your RO's report
今回のテーマ:中村一義:太陽
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こちらのテーマは終了致しました。
聴けば聴くほど、太陽に照らされてできた影の方に気付かされるアルバムだと思います。
もっともっと多くの人に聴いて欲しいなぁ。

もじゃこ

 『金字塔』がまさに金字塔であっただけにその期待が大きすぎたためか買った当初はあまり聞かなかった。
そしてその存在を忘れかけていた頃、ふと聞いてみるとこれはこれでかなりよいのでは、と思えるようになった。
それが彼の成長記録なのだから。そして今でもいいだし汁を出し続けてる。
 今日、中古レコード屋で山積みになっていたのは非常に悲しかった。

マラカス toshihiro@msb.biglobe.ne.jp

 「太陽」は中村君の製作期間八ヶ月の間の心のドキュメンタリーであり、僕はいちファンとして
それに触れることができてなんだか嬉しかった。混迷の時から、やがては日の射す方向を見つけて、
そっちに向かって歩き出す、っていうのが「太陽」の中にある流れだと思う。個人的には「いつも
二人で」の等身大の言葉でつづった愛の表現が好き。世にラブソングはたくさんあるけど、どれも
どこかで聞いたような言葉や、言葉そのものに酔って使ってるような表現が多くて、全然心に何も
伝わってこないけど、「いつも二人で」の何気なく二人で外を散歩しているかのような、そんな
とても飾らない、かっこつけない、でもやさしくてきれいな言葉には「愛」があると思う。
 きっと次のアルバムではもっと幸せな言葉が溢れているだろう。

COCORO peacefulworld@geocities.co.jp

 「虚無を埋めるのは抒情(リリシズム)だよ。太陽だなんて言ったりするけど、そんなもの
持ってきたって意味ないんだ」――とは、太宰治。けれど、中村一義の太陽は虚無を埋めて
輝く太陽ではなく、虚無さえも輝かせてしまう太陽なんだと思う。
 「金字塔」「魔法」「永遠」そして「太陽」と、まともな思考回路のどこかがひきちぎられたかの
ような言葉を連ね続けているにもかかわらず、中村一義の音楽が陶酔感や酩酊感ではなく、
限りなくリアリズムに近づいていくのは(おそらく、これが小沢健二との大きな違いなんだと思う)、
常にその傍らでパックリと口を空けて待っている虚無の闇から目を逸らすことの無意味さを
彼自身が誰よりも知っているからなのだろうと思う。闇を正視できない瞳には、光もまた眩し
すぎるのだということ。
 「泣き顔も笑顔」もならば、笑顔が泣き顔へとなすすべもなく反転していく危うさを中村一義が
知らないはずはない。けれど、そうした危うさを百も承知の上で、それでも「泣き顔も笑顔」と
歌い切ることの方へ新しい一歩を踏み出す「野蛮な意志」。私が中村一義から受け取る感動の
本質(エッセンス)は、まさにその野蛮さにある。
 だから、いつの日か、今の野蛮さそのままに、中村一義が「人間失格」と歌い切ることが
あったとしても、そのことがこの『太陽』の感動を裏切ることになるとは思わない。中村一義の
音楽の魔法は、そこで歌われる光輝く世界にあるのではなく、それを歌うことの野蛮さにこそ
あるのだから。

スナフミン sunafumi@aol.com

『太陽』はなんかおいてかれた感じ。「ちょっと待ってよ」なんていう。でもさ、中村君とわたしが同じ
ように進んでるわけじゃないので、そろそろあきらめもつきました。『金字塔』も消滅したわけじゃないし、
しかたのないことです。

NAO

「そうだ、過去、未来も超えて、列車は走るよ。体が錆びていたって、そこで、笑って会えるようにと」
−98年はこんな年だったのではないか。97年はまさしく「OKコンピューター」な年だった。
もう「絶望」というものから、僕らは逃げることはできない。「じゃあ、僕らはこの中でどういきてくべきか」
−98年、答えはこうだった、「絶望の”望”を信じる。」、この言葉に尽きると思う。今年はそんな作品が
多かった。バーナード・バトラー、ホール、アッシュ、R.E.M.;ファットボーイ・スリム、エリオット・スミス、
・・・たくさんの「光」がすべて同じところに向かって放たれていた。「嬉しい偶然」だ。そして、これを
もっとも僕らに近い距離で放ってくれたのが、「太陽」だった。正直、このアルバムに違和感はたくさんある。
「そこへいけ」はやっぱりきついし、「笑顔」もなんかすっきりしない。「生きている」もなんか開放感がない。
でもこれこそが今の僕らなんだと思う。みなさんはどうですか?くもりなんか一つもなく笑えますか?恐らく
みんなブルーにこんがらまったまま生きてるんじゃないでしょうか。だからこそ、このアルバムはとても身近に
感じます。ミッシェルのチバもがなった、「振り返らず、錆びた風は続くだろう。ざらつくダニー、かき鳴らして
いくんだろう。」、そしてこの「太陽」は僕らを照らしてくれた。とても暖かかった。うん、そんなアルバムです。
なんか、硬い文章になってごめんなさい。ほんと、いいアルバムです、はい。

