音楽哲学9909 〜いい音楽、わるい音楽〜
創刊号なので、いきなり大上段にかまえたテーマ(笑)
インターネット上で、意外とこのテーマについてのコラムや討論を見かけます
まず結論から、音楽にはいいものも悪いものもありません
但し、個々に好きなもの嫌いなものに別れると思います
よって、今回のテーマは「僕の好きな音楽、嫌いな音楽」です
「音楽」と一言でいっても様々な要素を含んでいます(パフォーマンス、アカデミズム、収集癖(笑)など)
このようなさまざまな要素の中で(もしくは制約の中で)「自由に」格闘すること、こそ音楽の本質だと思います
「音楽の魅力は自由」とはいうものの、現実の世界に真実の自由とは存在しません
最近、挌闘技の世界では「ヴァーリトゥード」という言葉が定着しました
目潰し・金的以外は全てが認められる異種挌闘技です
それはフリーファイトと呼ばれ様々なジャンルの挌闘家が参加しています
しかしそのファイト内容は決してフリーでないと思います
異種挌闘技という言葉から各々の挌闘家が自分の挌闘スタイルで戦うと思われがちですが、UFCという大会を通して「馬乗り、顔面パンチ、チョークスリーパー」というセオリーが完成しました
今では柔術家、キックボクサー、プロレスラーなど様々な格闘家が,この制約の下にアルティメットのリングに上がっています
この例からも、一見自由なように見えてもその自由事体が制約になることがあります
というよりも、そういう例がほとんどです
逆にそのことを認識した上で、制約の中で遊ぶことの方が、「自由」という言葉の意味により近づくための方法ではないかと思います
(自覚していない制約を受けている人間程見苦しいものはない、と思うのですが特に最近のASAYAN系のアイドル達に多い気がします)
かつて坂本龍一が、
「”自由な教育”といわれる教育を受けているアメリカの学生よりも、より画一的な教育を受けている日本の学生の方がより独創的なプロダクツを生み出している」と言っていました
このような社会になってしまった今、本当の意味での「自由」を考え直さなくてはいけない時代に来ているのではないかと思います
ここで、本題に戻します(長かった・・・前置きが)
「僕の好きな音楽、嫌いな音楽」ですが、
好きな音楽は、そういった意味での「自由な音楽」
嫌いな音楽は、そういった意味での「自由」を束縛する音楽もしくは、制約を認識できていない音楽です
monthly MUSIC MAGAZINE
monthly MUSIC MAGAZINEは、
竹谷裕平が自らのホームページで
勝手に連載しているコラムです