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椎名林檎最高?再考。
アスク mail

近頃、椎名林檎をとりまく状況を見てひどく違和感を覚えることが多い。女の情念?自意識過剰?確かにその通りにみえるけれども、彼女の本質(?)はそれとは違う位相をなしているのではないだろうかと思います。

確認。私は椎名林檎の音楽が好きかといわれたら、はっきりいって好きです。ルックスも好きだし、声も好きです。
では、何が気に食わないのか?
それは冒頭にも書いたようにそれを取り巻くファンであったり、評論家の人たちだったりなのです。

私の彼女の音楽を聴いて最初に思ったのは、「自己満足もここまで昇華されれば立派だなあ」というものです。そしてこの感想はいまでも殆ど変わっていません。

たとえば、「今夜から私が女王」といわれても困るのです。
「で?」なのです。

彼女が歌詞にするのは大方彼女自身のなまぬるい世界です。(と少なくともうつります。)室見川もベンジーもモラトリアムもとりあえずよさそうだから入れておけというレベルだと思います。
それは、「先攻エクスタシー」とか「丸の内サディスティック」とか「悦楽パトロール」などなどの語呂がよくて、刺激的な言葉を多用することからも窺えます。

しかし、はっきり言ってそれらの言葉に根本的な意味はありません。
では一体、何なのか?それは気を引くための道具なのです。
いわゆる「理論のための理論」とかそういう次元でしかあの日本語は鳴らされていません。おそらくあのルックスや声さえも彼女にとっては道具でしかないように思います。

逆にいうと彼女がもっとも大切にしているのはそれなのではないでしょうか?
「振り向かせるためにはなんでもする。」
それが、彼女の音楽のおそらくのパッションの根源であり、そこにおいて手段を選ばないという点で評価されるべきではないでしょうか?
「女の情念」? 確かにそうかもしれません。しかし大半のメディアはそこを見誤っています。あくまで彼女のイメージは彼女がつくりだしているものです。そしてそのつくりあげられたイメージこそが「女の情念」 なのです。あくまで私が言っているのは、「女の情念」のイメージをり出す根源にあるものとしての「女の情念」こそが評価されるべきだし、魅力的であるということなのです。

はっきり言って私は彼女の作り出す詩の世界観に全くはまれません。
楽曲やリズムなどは素晴らしいと思うのですが、歌詞の内容が頭に入ってくると、どうもゲンナリしてしまう。
そしてその楽曲についても、オルタナっぽい音を織田哲郎まがいの歌謡ポップな音に強引に持っていくという、半ばいじましいまでの努力が見え隠れします。

これは、推測の域を出ないのですけど、彼女がいまのテンションのまま何年も続くとはとても思えません。いってみれば、今の彼女はメッキに塗られた状態でそれを才能と初期衝動によって支えているのに過ぎないのだから。
メッキがはげるのは時間の問題なのです。
けれど、実のところ私が期待しているのは、その「メッキがはげた」後の彼女の姿であり、そうなった後の謙虚で晴れやかな、でもちょっと病んでる林檎姫だったりするのです。

けれど、いまのメディアの騒ぎ方をみていると、なにか彼女が神格化されてしまって、自己陶酔の彼方へいってしまうような気がしてこの文章を書きました。

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