Selinunte                 
  古代ギリシャ時代の神殿群
Piazza Armerina                 
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  ピアッツァ・アルメリーナ
 ’00年12月、NHKのBS『ミレニアム中継「地中海」』という番組(’01年の年明けには総集編放映)をご覧になった方も多いはず。
 シチリアはピアッツァ・アルメリーナという街。そこから6キロ離れたところにモザイクに床を覆われた素晴らしいヴィラがあります。延3500uの床面に夥しいモザイクがほどこされているのです。番組で壇ふみがイタリア人に案内されて、このモザイクを眺め、その鮮やかな色調に感嘆するシーンがあります。
 私自身ほぼ同時期にここをおとなったので、何ともいえない郷愁にとらわれてしまったものです。
 ウサギのモザイクは、ほんのそのヒトコマ。どちらかというと漫画っぽい。石のテッセレ(小片)のグラデーションによって、陰影をつけるあたり、中世の宗教画よりも手法も、発想も、実に高等で先端をいっています。ここの看板といえば、ビキニをまとった少女たちが遊び戯れているモザイクですが、こうなるともう、風俗までがまるで現代そのもので、なんだか人間の生活は遥か古代からまったく発展していないかのように思えてしまいますね。↓
 タクシーの影すらないことに、ちっとも臆することはなかったのです。しかし、そう時期が時期だったのです。冬季は閉まってしまうホテルが多い。ホテルの場所を軽い気持ちで道端で果物を売るおじさんに訊いたところ、彼の「キウーゾ(閉まっている)」の言葉に愕然としてしまいました。↓



 この番組で恐らく壇ふみは取材用の車で難なく来たのでしょう。しかし、もしも個人で行くのなら、そしてレンタカーを使わないのなら、そうとうにアクセスが困難であることを肝に銘じたいもの。
 数年前にここ、ヴィラを見学したという友人がいます。彼女が言うには、見学時間が午前と午後に分かれているが、昼近くにカターニャからバスでピアッツァ・アルメリーナへ到着した彼女は、そこで初めて午後の部が15時からだと知ります。ここで時間を徒につぶす羽目となるのです。この情報はもちろん「地球の歩き方」にも掲載されていますが。
 そして、この街からモザイクまで6キロも離れていること。このこともガイドには載っていますが、問題は足がないということ。タクシー乗り場にはタクシーはまずいません。だから、近くのホテルからタクシーを呼んでもらうといいと彼女はアドバイスしてくれました。 
 ゆえに、14時半にパレルモからエンナ経由でS.I.Sのバスで到着した私は、いかにも住宅街という街、とてもモザイクがあるように思えない街に降り立っても、(右上へススム)
 
開いてるホテルはここから8キロはある云々。それではモザイクよりも遠いではないですか。私のあまりの失望ぶりから気の毒に思ったのでしょう、彼はアミーコを呼び、そのケータイで車を持っている知りあいを呼んでくれたのでした。
 そんな危険をかいくぐって訪れたヴィラは、大変な思いをして来ただけの価値がありました。ヴィラの外には何百台も駐車できるPがありますが、車のおじさんは「ニエンテ(一台もないな)」と言って笑います。夏は大挙して観光客がやって来るのでしょう。こんな季節外れに来ていろいろと不便もありましたが、ま、かえってゆったり見学できて良かったと思いました。
 ここでは、鉄骨で組まれた廊下をつたって、上からモザイクを眺める見学方法がとられています。砂埃をはらえば、もっとよく鮮明に見えると感じた。しかし古代ローマ最大と言われるモザイクのその広さ。ひとつひとつが小さなかけらと思うと、頭がクラクラしてきます。
 モザイクの制作は310-320頃とのこと。長いながい時を経た「今」も、当時と変わらぬ雰囲気を楽しめるのも、やはりモザイクという気の遠くなるような根気の勝利と言えますね。