テラモト タカヒコ teramoto@po.teleway.ne.jp

私が音楽を一番集中して聞けるのは、電車の中。それまで通学中1時間、ディスクマンを占領して
いたのは荒井由実の「ひこうき雲」だったもんだから、毎日死にそうな気分で学校に着いていた。
それが「太陽」へとバトンタッチした途端、ばら色の人生真っ最中の気分で一日を始めていた。
何故聞いてるだけで楽しくなってくるのか、とにかく外に出よう!と思えるのか。音だけで人の感情を
ここまで高揚させるこの音楽はなんて素晴らしいのかと思う。特に「笑顔」は歴史に残すべき名曲で
あると思う。こんな素晴らしい曲を知る事の出来ない人たちと、まっとうな扱いを受けないこの曲が可哀相だ。

http://plaza20.mbn.or.jp/~snowkidz/kotoba/index.html

志村由紀子 honeybeen@geocities.com

あなたは太陽を見つけたのですか。いつも私たちを照らしていた太陽はこの先も照らし続けて
くれるの?雲に隠れて。涙に隠れて。それでも歩き続けて。あなたは太陽を背負い続けて。
どこまで行くのですか。どこまでも行くのですか。

アンズ asami155@msh.biglobe.ne.jp

「中村一義」は僕にとって最高のサクセスストーリーだ。同時代、同じ年齢を生きる者として
素直に嬉しい成功だが、嫉妬する以外の何者でもない。
 中村くん評で気づくのは、たいてい自分と中村くんを比較してる点。音楽面以外でリスナー
がミュージシャンと自分を「比べる」なんて行為は今まで無かったことなんじゃないか。僕も
比べた。やっぱり負けた。でもそれは自分から何かやってみての勝負だろうか?
 中村くんは結果を出した。のに対し、僕は何も結果を出してない。これじゃ勝負は明らかだ。
「太陽」は結局、僕をハナから相手にしていない。他者を救いあげるアルバムかもしれない。
が、そんな意図などないだろう。好きで好きで聴き込んでいるが、今のままでは負けっぱなしだ。
 なにかやらなきゃ、永遠に「中村一義」には勝てない。悔しいけど、僕にとって一つの物差し
だ。「伝統NO、ほらボス落とせ!」その通り。「列車は走るんだ」その通り。
 音楽を勝ち負けで聴くなんて聴きかたとして最低なのかもしれない。でも中村くんの詩の言葉
には一つ一つムキになってしまう。今作は特にそう。俺の23、24歳ってなんだ?同年齢から
突き詰められた音の刃。ぬるい音など無い。「太陽」はいいアルバムだ。

があ ki-ku@pop16.odn.ne.jp

「殺風景よ、さよなら...。」(3曲目「再会」)文句なしに昨年度ぶっちぎりの最強フレーズ
だわ。うざったいちまちました音楽シーンをニコニコサクサクなぎ払うかのよう。思考停止
しちゃいかんのだが、これはもう笑うしかないでしょう。

古本 英幸 echobell@urban.ne.jp

 頑固かもしれないけど、わたしは『金字塔』のほうがすきだった。ぎこちないけど一緒にい
るかんじがしたけど『太陽』は眩しすぎるかんじがした(笑)。でも中村一義が笑えるように
なったならそれでいいし、私達にはかんけいないことだから。
 確固たる信念や考え方も変わることがあるということ。

むり

 困ったことに「太陽」について語ろうとすると「生きることの喜び」とか「みんなとただ
『存在』することの素晴らしさ」なんていうかなりなフレーズが映画の予告編の遠慮会釈の
ない字幕のように脳裏を飛び交って動揺してしまうのだが。

 いやいや、この場合はそれで良いのだ。きっと。

 中途半端な「人生讃歌」が巷に横行した結果、そんなもん信じられるかという逆ギレ的結論
を叩き出してきたのは僕だけじゃないだろう。それでも、いや、それだからこそ、今だからこ
その「太陽」なのだとも言える。
 「魂の本」から「いつも二人で」まで、一曲たりともテーマにズレはない。
 かつて示し得た金字塔という鮮烈な「個」性から才能を普遍性の開闢にぶつけた太陽という
「共」性。
 共通するものってなんだ?「存在すること」それだ!そしてそれだけだ!
 というわけで、彼が歌うのは「存在讃歌」だ。間違いようがなく、確かなモノ。それは僕と
あなたの存在、とそれを縫うメロディだった。このメロディは強い。

 インターネットで青酸買ったり飲んだり飲ませたり。以前はなんとなくそういうのにも納得
気味だったが、今ははっきりと「アホ!」と断言できる。「太陽」を聴け!「日の出の日」を
聴いてみろ!
 「生きている」ってことは、めちゃくちゃにお得なんだ!

