あんけと。


今回のテーマ:スーパーカー「Futurama」


今回の「Futurama」は傑作だと言い切れる.買ってから少し経つけど全く色褪せてこないし,
さらに心の更に奥へと入ってくる感じ.心の中で光が瞬いてるような気分になれる.
タイトルから革新さを求める人も世の中にはたくさんいると思うよ.でもそれ以前にこのアルバムは
気持ちいいのは誰も変わらないと思うなぁ.これ買いに行ったとき店の中で流れてて,
CDを手に踊りながらレジまで行ったくらいだし.
雑誌でもナカコーは言っていたけど,本来2ndは踊れるようなモノにしたかったみたいなんだけど,
結局は頭でっかちのようなモノができた(言い方が悪くなってるけど十分素晴らしいアルバムでした).
それは本人たちの経験不足なり機材の面のことなりがあったんだろうけど,今回で自分たちの今までを総括し,
聴き手にちょっと先のコトを見せてくれた.それから先はまた別の誰かが大きく開いて見せてくれるはずだし.
聴き手も「音楽」を「音学」にせず,今流れているモノを素直に受け止めることが大事だと思います.
そのうえで少しの希望を抱けば儲け物だし.

stds


今まで、ずっとスーパーカー聞いてきたけど考え方を改めなくちゃいけないんだと痛感した。
なんか最初聞いたとき買う気が出なかった理由も分かった。やれプライマル、やれマイブラ-
レディオヘッドなどなど...。間違えでしたね。戦う土俵自体が間違っていた。やっぱ日本人だよこいつらは。
こうやって書くのには勇気が要るけどYMOだった。はっきりいってまだまだだけれど。YMOはロックだと思うし、
日本人の鳴らす世界のロックを始めてやった人達だと思う。そう思って聴くとものすごくシックリくる。
1stからの流れを考えても納得いくと思う。まあYMOファンが聴いたらぶん殴られること間違いないけど。
KODAI−細野さん、JUNJI−教授、NAKAKO^−幸宏さん、MIKIちゃん−矢野さん。
ぶはー、文句うけつけるよん。いけるのかオイ。

ATOM-AGE


待ちに待ったスーパーカーの3rdアルバム。タイトルはfuture(未来)とpanorama(全景)を
組み合わせた造語で、とりあえず発売日前からタイトルで大体の内容は想像できたわけだけど、
実際はと言えばこれが想像以上の出来だ。多分、巷では最近流行り(?)のポストロックへの
接近だなんて言われるんだろうけど、確かに今作は前作以上にナカコーの一音一音への
こだわりが見られる。特にアルバム前半の曲はレディオヘッドの新作にも通じる細心の注意が
はらわれた音の処理が顕著だし、曲間を省いたコンセプトアルバム的な構成は正解だと思う。
ただ、これはレディオヘッドにも言える事だけど、別に音そのものが新しいわけでは全然ないと思う。
いわゆるロックファンからしたら聴いたことのない感じというだけ。新しい音楽を聴きたいなら他の
アーティストを聴いた方がいい。(インドープサイキックスとかね)。
でも、そもそも僕らは一体いつから音楽に「革新性」なんてものを求めるようになったのだろう。
今回のスーパーカーは「普通」にいい音楽を作っただけ。それが大切だし、それが全部だと思う。
だからこそ、一連のポストロック(音響派)勢と一線を画するのは、やはりそのメロディセンス。
アルバム後半の楽曲群はナカコーのソングライティングの面目躍如といったところだ。
そして、もう一つ注目すべきはジュンジの詞に微妙な変化が見られる点だ。言葉遊びは相変わらずだけど、
今回は微妙に体温が熱い感じ。何しろ、「実際、この愛以外に失うものなんてないから」(”Easy Way Out”)
とか「何をどうも出来なくたって胸に愛とあつい思いを」(”Karma”)だなんて、ちょっと感動的じゃない?
スーパーカーがファーストアルバムを出した時、一体誰が彼らのこんな進化を予想できただろう?
青森で鳴らされた純白のギターポップは、いつのまにかこんなところまで来てしまった。
M2”PLAYSTAR VISTA”に耳を傾けてみればいい。ここには90年代の最初に鳴らされたマイブラの『ラブレス』と
プライマルの『スクリーマデリカ』に対する20世紀最後の返答がある。90年代の混乱と興奮の果てに聴こえたのが、
こんな音楽だったなんて最高じゃないか。深く深く沈み込み、そこで覚醒する意識がトランシーなリズムと
奇跡みたいなメロディに昇華される。聴こえる?未来の音楽が。そう、これが『Futurama』(未来の全景)。

