孤月蒼夜





静けさが満ちていた。


耳に触れるのは、木々の葉擦れの音や虫の声くらいのもの。
それは騒がしいどころか、より一層の静けさを感じさせる。


「・・・いい月だ・・・」


煌々と冴え渡る月は真円を描き、冷えた光を地上に投げかける。
その光を浴び、仄白く映し出される下界には、男が一人。

月を肴に手酌で酒を煽るその容貌は、月の光に似て。
冴え凍る怜悧な輝きは、他の者を寄せ付けない気高さがある。

そんな男に、声を掛ける者が在った。


「兄上、このような所におられたのですか・・・」


男によく似た容貌は、濃い血の繋がりを感じさせる。

兄、と呼ばれたのはかつての太政大臣、平清盛の四男知盛。
そして、知盛を呼ばわったのは、その実弟、重衡だ。


母屋では宴が開かれている。
しかし、男が在ったのは、楽の音も届かぬ離れの一角。

ひっそりと抜け出したつもりだが、目敏い弟はそれを見咎めたらしい。


「父上がお戻りになられた祝いの宴です。誰より私達があの場に在るべきでしょう・・・?」


死反の儀。
死者を甦らせる、反魂の術。

この世の理に逆らう、禁忌。


それによって父が還った事を祝う、宴席。


「父上・・・ね」


鼻で笑う知盛に、重衡は眉を顰める。
しかし、知盛にそれを気にした様子はない。


「太政大臣となり、位人臣を極めた方が・・・哀れなものだ・・・」


一度死したものが、全きものである筈がない。
父より先に甦った従弟がその証だ。

人の形をした、人でないもの。
所詮は妖。

それを、父と呼ぶのか。


知盛の口元が嘲りに歪む。


死人を引き戻したのは、残された者の嘆きではない。
此岸に残した心残りだ。

死という現実を受け入れられない、弱さだ。




―――この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたる事もなしと思へば




そう詠んだのは藤原の大臣だったか。
彼の一族も平家の末路も似たようなものだ。


「・・・月は欠け、花は散る・・・」


それこそが、理。
だからこそ美しい。

少なくとも知盛はそう思う。


望月が欠け、花が散るように。
高く舞い上がった蝶も、いずれは死し、地に堕ちる。

それは、初めから決まっていた事なのだ。
受け入れるしかない現実を否定したところで、事態が好変する訳ではない。


全てには流れがある。

流れを止めれば、水は澱む。
汚水に魚は住めぬ。


愚行は滅びを呼ぶ。


藤原家のように落ちぶれていくだけに止まらず、
おそらく平家は滅ぶだろう。

しかし、それで良いと思う。


平家が崇める幼い帝までもが、その犠牲になる事は痛ましく思う。

けれど、理を外れたものは理の世界の中では存在を許されない。
それは、平家の咎への報いなのだ。


哀れな程に愚かな一族だと思う。


しかし、本当に愚かなのはどちらだろうか。

縋るようにして罪に塗れる一族と。
それを止める事も、共に堕ちる事も出来ぬ己と。


最早、知盛の心境は諦めに近い。




「・・・・己の行く末くらいは己で決めるさ」




形を成した言葉は、知盛の胸中を巡る止め処ない想いに比べてあまりに少なく。
真意の読み取れぬ重衡は怪訝な表情を浮かべている。


「兄上のお考えは・・・私にはわかりません・・・」

「・・・それで、いいさ・・・」


向けられた笑みはあまりに遠い。
危うく、儚さすら覗くその姿は、酷く重衡を不安にさせた。


誰もが父が還った事に喜び、安堵した。
こんな顔をするものなどいなかった。



この兄以外には―――



基本的に何に対しても執着が薄く。
鷹揚に全てを受け流している癖に、恐ろしい程に物事を良く見ており。
河原の石の中から玉を見つけ出すかのように、どんな時でも見誤ることなく、真理を見出す眼を持っている人だ。

幼い頃から共に育った兄を、重衡はそう見ている。


だからこそ、不安を覚える。


平家の行く末。
そして―――この兄の行く末に。


そんな弟の胸中を察しているのか否か。

知盛は酒瓶を手にすると、空いた杯に酒を注いだ。
その中に、これより欠けゆく月が映る。


杯を傾けるのに合わせて、揺れる月。


千々に千切れた光を飲み干して、知盛が立ち上がる。
そして、重衡に背を向けた。


「兄上・・・!!」

「・・・俺は休ませてもらう・・・父上には知盛が詫びを申し上げていたとお伝えしてくれ・・・」


立ち止まる事なく、振り返る事なく。
一人歩み去るその姿は、彼の人のこれからを映しているかの様に思えた。




「兄上・・・貴方は何処へ向かわれるおつもりなのですか・・・?」




呟いた重衡の言葉は彼の人に届く事はなく。
冷たい水底のような、薄蒼い世界に溶けていった。


皆様のお陰で、聖亭は5周年を迎える事となりました。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

2005/11/09
聖亭 遠戸なのか

リク内容は一人酒知盛。
一人酒な部分は随分と少ないですが、
知盛があまり意識していないので、
うっかり重衡が居る事を忘れてしまいそうです。(私は)
拙宅知盛は、下手をすると重衡より繊細です。
でもそれを見せない人。

しかし、どんどん捏造度合が上がっていくな・・・。(笑)

2005/11/13


毎度の事ながら、いつもお世話になっている聖亭の遠戸様より
5周年記念のフリー小説を強奪してきましたv
知盛君は一人酒がよく似合う!!!!
己の欲望のままにリクをし、
欲望のままに強奪ですv
おほほほほ。
やはり毎度の事ながら、
ワシのサイトに飾って良い物か…つー素敵加減でございますv
でも強奪しちゃったしねvうふふvv