Fold Your Hands Child,
You Walk Like a Peasant.


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12 : louis '00/08/06(日) 23:22:10
そんなベルセバですが、ちょっと前にある人から、
11月に来日するかもしれない、と聞きました。
来日したらどこで演るんだろう。

11 : ブライアン・エノ (b&s) MAIL '00/07/25(火) 01:03:48
 どの曲もバカみたいに好きだけど、このアルバムで、ベル&セバスチャンの全ての曲の中で最も好きだって、素晴らしいって思わせたのは、このアルバムのラストを飾る「THERE'S TOO MUCH LOVE」だ。今までと変わりなく彼等の曲は、というかスチュアート・マードックの詩は
残酷で、どうしようもない現実を歌っていて、そんな現実を否定することなんてできないと
わかっているから、肯定している。嫌なくらい克明に描いて、時には救って欲しいと願うあまりに描いてしまった、現実じゃないとわかっている夢物語まで肯定している。なんとも救いがたいくらいなんけど、このアルバムのラストを飾る「TOO MUCH LOVE」が肯定したのは、あしを引きずりながら、不格好ではあるけれど、「愛がいっぱいでクラクラしている」自分自身
(スチュアート・マードック自身)だった。
 ここが一番グッと来た。この瞬間が一番魅せられた。ロックの革命の瞬間とかそういうんじゃなくて、こういった瞬間は誰にでも訪れるもので、一番僕の琴線に引っ掛かって、響いた。
 ベル&セバスチャンが、スチュアート・マードックがどん詰まりの現実/自分を肯定し続けて、し続けて、「THERE'S TOO MUCH LOVE」で見えてきたのは今までで一番不確かではあるけど、力強い未来で、それに魅せられたスチュアート・マードックは「愛がいっぱいでクラクラしている」自分を、不確かだけど、行ってみたい未来の方向に自身の靴の先が向いていることを
肯定してるように思った。
 このアルバムを「THERE'S TOO MUCH LOVE」で締めくくった現在のベル&セバスチャンを
心底、生で観てみたいって思う。もし観ることができたら、きっとボウリー・ウィークエンダーのラストで魅せた「THE KIDS ARE ALRIGHT」のときよりも強力なんだろうなぁって、ビデオでしか観たことないけど、そう思って、来日を切望してます。
 

9 : CHAN '00/06/27(火) 18:39:52
若干前作の雰囲気とは違うし。うーん。個人的にはアルバム全体の音の雰囲気では「THE BOY WITH〜」のほうがいいかな。でも歌詞でなんぼのもんやから歌詞を見ながら聴くとこっちの方が感動する。やっぱベルセバはすげーや。

8 : 私の中の誰? '00/06/24(土) 09:44:46
思えば、最近英国を席巻したバンドってオアシス〜レディオヘッド〜ベルセバ〜トラヴィスと、いずれも「闘争」モードとは程遠い連中ばかりだ。もちろんそのスタンスは様々だけれど、そこにはいかにもロック的な反骨とは異なる新しい共通地平が広がっているように感じてしまう。
でもその景色って全く目新しいものじゃなくて、実は昔から手のとどく所にあったものなんだよね。上昇志向も自己嫌悪もトラウマも呪詛の言葉も沸き上がってくるけれど、今自分達に残されているのはただ日常を生きるということ。
ベルセバの新しくて懐かしい音は、そのあたりまえの認識を叩き付けてくれる。
(ってちょっとクサかったかな)

7 : つばくろう MAIL '00/06/16(金) 15:46:40
いつも、もし自分が十年前にうまれてたら、ローゼスのライヴがみれたのに。
とずっと思っとったけど。今はベルセバを見たいと思う。
僕はベルセバ世代なんやろか。
聞いてて、やっぱりとても心地いい。(詩はあんまりすきじゃないんやけど)、純粋に
共感できるメロディがうれしい。
毎日、おもんないし。最近は本当についてなかったりしてるんやけど。
それとは別に、こういう音楽に出会えてちよっぴり、励みになるし。幸運だと思う
日本にこんかなー。こないやろうけど。
最後の曲、めっちゃかっこよかった。俺もグラスゴーいきたくなった。

6 : オカザ MAIL '00/06/09(金) 02:02:21
僕は22歳で大学の四年生で、そうなるとやはり世間一般で言うところの就職活動をしなければならない。もちろん僕もやっている。正確に言うと、やっていた。というのも先日、ある会社から内定をもらったわけで、まあ、コレを持ってぼくの就職活動は終わったからだ。めでたしめでたし。
 ちょっとばかり自分のやりたい仕事とは離れてしまったが、まったく違うわけでもない。これでヨシとしよう。大体この世の中の何人が100パーセントやりたい仕事に就き、100パーセント望む人生を歩めるというのだ。僕はそこそこやりたい仕事に就いて、そこそこ望むような人生を歩める。それでいいじゃないか。本当ににそう思う。もう、子供じゃないんだ。

 ベルアンドセバスチャンの新しいアルバムを聴いた。胸が痛くなった。でも、泣かなかった。泣いてしまうには幾分僕は若かった。だけどこの先僕は、間違いなく年を取る。そして、人生の多くの部分を「それでいいじゃないか」と言って、妥協していくのだ。彼らはきっと「それでいいじゃないか」なんてこの先も、ずっと言わないだろう。そして僕は、やがて彼らの音楽が聞けなくなってしまうのだろう。私のなかの悪魔が、成長してしまって。

