よい評論わるい評論
今さら言う事でもないのかもしれないが、最近やたら書店に並んでる「J−POP」がウリの音楽誌はヒドすぎやしないですか。
とりわけ、正体不明のライター達が書いてる評論めいた駄文、もうめちゃ腹立たないっすかあ!
自分は買わないし(怖いものみたさで立ち読みだけ)、いずれつぶれるからいいんだけど、善悪判断つかない子供達に悪影響だから、即刻つぶすべき。
いわく「いわば椎名林檎は中島みゆきで、宇多田はユーミンだ」「○○○の曲は、Em、C7、Gm7という、ありきたりのコード進行で特に目新しいものはない」「清志郎の曲はエレキ楽器をとりはらえばフォークだ」等々…だから結局、あんたら何が言いたいの?
私達読者は、まあいろんな人がいるだろうけど、一般にはより良い音楽をより良い理解の上で聴きたいがために、音楽誌を読むのが普通でしょう。
求めているのは、つまるところ「情報」なのだ。
「情報」と「評論」の関係を言えば、例えばロッキンオン・ジャパンで山崎編集長が「○○○がむっちゃ好きやねん」と「評論」すれば、それは「山崎編集長は○○○が好き」という非常に良質な「情報」の1つになり得る。
しかるに、先に挙げた悪例は「情報」になるか?否、ぜーんぜん、ならんじゃないの!
「評論」ではなく、野球解説者レベルの「思いつき」「戯言」「にぎやかし」にしかならないゴミだ。
椎名林檎を中島みゆきに例えて、それがいったい何になる?(だいたい、耳がおかしいんじゃないか。)
サルでもわかるように彼女の音楽性を解説したつもりでもいるのか、読者を馬鹿にしてるのか、書いてる本人が真性馬鹿なのか。
いったい、あんたは椎名林檎がイイと思うのか、趣味じゃないと思うのか、音楽誌に原稿書く立場として責任持って、はっきりしろ!
本レビューの「音楽評論、音楽雑誌のあり方について」で山本慎也さんがおっしゃってるとおり、愛情がない、もしくはキライなら無視して書かないってのが、1つの正しい物言いでしょう。
だいたい、このテのゴミライターのゴミ文を平気で載せるとは、音楽に愛情がない奴らが作ってる証拠。
直接言ってやりいたいけど、直接言っても理解できないだろうなあ。
じゃあ、奴らにでもわかるように言ってやろう。
「ロッキンオン・ジャパンを中島みゆきとすれば、お前らはチェキッ娘だ」
わっかるかなあ?
評論も結局人の感じ方だから「いいわるい」はないと思うけど、ここで糾弾した駄文は「評論」ですらないから、ゴミ扱いしていいのだ。