No.32 鑑真和上壽瀬津上陸記念の碑

所在地 佐賀県佐賀市嘉瀬町、佐賀県立森林公園内
建立 1990年11月
建立者 鑑真和上顕彰会、会長 福岡日出麿
設計 佐賀県
素材 御影石
補記

鑑真和上が日本に来る迄の話をテーマにした小説「天平の甍」の縁で碑文を書く。石川近代文学館では、毎年、井上靖の誕生の五月に、井上靖が寄贈した鑑真和上像を祭り、「若葉として」の碑文に因み、鑑真まつり、「若葉の五月の詩人祭」という行事を行っている。

ひとこと

森林公園の入口に公園内の地図があるので、参考にすると行きやすいと思います。大きな「鑑真和上壽瀬津上記念の碑」の隣に、井上靖の文学碑が建てられています。更にその隣には、遣唐使船(?)の舳先に見立てた船のモニュメントもあります。文学碑の原稿は、佐賀県立博物館に展示されているそうです。  (記:ばりばり蟹座)

画像 全景(98.9KB) 碑外観(116KB) 碑文(173KB)
地図 MapFan Web ロゴマーク ※この公園のこの辺りにあります。
碑文

若葉して
鑑真和上像 讃

鑑真和上は、日本を目指す苦難にみちた放浪五年の旅の途上、失明されている。日本の土を踏まれてから朝に夕に、和上の盲いた二つの御眼には、何が映っていたであろうか。旅の途上、相継いで他界した和上の高弟・祥彦の姿も、日本の僧栄叡の姿もあったであろうし、和上がその半生を埋められた古都、揚州の風光も絶えず、その瞼を訪れていたに違いない。併し、私は思う。鑑真和上の場合、その盲いた瞼に繁く載せておられたものは、やはり、まだ見ぬ日本ではなかったか。法のために、命をかけて、漸くにして、果たし得た日本との大文化交流である。大小の行事こそ華やかに行われており、その度にまだ見ぬ日本の山野が、日本の都が、日本の民がどうして瞼に載らないでいようか。

若葉しておん眼の雫ぬぐはばや

晩年の和上のお姿を写したと伝えられる鑑真和上座像(国宝)の、どこか悲しそうなお眼のあたりを、日本の若葉でぬぐって差上げたいというのが、この有名な句の作者、芭蕉の心であったのである。私も亦、この句の心を借りて、毎年五月には、奈良の唐招提寺を訪ね、鑑真和上像の前に立たせて頂くことを念願としている。

一九九〇年七月

井上靖

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