  セリヌンテ
 セリヌンテ。シチリアの最も西のギリシャ人の植民都市。右下の写真に示す形状から、セリヌンテというと「ああ、あのバラバラの遺跡…」という漠とした印象をまず抱きます。
 そう、ここは紀元前409年にカルタゴ軍によって破壊され、その後ローマ軍からも破壊され、おまけにビザンチン時代に起きた地震で、壊滅的なまでに瓦礫の山と化した遺跡なのです。
 バラバラ。単なる石の山…。
 実際に行った人がそんな風に言うものですから、どんなものだろうという気持はありました。実際見てもこれといった感慨のない所のような…。
 私の場合、セジェスタ見学の後、ここセリヌンテをおとないました。
 どちらも地の利が悪く、しかしどうしても1日で両方をまわりたかったものですから、現地のイタリア人ガイドの車に乗り込みました。
 セリヌンテに来た時は16時少し前。すでに日が落ち始めていました。切符売り場で券を買い、神殿に続く道の入口で折りたたみ椅子に腰掛けたサングラスのおじさんに券にスタンプを押してもらい、上り坂を行きます。すると、すぐに一部修復の橋場の組まれた神殿が見てきました。赤みを帯びた柱。セリヌンテで最古と言われるC神殿(下/写真)です。どことなく雄大で堂々としている。柱の形もキノコを思わせ、ユーモラスな感じ。古代遺跡のシンプルさとたくましさがあります。↓
 私は、時間がないこともありましたが、どうしようもなく高揚してしまい、早足で目的地点めざして向かったのでした。犬も気がつけば走っていました。
 セリヌンテとは、ギリシャ人が「セリノン」と呼ぶ野生のパセリに由来するものだとガイドにはあります。
 この直前に訪れたセジェスタと比べると、観光バスは1台もありません。ただこのビアンコ・ストラーダを歩いていくのみ。そして歩くたびに、セリヌンテの中では原形をとどめたE神殿が大きくなっていくのです。↓




 この神殿のすぐそばには、海が広がり、沈みゆく太陽を徐々に呑みこんで行くのが見渡せます。遺跡の岩の隙間から、時折のぞく黄緑色のトカゲ。砂地を大きな黒い虫がと這っていく。何とも言いがたい感慨に囚われます。
 しかし残念なことに、ここは17時には閉まるので、ゆっくりとしてはいられません。気を取り直し、E神殿の待つ方向へと進みました。道に迷うことはありません。ガイドが言っていた「ビアンコ・ストラーダ」がキーワード。ビアンコ・ストラーダ、つまり白い道をひたすら行けと彼は言うのです。
 海辺に面し、遺跡の他には何もないセリヌンテは、見晴らしがひどくよく、問題の白い道はくっきりと視界に浮かび上がっていました。
 途中腹をむけて横たわっていた犬が一匹、おそらく餌が目当てだと思いますが、むっくりと起き上がると尻尾をふりながら歩き出しました。まるで導くかのようです。
 ビアンコ・ストラーダの果てには、確かに手前にバラバラに壊れたG神殿、その少し奥に壮麗なE神殿の威容が小さくではありますが見えてきました。(右上へススム)
 
 しかし、その前に眼前に現れたのは、ゼウスに捧げられたというG神殿でした。
 まさにセリヌンテの「バラバラ」の象徴というべきこの神殿。柱一本残すばかりで後はバラバラ。(下/写真)
 驚かされたのは、その巨大さでした。遺された円柱の支えの部分は近づくと、まるで巨大なUFOさながら。この信じられないような大きさは、実際目で確かめなければ分からないものでしょう。そして、そのすぐそばにここの目玉であるE神殿が建っていました。
 これもまた赤みがかった神殿。柱には鳩が羽を休め、時折神話的な声でのどを鳴らしていました。沈みゆく陽の光の中で、神殿は黒い巨大なシルエットと化っしていきます。
 そろそろ閉まる時刻でした。知らない間に犬はどこかへ行ってしまったようです。「ウッシータ(出口)」の表示に従って歩を進め、ふっと振り返った瞬間、E神殿を照らすライトがつきました。
 その時でした。赤みがかった神殿が、ゆらりと立ち上がったのです。それは、この世のものではない光景でした。
 出口のところでは係員とガイドが楽しそうにおしゃべりをしながら私を待っていてくれました。
 この神殿とともに生きてきた人々にとって、私が抱いた驚嘆はどのようなものなのでしょう。何年後か分かりませんが、このセリヌンテには、もう一度じっくりと訪ねたいと思いました。