Visitor's Review

小島麻由美’ロックステディ・ガール’を聴いて
佐久間太郎 

 曲名通り、ロックステディな曲調。「マイ ネーム イズ ブルー」発表時にある雑誌(名前が思い出せない)のインタビューで「最近はフィッシュマンズのファーストがお気に入り」と語っていたから、新作がそうなったのは当然の帰結か。それにしても、これまでの全作品のジャケットが本人のペンによるイラストであったのに対して、今作のそれは当人の胸から臍にかけての写真であることに少々驚いた。アングラというかブンガク的というか、あの一種独特なイラストは作品とあいまって小島麻由美という存在を特異なものにしている、と個人的には思っているのだが、今回の変更は如何なる心境の変化なのだろうか?聴く者から余計な先入観を排して、音楽を音楽として聴いてもらいたいという、純音楽的態度の意思表明なのだろうか?あるいは、単なる気分的な一過性なのだろうか?全く掴み所がない。そんな曖昧さこそがきっと彼女の魅力なのだろう。そう、僕はいつだって彼女(の作品)に夢中なのだ。
僕は彼女の詞世界に惹かれる。文字数が無駄に増えた最近の日本のJ-POPシーンにおいて、彼女は必要最小限の言葉数で最大限に独自の世界観(それをコジマワールドと呼ぶ人もいるみたい)を発揮しうる稀有な才能の持ち主だ。それ以上であれば説明的になり過ぎて、それ以下なら自らの世界観を台無しにしてしまうという、その中間地点を小島は絶妙に進む。
小島は類稀なるストーリーテラーだ。彼女は現実を描写しない。彼女が描くのは、現実とはまるで縁のない架空の物語だ。今作における‘ざわめくダンスホール’を実在するどこかの場所として捉えてしまう者は、彼女を誤解していると思う。私小説(的な表現)に慣れきった者、つまり、表現に登場する一人称と自ら同一視することでしか表現に接し得ないという悪癖の持ち主は、永遠に彼女を誤解することだろう。その世界観の嗜好は個人の感性によって大きく好き嫌いが別れる所だろうが、それはさておき、小島麻由美の作品はいつだって聴く側に「それはそれとして鑑賞する想像力」を促す。感傷はいらない。

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