かず   HP


まだ試聴の段階なんですけどね、今までスパカの音源なんて試聴の途中で「はー別にいいや」
って感じだったけど今回はなんか引っ掛かりますね。路線変更は良いと思う。
でも音楽とは関係ない意見でなんなんだけど、なんか10代でデビュー出来る子達てのは
なんとなく恵まれてると思えて、簡単に恵まれちゃダメだ!なんて思ってこいつらにすぐ金を落として
甘やかしちゃいけない!って思って、CD買えないんだねぇ・・・。

どくまむしパイ


今日、初めて聴いた。期待がかなり大きかった分だけショックも大きかった。
最初に思ったのは「新しくないやん」。カッコイイことはカッコイイんだけど、なんか、期待外れっていうか。
プライマルと比べちゃダメだろう。当然、レディオヘッドも。

ノリダー


前作の時からそうだったけれども、もうこのバンドを単にギターポップなどとは絶対に呼べない。
もっと幅広く、音楽そのものと言ってしまっていいだろう。メロディーも、声も、言葉も、ギターも、電子音も、
アルバムに詰まっている音の粒子のなんときらめいていることか。音楽の密度は限りなく高くなり、
反比例するように言葉は記号化し、断片的になっていく。音楽そのものが広げるイメージの前に、
言葉は邪魔ですらある。そこまで純粋に音楽の力と可能性を追求したアルバムだと思う。
真っ白い光の中を空に向かってエスカレーターで上がっていくような、そんな高揚感に包まれたアルバム。
気持ちいい。特に冒頭から中盤、「ReSTARTER」あたりまでの流れはまさにそう。逆に終盤にたたみかけられる
エモーショナルで、ややダウナーなメロディーは、明るすぎる光が照らした影のようなものじゃないだろうか。
しかし、その影にしても虚無やネガティブというイメージからは程遠い場所にある。
多分、というか絶対、彼らの中にも絶望はある。それを無視してるわけでも開き直ってるわけでもないのだ。
それは前提なのだから。元からそんなことどうでもいいと思ってるんだろう。些細なことだと思ってるんだろう。
もっと大事なことは他にもあると。その大事なことを彼らは(というかナカコーという人は)音楽で表現しようと
しているのじゃないだろうか。そんな気がした。分かったふりして絶望を鳴らすやつらが100万光年かかったって
たどり着けない場所に彼らはいる。

まぐろ   HP


ジャケットデザインそのままの恐ろしく美しい音響の世界。先行シングル「White Surf style 5.」で
予告されていたとはいえ実際に全16曲を突きつけられるとただただ呆然とするばかりだ。
マイブラの大傑作「loveless」を思い浮かべてしまうのは僕だけではないだろう。だが決して
スーパーカーはマイブラにはならない。一般的な政治的マニフェストからはるか遠いところで
放たれた(いや、一般的な政治的マニフェストを回避しようとして言葉を選んでいったらそれが
本質だった、と言うべきか)メッセージの洪水はひたすらに痛い。この作品を聴いていると渋谷陽一的な
「ロック」というものはスーパーカーにとってどうでもいいものだという事を改めて実感する。
一日一日を生きていく事。「NO MUSIC NO LIFE」なんて事を言ったのは誰だ?「5歩」だけ前に踏み出せばいい。
そこには真っ白な未来があるかもしれない。