 このアルバムを、そしてベルアンドセバスチャンを僕は後何年聞けるんだろうか?そんな事を思うと、やっぱり涙があふれてしまったが、気づかなかったことにしよう。

5 : 銀の薔薇 '00/06/08(木) 09:34:42
最近,車の中でも自室でもかけているのはいつもベルセバだ。
思うにベルセバはスチュアートと女性ヴォーカルの声とバックの音(これがまた
綺麗すぎるほど澄んでいる、特にヴァイオリンのような調べの多用は実に上手い)
が何の違和感もなく、無理もなく、解け込んでいることがその魅力の大きな鍵のような気がする。
「聴いていて気持ちがいい」
「やんわりとこちらの情感を高めてくれる」
例えば、醜い言い争いをしている夫婦や嫁姑にベルセバの音楽を聴かせてみてはどうだろう。たぶん、全く洋楽を聴いてこなかったとしても、傍でこの音楽が鳴っていれば、自然とそれまでの憎悪の感情が和らいでくるのではないだろうか。
音楽とはある程度、自分の日常とリンクしていなければ意味がない。聴いていても
どこか空回りだろう。ベルセバは醜い自分、鏡の中の自分の悪魔、を全て肯定してくれている。そして、あえて、現実を耽美な空想トリップなどで施さず(これらの楽曲のアレンジの何とシンプルなことか)、真っ直ぐに真摯に、完璧に綺麗なメロディをもって更に輝かしい明日へと塗り替えてくれる。
「過ちは何度でもいいよ、でもそれに固執しないで。踏みとどまらないで前進して」そんな風にも語りかけてくれている。
かつて、こんなにも優しく、こんなにも説得力のあるバンドが存在しただろうか。

4 : まぐろ MAIL '00/06/06(火) 11:19:51
「癒し系」という言葉が嫌いだ。何が気に入らないかというと、「癒し系」という言葉が持つ
何ともいえない曖昧さ、言葉の持つ意味そのものを曖昧にしてうまいこと逃げおおせてしまおうと
いうようないいかげんさに違和感を感じているのだと思う。
「癒される」って、誰に?何に癒されるの?そもそも何を癒されるの?病気・傷・苦しみ?そりゃあ、
生きていれば嫌なことだってある。苦しいことだってある。というか、生きるってのは苦しいこと
だろう。多分。28年も生きてきていまだによく分からないけども。僕らが毎日生きている苦しみや
痛みはそんなわけの分からない、曖昧な音楽や写真ぺらやなにやらで「癒されて」しまうほど単純
で浅いものなのだろうか。
悲しくなってくる。

一人の部屋で寂しいとき、寂しくて悲しくてやりきれないとき。どうするか。友達に電話をする。
誰かと遊びに行く。それでもいい。けど、それは曖昧な「癒し」でしかない。本質的な解決ではない。
パーティーの後はいつも虚しい。じゃ、どうするか。一人を楽しむしかない。一人を楽しむ方法を見
つけるしかない。それは痛みをともなう作業だ。当然だ。真の「癒し」とは自分を苦しめる、傷つける
様々な要因に真っ向から立ち向かってそれを排除することだ。戦うことだ。実体のない横道に逃げ
ることではない。

ベル&セバスチャンの新作。この音楽の先にはにははっきりと敵がいる。僕らを苦しめ、傷つける敵が。
断固とした意思を持って毎日を生きるために、そいつらと戦う覚悟。強い音楽。自分の弱さを確認すること
でもう一度立ちあがる勇気を手にする、そんな音楽。
自分を「癒す」ために、この静かなるアジテーションを聞きながら今日も僕はベッドの中でこぶしを
堅く握り締める。

http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Piano/1585/

3 : ぶひー '00/06/02(金) 15:58:23
1曲目のイントロ聞いたとき「あっ、やっぱりベルセバや...」って思った人、俺の他にも結構いるはず。個人的には前半部分より、6曲目以降の曲が好きです。それにしてもこれだけ美しい世界を音楽で表現しているのに、飽きさせない作りはさすがだね。

2 : REZ MAIL '00/06/01(木) 19:11:46
・・・変わらない。ベルセバは変わらない。だからこそ僕にとってベルセバはかけがえのない存在になっているのかもしれない。訪れることのない破状を頭に思い浮かべた時の興奮といったら!・・・一曲目のイントロ、そしてスチュアート・マードックが歌いだしたその瞬間の心の震えをどう説明すれば良いのか僕にはわからない。「相変わらず」完璧なバンドアンサンブル、そして「相変わらず」美しさの限界を突き詰めるかのごとく構築された音世界。これこそがベルセバのラディカリズムなのだ。これは決して甘い甘いBGMなどではない。今を生きる僕の歌だ。日常との軋轢を戦う僕の歌だ。
(from "君ノ瞳ニ恋シテル" http://homepage1.nifty.com/rez/

1 : 旅人 '00/05/26(金) 06:59:45
えーと、アルバムの音自体は、はっきりいってさほど変化が見えるわけでもなくて。
それに凄くダークな部分が出ているのに、聴いていてさほど胸が痛むわけでもなくて。寧ろ・・・。
例えば自分の中に汚れた存在を見出してしまっても、結局はその存在から逃れられる訳もなく、
それは時には遣る瀬無く息が詰まるほどだったり、どうしようもないんだけれど、
それでも生きるし、つまり前を向いて行くわけであって。
そんな中で最終的に『愛がいっぱいでクラクラしちゃうよ』と歌うこのアルバムは
やっぱりベルセバだなぁ、と思うわけです。

ごくありふれた風景に時々あらわれるクラクラするような美しい瞬間を
スチュアート・マードックはちゃんと知ってるし、私も知っている、つもり。
目は曇ったままじゃ意味が無いってことですね。
何をしようがされようが言われようが、見たくないものから目を背けないで、ちゃんと生きろ、ってね。