりであったため、近寄りがたかったのである。
しかし、今改めてこのブームを検証する上で、新たな定義を見つけるに至った。それは、「ミクスチャー」は音に特化されたテクノロジーの追求であり、「ロックンロール・リヴァイバル」は電気音への回帰運動であり、また、「テクノ・ミュージック」は電子音とそのネタという概念が組み合わされた新たなテクノロジック・ミュージックである、ということである。また、最近の「エレクトロニカ」というものはそのテクノにおけるポップ・ミュージックでの電子音楽としての定着を示唆するものであろう。

 こうして、「ミクスチャーブーム」がメイン・ストリームから去った後に考察することは、それまで盲目的であった事実を音楽論の観点から再確認することができる。
「音に特化されたテクノロジーの追求」という点ではリンキンパークは評価されるべきであろうし、様々なロックの構成要素を1つの音楽として提示したという点ではリンプビズキッドは評価されるべきだろう。それと、エバネッセンスという現在のメイン・ストリームで奮闘している彼女らもまた、巷でいわれている「クラシック」の要素とロックの「ミクスチャー」として、ブーム後だからこそ、その目新しさが私達にとって新鮮であるのではないだろうか。

そういった訳で、まぁかなりな暴論と極論に至ってきたわけである。失礼。

(2003/12)

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