REZ   HP   レビュー


スーパーカーは音楽、というかロックに対して真摯な姿勢を崩さない人たちである。
それはレディオヘッドやプライマル・スクリームも同様だ。トム・ヨークの「ロックは退屈だ」、そして
ボビー・ギレスピーの「ロックは死んだ」という発言たちも、彼ら自身がロックに拘り続けているということの
裏返しであり、その発言ゆえに彼らこそ真のロックであると私たちは思わずにはいられない。
既成概念からの逸脱(逃避と言い換えてもいい)こそをベクトルとしていたロックが既成概念の範疇に取り込まれ、
侵食されてしまった時代。私たちの生きる時代とはそんな時代であり、だからこそロックはロックを敵にするという
自己撞着を引き起こしてしまった。メビウスの輪のように同じところをグルグル、ぐるぐる回り続けるロックは「退屈で死んでいる」。
そんなとこで何か始まるわけがない。

「例えばべックとか聴いてても、確かにベックはあたらしいなあと思ったけど、それは過去のものとの
組み合わせが新しかったっていうか、その新しさはすごいと思うんだけど、結果的にそれは『古いものがあるから
新しいものが成り立つ』っていう、それに対して...やっぱりそれをかえなきゃっていうのはあった」(cookie scene vol.16)
ナカコーはインタビューでそう答えた。ポスト・モダンというすべてが生み出され、すべてが似たようなものに
なってしまう社会的な背景があるにせよ、いやだからこそ「新しい何か」にロックは向かうべきだった。
それをレディオヘッドもプライマルもスーパーカーも「デジタルの地平」から始める。
以前BUZZで「ロックがダンスを喰ったのか?ダンスがロックを喰ったのか?」という企画があったが、編集長(当時)の
鹿野淳は「ダンスもロックも同じように喰ってしまう僕らの前では一層、答えのない問題として残りつづけるだろう」と
お茶を濁しているとしか思えない結論を出している。そんなもんは安っぽいロマンチシズムで塗り固められた嘘だ。
ロックもダンスも喰ってしまった僕らだからこそ、ロックがダンスに喰われてしまった事を痛いほど実感している。

先日スーパーカーのライブに行った。「今日は踊ってってください」とベースのミキは事も無げに言った。
そしてステージ上にはVJの作りだす映像世界と照明の生み出すひかりの世界。そこは当にダンスフロアだった。
ぼくはデジタルとロックの融合を諸手を挙げて賛美するはつもりなんか毛頭ない。しかしそれが今最も「新しい何か」で
あることを否定する人がいるだろうか。
とりあえずロックはこの地点に立つ必要があった。そうしなければ「新しい何か」なんて夢のまた夢のものだから。
レディオヘッドとプライマルとスーパーカー。それぞれの地平の先にあるものは果たして何なのだろう。
それが「新しい何か」であることを私たちは祈ることしかできない。

★記憶の増大★   HP


前からスーパーカーの音は好きで、アルバムは毎回楽しみにしていたのだけれど、今回のアルバムは、
もうほんとに私の中ではジャストな作品になっていました。彼らほど、自分達の好きな音を
上手く取り入れて、あんなに心地よく鳴らしてしまうバンドはいないんじゃないかと思うぐらい、良い感じでした。
ひとつかふたつしか歳の変わんない彼らが、こんな素敵なアルバムを作れちゃうなんて、ほんとにうらやましい。

橙色


何処まで成長するか、心底楽しみな日本のバンドの一つ。スーパーカー。
知ったかぶりが一切無い所が気持ち良い。

eid


アルバムごとにこれだけめまぐるしく”変われる”バンドは少ない。「フューチュラマ」に限らず
スーパーカーのアルバムを聴くと希望が感じられる。
嫌なことがあっても明日からはやっていけそうな気がする。

モドキ


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