さく katsumi@tokai.t.u-tokyo.ac.jp

中村一義は確かに次世代を担う才能を持つ一人だと思う。「太陽」も確かに傑作だと思います。
ただ、ジャーナリズムの過剰とも言える彼への反応といっぱんのリスナーの温度差が気になります。

うにへい

■ I care because you do
 97年、中村一義との出逢いはとてつもない大事件だった。電気グルーヴやコーネリアスが意
味を排除したグルーヴを追求しフィッシュマンズやサニーデイが「メタ」がつくほどの閉じき
った宇宙や日常のサウンドを提示していた94〜96年。まさか次の年に「みんな」や「永遠」や
「愛」をリアリティのある言葉として鳴らせるミュージシャンが出てくるなんて誰が予想でき
ただろうか。
 虚無や諦念や覚醒や無秩序やイカサマや享楽が尤もらしい顔をして幅を利かせていた季節に
その全てを殺し、自分の行く道を高らかに宣言し、革命家のように聴き手一人一人を大いに煽
動させたデビュー曲、「犬と猫」。疑問と享楽の渦の中にあって、「みんな」というもはや誰
の耳にも届かなくなった言葉に普遍性、肯定の光を与えた「謎」。笑顔や涙や別れや愛を「全
て」というタームで真摯に祈り続け、見たことの無いほどの高い地平へと昇華させていった
「永遠なるもの」。
 彼のファースト・アルバム、「金字塔」の全てを聴き終わった後、僕は思いっきりクラクラ
ときた。サイケデリックってのはこういうコトなのか。音楽にはここまでの力や魔法があった
のか。大げさだとか暑苦しいとか自己啓発セミナー帰りとか言われても、それでも熱弁するほ
ど中村の音楽には強権的な絶望とか否定とかニヒル、それら全てを覆い尽くす程の肯定性の
力、深い疑問符が散りばめられていたのだ。
 だがというか、だからというべきか、次に中村一義がどんな曲を作るのかは期待以上に不安
でもあった。ファーストの段階でこんなアルバムを作ったら、あとは「カリスマ」とか「天
才」とか「吟遊詩人」とか「救世主」とか言われて、色んな荷物を背負い込み過ぎて窒息死し
てしまったり、彼岸に行ったりするのでは無いのかと思ったのである。
 が、セカンド・アルバムの「太陽」を聴いて、そのような考えが過剰な思い込みに過ぎなか
ったと気付いた。「金字塔」で状況が裂いた部屋から土手へと向かった宇宙人は地上での生活
や風景にすっかり馴染んでいたのだった。タフ・ガイ!!太陽が昇って沈むまでの時間や移り
ゆく季節の中で中村一義が見たモノが今回のアルバムにはたくさん詰まっている。それはある
人にとってはどうってことの無いありふれた日常の風景なのかもしれない。「君」と出会える
喜びとか晴れた日の太陽の日差しを見上げて目がチカチカする時のこととか。それ故に、一聴
すると「金字塔」で見せた魔法の力が弱くなってるような気もしたが、僕はこの作品も大好き
で、何度も繰り返し聴き続けると思う。
 デヴュー後の様々な評価を無理に背負うことなく、誰かと過ごす何でもない時間すら抱きし
めていこうとする幾つものメロディー。時節、見せるぎこちない笑顔や観念的な言葉を見ると
天才バカボンよりも藤子F不二雄、もしくはバタ足金魚という感じだが、そんな弱いながらも
結構勇ましく、魔法の力を信じ続け、様々な付加価値を捨てて歩き出す中村の姿を見ると出会
えた喜びとか生まれる奇跡にすら感動をするのであった。特に「生きている」の幾つもの時間
をくぐり抜けた末に辿り着いたオプティミズム溢れる世界観はこれからの中村一義の行き先が
見えてくるようで本当に素晴らしい。
 手を振る相手を求め、出逢い、そして二人で過ごす時間を大いに祝福する一枚。中村一義は
やっぱり凄いヤツだった。

ヤマダ popgroup@dc4.so-net.ne.jp

自分のホームページも書きましたが、とにかく最近はなんだか「かなしみ」ブームで、
暗くて寂しい孤独な音楽がもてはやされているような気がするのです。
そんな時代にうりゃあとやってやったのが『太陽』で、圧倒するほどの
生命エネルギーを放出しています。「生と死は等価値」なんてんなバカなことあるかい!
そうだそうだ!いくぞ!がおー!!
我がホームページ『地平線騒ぎ』にもどうかゼヒおいで下さい。

『太陽』レビューページ
http://www2u.biglobe.ne.jp/~bashi/music.htm#taiyo

舟橋 真 funabashi@msj.biglobe.ne.jp




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